「誰もいないポートレート」1
「誰もいないポートレート」
1 僕はシャッターが押せない
一葉の写真がある。
男と女が道を歩いている。男の方は二十代後半、女の方は二十歳にかかるかどうかというところだろう。男が前で女が後ろについていて、画面の左から右に向かって歩いていく最中だ。
そこは住宅地の真ん中の大通り、二世代前の商店が立ち並ぶ通り。二人の背景には、シャッターが半開きになった建具屋と、その右に、画面奥に伸びる細い路地が見える。季節はきっと晩春のころだろう。歩く二人は半袖で、画面の光の色は淡く拡散してぼやけ、夏の日差しほど強烈な照り返しを生んではいないから。
前を歩く男の方は、よれた無地の白いTシャツ、モスグリーンのカーゴパンツ、という格好で、パンツのポケットに両手を入れて、覇気のない表情を浮かべたまま目を細め、空を見上げて歩いている。長身と言うのには半歩足りず、中背と言うには少し余る、そんな男だ。
女の方は、男よりはいくぶん小柄で、几帳面にアイロンが掛かったワイシャツを着崩すことなく上までボタンを留めて、脚の輪郭にぴったりと張り付くジーンズ地のスリムパンツをはき、ベージュのハンチング帽を深く被っている。まるで自分の身体をしっかりと押さえつけるような、そんな服装を彼女は選んでいる。彼女はやや俯き加減で、自信なさげに前の男の足元を見て歩く。
男が前で女が後ろ――その構図を前時代的だと批判する人はいるかもしれない。正当な批判だろう。いくつかの用語でもって、その写真を批判することは十二分に可能だ。でも、そのときのその画が彼らに必要なものだったということを、僕は知っている。だからたとえ誰かにその画が批判されるのだとしても、たとえ社会的な正当性を持ちえないなにかだったのだとしても、僕は、僕一人だけは最後までその写真を愛そうと思う。
ところで、僕はそんな写真をどこかで撮影した気がするのだけれど、そんなことはありえないのだ。だって写っている男は、僕自身なのだから。だからそれはたぶん僕の頭の中にだけある架空の写真なのだ。
*
「すじかい塾への推薦状は書くよ。僕が書けば、入塾できる、と思う、たぶん」
言ってみたけれど、正直確約はできない。
僕の後ろを歩く彼女の反応を僕は見ていない。きっといつものように、帽子を深く被って俯いてついて来ているのだろう。声が聞こえているならそれでいい、と僕は思う。
「憧れだったんだろう、西町先生」
西町博。哲学者、現代思想家。日本におけるリベラル系知識人の代表格。ベストセラーランキングの常連。今をときめくオピニオンリーダー。彼の主催する私塾「すじかい塾」は彼の名前が全国区になる以前から開かれて、彼の人柄や私塾の開放的な雰囲気から、自然と若い才能が多く集まった。
「田村さんは、塾には戻らないんですか」
「ああ、先生とも話し合って、僕はもう退塾した身だよ」
「もったいないじゃないですか」
「いいんだ。あそこもいろいろとあってね。僕らが最初に始めたころとは、少しずつ変わっていったんだ」
まるで知らぬ間に日に焼け褪せていた古い本のように、と僕は誰にも言わなかった。
「それにもう先生の世話になる歳でもないしね」
言い訳をするように、僕はそう付け足した。あるいはそれはまさしく言い訳だったのかもしれないけど。
「田村さんが一緒なら、入ります」
それじゃだめだろう、と言いかけて、僕はため息をつく。空を眺める。言葉を考える。どう言えば伝わるだろう。どういう言葉なら聞いてくれるだろう。幼子に初めての言葉を教えるように、僕は言葉を考える。しばらく道を歩いて考えついたのは、
「君はいずれ恋をする」
馬鹿みたいなフレーズだ。僕の後ろで彼女が笑いそうな、びっくりしたような、でもそれを抑え込んだような、不規則な息をしたのがわかった。
「異性か同性か、人か動物か風景か芸術か、なにかはわからないけれど、君はいずれ恋をする」
彼女は注意深く息をひそめ僕の言葉の続きを待つ。
「そんなとき、僕みたいな存在は邪魔になるものだよ」
彼女、橋本アミは20歳だった。その年某大学に、現役から二年遅れて入学した大学一回生。事情で高校を退学した彼女は、フリースクールや通信制の学校を転々とし、受験資格をとって春から晴れて大学生活を始めたのだった。たまたま僕と知り合い、学生生活の傍ら僕の助手を務めてくれている。
僕、田村某のいちおうの肩書は写真家だった。いちおうというのは、当時の僕はとてもじゃないけれど写真家などという気取った肩書を名乗れるような状態ではなかったからだ。過去には写真集を出してそれなりに売れたこともあったけれど、その時期はと言えば、単発の撮影の仕事やバイトで食いつないでいるだけ、先の見えない状況がそれなりに続いていた。正直なところ助手なんか雇っている場合じゃないのだけれど、色々あって、彼女に撮影の手伝いを頼み、違法にならない程度には賃金を支払っていた。
そのころは仕事のないときによく二人でカメラを片手に事務所の近くを歩いたものだった。事務所――というかアパートの僕の部屋は、大学に近い住宅地の中にあった。古い平屋や新築住宅がまだらに並び、その中に疎水が一筋流れているようなところだ。その疎水沿いの道を歩いてから、隣の通りの商店街を歩いて帰る、というのが僕らの散歩のセオリーだった。そういうときはだいたい僕が前を歩き、彼女が後ろについていたけれど、彼女がカメラを構える気配を感じると僕は止まって彼女の撮影を見守った。彼女は実に多くの写真を撮った。空を撮り、鳥を撮り、水を撮り、花を撮り、花からこぼれた小さな虫を撮った。彼女は元々のセンスもよく、撮影の技術も知識もすぐに学んで自分のものにしていった。若く、才能があり、心身は真綿のように世界を吸い取っていく。それは人の正しい営みの形だ。その当時彼女が撮った幾枚かは、のちに正当な評価を受けることになる。
かつて僕は写真家として一冊の写真集を作った。すじかい塾の近隣の風景を切り取り、歴史的な背景や文章を足したもので、はじめは塾の身内で見るための私家版として制作したものだった。しかし西町先生がその写真集をたいそう気に入ってくれて、方々で紹介してくれたのをきっかけに、ちゃんとした出版社から一般向けに出版してもらえる運びになったのだ。もちろん先生のエッセイや解説も添えられることになった。結果、先生のネームバリューのおかげだろう、この類の写真集としては異例の売れ行きとなり、僕もついでに新進気鋭の写真家などというありがたいアオリをいただくことになった。
けれども、僕の出した写真集は批評的にはふるわなかった。「対象を記号的に捉えすぎている」「ありきたりな抒情に流された構図」「商業媒体のポスターみたいな写真」……つまり、まあ、芸術性や思想性のない、人間のいない単純な写真と、そういうことらしい。塾生の仲間内からも、そういった手厳しい評価をいくつも受けた。「おまえのエは単純なんだよ」古くからの塾生の一人は僕にそう言った。
そうかもしれない、と僕自身思う。当時の僕は、あんまりに考えのない写真ばかりとっていたのかもしれない。
散歩の最中、彼女に当時僕の写真が酷評された話をすると、
「それはただの嫉妬じゃないですか」
いい子だけれど、時々容赦のないことを言う。
「いや、そういうのじゃないと思うな」
僕の写真を批評してくれたかつての塾仲間は、写真ではないけれど、みな多くの才能を抱え込んでいた。ものになった人間もいれば、そうじゃないやつもいた。でもみんな馬鹿じゃない、と僕は思っている。
「僕自身、やっぱり舞い上がってたんだと思う。でもなんかそれじゃダメだなって反省した。だからそういう仲間内から距離を取ってしばらく静かにしたかった。しばらくは、どこにも出ずに自分の写真に集中したい」
言い訳をするように僕は一口に言ってしまって、それが言い訳だったことに気づいて、彼女に気づかれないように強く奥歯を噛みしめて、目を瞑った。たぶん彼女からは僕の顔は見えなかったと思う。
数分ほど二人で黙って歩いて、それから彼女が思い出したように僕に言った。
「でも一枚も撮ってないじゃないですか」
僕は空ばかり眺める。
*
僕と彼女が出会ったのは、母校の大学で撮影の依頼を受けたときのことだった。
依頼の内容はウェブサイトやパンフレットに使う写真が欲しいというもので、四月の中ごろ、まだ入学シーズンの母校を、僕は久しぶりに訪れることになった。
僕が卒業してすでに数年が過ぎ、いくつか見覚えのない校舎が完成していたけれど、ほとんどは僕が在籍していたころと変わらない。こぎれいさと猥雑さ、幼稚さと高尚さ、ばかみたいな賢さや、賢しらぶっている馬鹿や、ばかにみえる馬鹿、そんなものが一体になって人間の流れを作っている。道行く学生の流れの中で耳をすませば、単位だの資格だのサークルだの。雑踏の中で、懐かしい、これは独りだ。
構内の会議室(そんなところ、在学中はついぞ入ったことがなかった)でデザイナーや大学の広報担当と打ち合わせをしたあと、僕は許可を取って久しぶりのキャンパスを散策することにした。撮影の下見という体で許可をもらったのだけれど、けっきょく僕が回った場所は僕の記憶にある場所ばかりだった。よくひとりで昼飯のおにぎりをかじっていた図書館裏の木陰、図書館の書庫の奥にある小さな文机、講堂の裏手にある自販機とベンチ。風景は変わっていないけれど、当然そこはもう僕の記憶のなかの場所とは違うなにかに変わっていた。なにが違うのだろう? 僕は頭の中にある風景写真と今目の前にある風景を間違い探しのように見比べてみる。でもわからない。違いの原因を発見したのは、これよりずっとあとのことだった。僕の記憶には誰も写っていないのだ。
撮影に使えそうなポイントをいくつか目星をつけたあたりで、ちょうど学生たちの昼休みが終わる。僕は席の空いた学内喫茶で昼食をとることにした。学生時代、三講時目が空きコマだったときは、たいていそこで昼飯がてら時間を潰したものだった。僕はコーヒーとクロワッサンを買って、昔よく座った窓際の席に座る。昔とは味の変わった甘いコーヒーで、味の変わらなかった薄味のクロワッサを飲み下していると、少し離れた席で僕のことをちらと見やった女の子の存在が目に入った。彼女は一人で、目の前のカウンターテーブルにはカフェオレの入った紙コップと軍用レーションみたいな栄養補助食品が置かれていた。しきりに僕の方を見て、なにか言いたげなのだけれど、僕が視線を合わせようとするとうつむいてしまう。その様子は、聞きたことがあるのに店員に話しかけられずにいる、いたいけな小学生のようだった。
実のところ、僕の方も席に着いたときから彼女のことが気になっていた。
彼女は特段目を引く容姿ではなかった。見た感じ160センチにわずかに足らない小柄な背丈で、中肉中背よりやや痩せ気味の体格、髪はブラウンに染めたものを肩までストレートに伸ばしていた。外見の特徴だけ見れば、周りにいる女子学生も似たようなものだった。
僕が彼女のことが気になったのは、一目見て不安定な印象を覚えたからだ。まるでサイズの間違えた服を無理に着てその場に座っているような、居座りの悪さだ。もちろん彼女の服装になにか不備があったわけではない。ボーダーシャツの上にジーンズ地の上着を羽織り、下はベージュのロングスカートをはいていた。学生なら特別変わった服装でもないし、彼女は彼女のサイズにあった服を着ていた。ただ、それはなにか、巧くないような、もったいないような。
僕はコーヒーを飲みながら、彼女を写真にうまく収めるならばどうしたらいいだろうか、などとあれやこれや、頭の中の架空のカメラで架空のカットを作りだしてみたりした。なにか被写体を見つけるとやってしまう、悪い癖だ。あるいは彼女が僕を気にしているのは、僕が彼女を気にしているのを彼女が気づいたせいなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか彼女は意を決したように立ちあがっていた。肩で強く息をしたのが周りにわかるくらいに、彼女は大きな一呼吸を作った。僕は頭の中の失礼なスタジオをペシャンコにして、コーヒーのカップに口をつけ、飲むフリだけして目の前に置いた。
「すじかい塾の田村さんですよね」
と彼女は僕に話しかけた。まるで刑事ドラマのようなセリフだな、と僕は思った。
「はい、そうですけれど」
「あの、えっと、写真集もってます」
「そりゃ、うん、ありがとう、ございます」
反射的にそう答えたものの、そのあとの言葉がつながらない。彼女の方も、僕の方も。
話しかけてきた彼女の方は、怒ったような、緊張しているような、なにか唐突に訪れた理不尽にあらがっているような。あがり症なのだろうかと僕は思い、こんなに人見知りする人間がわざわざ話しかけてきたからには、なにか僕が問題のある行動でも起こしたのだろうかと思い至った。たとえば、この喫茶店は学内関係者以外は使えないだとか、僕が座っている席は予約のある席だったとか、あるいはペンを床に落として気づいてないとかかもしれない。
「あの、失礼。もしかして僕がここにいるとまずいですかね。予約席だったとか?」
たしかこの喫茶店を学内サークルが使うこともあったし、あるいはたまたま今日はなにかイベントの日だったということもあるかもしれない。彼女は僕の言った言葉がうまく呑み込めなかったのか、少し困惑したように黙り込んでから小さく、
「ちがう」
と言って、
「ああ、ちがう、そうじゃなくて、ちがうんです」
と慌てて付け足したのだけれど、いったいなにがどこから違うのかわからない。
「サイン――じゃなくて、えーっと、あ、ファンなんです」
と彼女が言ったから、なるほどと僕は納得した。
「ああ、西町先生の」
そいつはよくあることだった。西町先生が全国的に有名になってから、塾の関係者だと知られるとこういう風に声をかけられることが増えた。訊かれることはだいたい決まっている。
「ええ、ああ、違う……んじゃなくて、西町先生は好きです。よく本、読んでます」
「じゃあ、あなたもそうなのかな。『すじかい塾ってどうやったら入れますか』ってよく訊かれるのだけれど」
「それは……その、知りたい、です」
「残念だけど、今塾生は募集してないんですよ。もうすぐ一枠空く予定だけど、募集があるかどうかは、わからないな。もしその気がおありでしたら、ウェブサイトかSNSかなにかで案内があると思うので、そのあたり調べてみてください」
「それは、はい、だいじょうです」
だいじょうぶ、というのは、すでにその手の情報はチェックしているということなのだろうか? だとすればヘビーな西町ファンなのかもしれない。「そいつはよかった。あそこはあなたみたいな、熱心な人の場所だから。もし募集があったら応募してみてください。熱心な学生は歓迎されますよ、きっと」
半分世辞みたいなものだが、半分は本当にそう思っている。誰かがあの場所を引き継いで、次の誰かに渡してくれればいいのだろうな、と。
「すみません。たぶん、ご期待に添える話じゃなかったと思うけれど、あそこは元々こんなに有名になると思わずにやっていた場所だから、単純に受け入れられる数に限りがあるんです」
――そう、それは本当に小さな、ささやかな始まりだった――
不意に意識が記憶の切れはしに引きずられそうになるのを無理やり切り上げ、クロワッサンの欠けらを口の中に放り込み、さらそいつをだいぶん残っていたコーヒーで一息に流し込んだ。喉の奥にわずかな火傷の痛みが滲んだ。
「それじゃ、僕は失礼します」
僕はそう言って席を立とうとした。僕のような卒業生があまり長居すべき場所じゃなかったのだ。
「あ、あの!」
僕が席を立とうとすると、彼女は声を出して僕を制止した。なにか僕が間違ったのを、慌てて注意するように。どうも、彼女とはうまくかみ合っていないみたいだった。
「あの、ええと、写真、見たいです」
「写真?」
「はい」
「それは、僕の?」
「はい」
ふむ。
僕の写真をわざわざ見たいだなんて、奇特な人間もいたものだ。ついさっき撮ったものを見せてもいいけれど、試し撮り程度のものを見せるのもなんだか悪い気がした。なによりこの程度と思われては仕事の評判に関わる。僕の部屋に帰ればちゃんと印刷したものや、なんなら現像したものもあるけれど、さすがに若い女子学生をいきなり部屋に呼ぶわけにもいかない。塾に行けば僕が撮ったものも少しはあるはずだけど、もうすぐ縁を切る予定の僕が塾に寄りつくというのも違う気がする。そもそも、この人は僕の写真を本当に見たいと思っているのだろうか? おおかた、本当の目的は有名な私塾の塾生とコネクションを持ちたいとか、そういうところじゃないだろうか。なにかしら邪悪な意図があるわけではなさそうだけれど、まともに取り合うとあとが面倒かもしれない。この場をさっさと切り上げる方便は……そうだな。
「じゃあ、今から撮りに行こうか、一緒に」
「はい!」
……。
「……うん?」
「……はい?」
自分たちはなにを言ってるんだろうというツラで、お互いに顔を見合わせたのが、たぶん始まりだった。
初めて一緒に写真を撮りに歩いたとき僕が渡したカメラを、アミは今も大事に使っている。僕が少年といえる年ごろに金を貯めて初めて買った、有名メーカーのデジタル一眼だ。モノは悪くないけれど、あくまで量産品で、凝ったプロならメインで使うような製品ではない。それに、レンズはともかく、中身の機能はすでに骨とう品のようなものだった。だというのに僕は棄てることもできず、いちおうの予備機としていつも持ち歩いていた。それを、あのとき彼女にあげてしまったのだ。
その日出会った女の子にカメラをあげるなんてのはばかばかしい話だけれど、特段思い入れがあるものでもなく、いずれは廃棄しなくてはならないものだったから、あるいは僕はただ彼女にゴミを押しつけただけかもしれない――そういう風に自分に言いわけをして、僕は自分を納得させた。もちろん、彼女のことをとても気に入ってしまった、なんて、彼女にも自分にも言えるわけはなく。
彼女は僕と出会ったときにはすでになにかを持っている人間だった。それを才能と言ってもいいし、経験と言ってもいいけれど、とにかく、なんらかの表現をするものとして、切実なもの、痛切なもの、核のようなものを、すでに自分の中に持っている人間だった。
だが、僕と出会った当時の彼女はそれをうまく外に表現する術をもっていなかった。彼女の悲しみも、彼女の怒りも、彼女のもつ憧れも、彼女の思い出も、きっと彼女のなかに確固とした質量として存在しているのだけれど、その質量を彼女自身どうすることもできずに持て余していた。石炭を山ほど詰んだのに水だけがない哀れな機関車のように。本来ならばもっと前に彼女はなんらかの手段を自分で見出しているべきだったのだろう。多くの青少年が、自分に合った「なにか」を「そのとき」手に取るように。だが残念なことに、事情で回り道をしてきた彼女は、自分なりの「なにか」を手にする「そのとき」に恵まれていなかったのだ。
僕ならば、彼女の中にあるものをうまく外に出してあげられるかもしれない。少なくともその手伝いをしてあげられるかもしれない。僕は、自分でも呆れるのだけれど、いくぶん傲慢にそう思っていた。写真じゃなくてもいいかもしれない。なにかべつのものでもいいし、あるいは彼女にとっての次の場所に、僕が手を引いて扉の前まで連れて行くことならできるかもしれない。
そういうのは、なんというか、単純な好意というよりは、もったいないな、とか、惜しいな、とか、そういう感情に近しいものだったのかもしれない。でもとにかくそれは、彼女に出会って初めて得た、僕の小さな衝動だった。
あるいは僕は、そういう被保護欲だか責任感だかで、彼女への劣情を糊塗している、つまらない人間だったのかもしれない。ありそうなことだろう?
なんどか一緒に写真を撮りに歩くうちに、彼女は短時間で知識を増やし、撮影の技術を上げていった。僕の事務所兼自宅部屋にもいつのまにか頻繁に出入りするようになって、時間があるときは撮影関連の技術書やそれ以外の文学や哲学なんかの本も片端から読破していった。
そんな彼女の熱意がなんだかとても心地よく、経験になればと思い、いくつかの撮影の仕事に彼女を助手として連れて行くと、これもまた彼女はあっというまに仕事の要領を飲み込んでいった。数回一緒に仕事を終えたあとには、すでにいっぱしのカメラマンができあがっていた。今ここで学生を止めたとしても、撮影関連の仕事で十分に生活していけるだろう。そう僕には思えた。
それは、僕の人生の中ではかなり幸福といえる時間だった。僕は彼女に与えるものがあり、彼女はそれを精いっぱい吸収していった。僕は彼女に与えるものがあるかぎり、自身をむやみに卑下し否定する弱さを忘れることができた。
もちろんそれは、正しいことではなかったのかもしれない。僕は人に教えられるほどうまい写真屋ではなかったし、彼女にしたところでもっと彼女の力を伸ばすのに最適な場所があったかもしれない。僕は、僕の欲望で、彼女を縛り留めおいてしまったのかもしれない。いずれ彼女のふさわしい場所に、僕が送り出してやらなければならなかったのかもしれない。けっきょく僕のしたことは、彼女のためという体で彼女を利用した、おぞましい行いだったのかもしれない。そういう疑念を、僕は最後まで持ち続けるだろう。
当時の僕は写真家としては致命的な欠陥を抱えていた。依頼された撮影の仕事とは別の、個人的なもの、自分が撮るべき写真を、ただの一枚も撮ることができなくなっていたのだ。
僕がそれに気づいたのは、彼女と出会う少し前、僕の写真が批判にさらされ、すじかい塾から距離を置くことを決めたころだ。
春先のよく晴れた朝のこと、僕がいつものように被写体を探して近所を散歩していると、疎水沿いに小さな野草を見た。橋のたもとのコンクリートと歩道のアスファルトの間に生えていた、よく見る草だった。ああ、この草の名前はなんだっただろうと、とげを生やした、緑の、丸の、小さなつぼみに、カメラを向けてシャッターボタンを押そうとしたときに僕は気づいた。デジタルカメラのディスプレイに写っていたのは、ただの「空っぽ」だった。
このままシャッターを切れば、それはもちろん画像データとして保存され、印刷もできるし、アップロードもできる。物理的にそれは可能だ。でもそれは写真ではなかった。写真のように使ったとしても、意味のない、ただの「空っぽ」にしかならない。写真の形をしている、写真じゃないものでしかない。まるで小説の退屈な描写を長々読まされるような、いたたまれない画像データにすぎない。
僕はその名を忘れた雑草を撮るのを諦めた。それからためしに近くにあったいろいろなモノにカメラを向けた。花や家や小さな畑、かすかに見えた路地の野良猫に、僕は僕の写真を探そうとして、そしてことごとく打ちのめされた。
打ちのめされるのに飽きると空を見上げた。冷えきった白い月が見えた。そしてカメラを僕と空の間に置いて、「ああ」と僕は認めざるを得なかった。僕はシャッターが押せない。
*
僕はすじかい塾の開塾当時のメンバーの一人だった。先生とは僕が大学に入りたてのころからの付き合いで、なんだかんだあって、彼の弟子の一人のような関係になって、そんな流れのなんやかんやで、一緒にこの私塾をやることになったのだ。自分でも具体性のない話だと思う。でもとにかく、つまらないこと、くだらないこと、小さなこと、おもしろいこと、なんだかんだが色々あったのだ。
先生が全国区でさらに有名になると、塾も大きくなり、人も増えた。先生の思想性に共感する人々が全国から押し寄せ、ときにその中には掛け値なしに本物の才能が現れることもあった。けれどなにより、その手の傑物より、多くの普通の人々が、学ぶこと、考えることに興味を持って、塾に集まってくれた。それを先生はなにより喜んだ。喜んでいるように、僕には思えた。「一人でも、学ぶこと考えることを知る人が増えれば、目には見えなくても世界は少しずつ良い方向に向かう。僕はそう信じたいね」先生はよく独り言のようにそう漏らした。
だがもちろん、人が増えるということは、現実的な問題をいくつも引き起こすことになる。ある種の派閥のようなものができたり、お金のやりくりを厳密化したり、ある程度組織として役割や部署を割り当てたり、ときに法律家と相談するようなこともあったり。その手の雑事は、まあ仕方のないことだろうと僕は考える。人々の善性は尊いものだけれど、善性だけでは社会は動かない。ルールなり規範なり枠組みなり、とにかく、誰もが扱えるような一般化が必要なのだ。僕も塾のスタッフのような立場になり、いくつかの事務作業を受け持ったり、定例会議のようなものにも出席するようになったりした。一方で人が増えても塾の勉強会はいまだ熱気を保っていたし、なんなら塾の出身者が大きなメディアで取り上げられることもあった。僕が退塾する前後のすじかい塾は、惰性や保守化とは無縁の、なまの学び舎だった。
「退塾の話は聞いているよ」
塾舎の先生の書斎に入ると、彼は開口一番そう言ってから、「まあ座りなよ」と上等な革のソファ席を勧めてくれた。表情はいつもと変わらない、60を超えているのに、少年のような人懐こい顔のできる人だ。彼がこういう風に塾生と一対一で話すときは、だいたいいつも文机を挟んで塾生と向かい合うのだけれど、そのとき彼は僕の隣でソファに腰かけた。ふたりソファに腰掛けると、ちょうど正面に書斎の窓があって、そこから夕方の空が見えた。薄曇りの隙間から筋のようにオレンジ色の光が滲んでいて、それはまるで深く刻まれた古傷のように見えた。
「もし君が心に決めてしまっていることのならば、私も引き止めはしないよ。君の気持ちを尊重する。でももし少しでも迷っているのなら、どうか私に話を聞かせてほしい」
僕は少し考える。僕は迷っているのだろうか?
「いや、迷ってはいないと思います。いずれはここを離れなければならないと、僕自身初めからそう思っていたし、それが今であることは、なんだろう、しっくり来ています」
「そうか」
「すみません」
「いや、もし私が君に余計なことをしたのだとしたら、謝ろうと思っていただけさ」
それは、あの写真集のことだろう。たぶん色々と話す準備をしてくれていたのだ。僕は不孝にもそれを台無しにした。
「関係がないとは言わないけれど、いいきっかけでした。いつまでも先生の世話になる歳じゃないなって」
彼は、納得したような、それが少し寂しいような、そんな風で小さく笑った。本当に、賢い少年のような人だ。
「いくつになったんだっけ?」
「29です」
「君に初めて会ったのは18の時だった」
先生に初めて出会っとき、彼はまだ全国的には無名の存在だった。もちろん学者としては知られていたけれど、その道の大家という風でもなく、せいぜい「知る人ぞ知る専門家」の一人だった。それからいくつかの出会いと偶然と、あとは酔狂だかなんだかがあって、先生の周りには何人かの学生が集まり、ゆるい勉強会のようなものができた。哲学や社会問題、芸術や文学、世間話や痴話げんか、僕たちは話し、考え、書いて読んで、ほどほどに酒を飲んだ。
先生はそんな学生たちとの交流を哲学者の視線からエッセイとして描いた。その手の文章を書くのは、それが初めてだったと先生はのちに語った。先生は哲学者で、論理の人だけれど、出来上がったそのエッセイの文体は、なぜか温かみのある手作業のものになった。彼がそんな風にエッセイなんか書けるものなのだと、僕たち学生は意外に思っていたし、彼自身がもっと意外そうにしていた。
どういう経緯だったかはもう覚えていないけれど、彼のエッセイは出版されて、いつのまにか話題になって売れてしまった。あまりに短期間で有名になったものだから、細かな経緯は当事者でも覚えていないほどだ。
それから先生は精力的に本を書いた。エッセイや一般向けの哲学書を書き、いくつかはベストセラーになり作家としての地位を築いた。先生の本業である専門的な哲学書も再評価の目を浴びた。
彼と学生の交流に、多くの学生たちや学生だった人たちが憧れた。自分たちもこんな学びを得たかった、と。勉強会の規模も少しずつ大きくなり、やがて定年で大学を辞した彼は、退職金と印税で得た利益を使ってささやかな私塾を開いた。小さな町家を買い取って修繕し、自宅兼私塾として、人々に開放したのだ。僕ら古くからの勉強会のメンバーは、その立ち上げに色々と奔走した思い出がある。
「君には世話になった」
と僕の隣で先生は言った。
なんのことですか、と反射的に言おうとして、いや、と思いとどまった。「こんな塾を開いて、引退してからも人と触れ合い本に埋もれられるのは、立ち上げに君たちがいて、支えてくれたからだよ。感謝している」
「それはたぶん、僕の方が、いや僕たちの方が言うべきことですよ」
彼は少しだけ楽しそうに笑って、自分の言葉を続けた。
「とくに君はみんなから見えない仕事を、よく引き受けてくれた」
「そうでもないですよ。喜多川あたりの方が、よく働いていた気がしますね」
気難しくも快活な、馴染みの顔が思い浮かぶ。
「喜多川君は、さっき次の勉強会のプランを相談しに来たよ。いい企画だと思う。熱心な学生に囲まれて、私は恵まれている」
「先生、喜多川はもう学生じゃないですよ」
喜多川は、当時すでに地方紙の新聞記者だった。自分の仕事で多忙だろうに、いまだ精力的に塾の運営に携わる人間の一人だ。
「ああ、でもついね。君たちを学生のように思ってしまう」
僕も先生の前だとつい学生の気分になってしまいますよ、とはさすがに恥ずかしくて言えなかった。かわりに、
「僕も感謝してます」
と言った。男二人、並んで深く息をした音が聞こえた。それから、
「エッセイにT君の歳のことを書かないでくれて」
と続けたら、先生は笑った。
T君というのは、彼のエッセイに出てきた学生の一人。ぶっきらぼうな困ったやつで、飲み会をすればいつのまにか隅で飲んだくれている、くだらない男のことだ。
「だって私は本当に君のことを20歳越えてたと思ってたんだ。あとから未成年って聞いて冷や汗をかいたよ。最近の大学は厳しいんだよ? ほんとに」
笑い話。いくつかある思い出の一つ。そんなのはこの十年近くで無数にある。笑い終わったあと、先生には珍しく、淋しそうに、疲れたように、僕に訊ねた。
「君はこの塾が変わったと思うかい?」
それは、今思えば、弱音だったのかもしれない。あるいは彼は自分が変わったのかを聞きたかったのかもしれない。あるいは僕が変わったのか、を。「変わりませんよ」と僕は答えた。
「それは、気休め?」
「かもしれません」僕は正直にそう言った。この場所が変わったのか、そうでないのか、本当のところ僕にはうまく推し量ることができなかった。
「でももし、変わったように見えるものがあるとすれば、それは内在していたものが見えるようになったというだけかもしれません」
「ふむ、一考に値する考えだな」
「すみません。余計なことを言いました」
その場の空気からすれば、今言うべきことでもなかったのだろう。
「いや、君のそういう部分にずいぶん助けられた」
それこそ気休めだと僕は思う。僕のそういう性格は、古参のメンバーからも随分と煙たがれられたものだった。
ここらへんでいいだろう、と僕は立ち上がる。
「行くかい」
「行きます」
ソファに背を向けて、僕は扉に向かって歩く。先生はずっと窓の外、オレンジ色に輝くなにか、僕には見えないそれを眺めていた。
西日の当たるソファの陽だまりへ、僕は一礼をしてから扉を閉めた。
*
月に数回、彼女は酷く不安定になる。
夜の一一時、部屋の扉を開けると彼女がいる。呼び鈴も鳴らさず、ノックもせず、僕が開けるまでずっとその場にいる。
はじめて彼女が夜に僕の部屋に来たとき、扉を開けた理由を「なんとなくいる気がしたから」と僕は彼女には伝えたのだけれど、本当のところ、部屋の明かりを落としていると、扉ののぞき穴から漏れる光が遮られるから、そこに人がいるのはすぐにわかる、ただそれだけ。そんなことがあって以来、僕は毎日一一時に扉を開けることにしていた。ただそれだけのこと。
僕が扉を開けると、なにも言わずに彼女は僕に体を押しつける。冷え切った指先から小一時間は外にいたのだろうと知れる。体温が高潮し、肌や筋肉が緊張し、少し汗をかいているのが、布越しにわかる。なにをすればいいのかも、わかる。僕は手を引いて一人用のベッドに彼女を連れていく。
そういう夜の彼女は、いつもの自分自身に抑圧的で控えめな女の子ではなくて、僕を強く求める。彼女のなりのすべての筋力で、彼女なりのやり方で。僕はできるだけ彼女を傷つけないように、柔らかくその求めに応じる。
するべきことはわかるのに、でもそうやって彼女と体を重ねるのが正しいことなのかどうか、僕にはわからない。僕はうまく彼女の気持ちを推し量ってやることができない。僕に対してそういう感情をもっているのか、それとも他の誰かの代わりに僕のところに来るのか。あるいはもっと別の、彼女固有の気持ちがあるのかもしれない。でも彼女のその気持ちを、僕はうまく理解することができない。どうにか言葉にしようとすると、
――おまえのエは単純なんだよ
声がして僕はそれ以上進めなくなる。
そうやって彼女とつながっている時間は、僕の自意識はいつも一段後ろに引いている。まるでファインダー越しに僕らのつながりを覗くように、僕の意識は僕の身体の80センチ後ろに留まっている。
誤解がないように、そして正直に言っておくと、僕は彼女が好きだし、女性として求めたいとも思っている。彼女といられるどんな時間も、僕は大切に思っている。僕がもしもう五年若ければ、彼女の気持ちの如何を問わずに、無理やりにでも彼女を求めたかもしれない。
けれど僕は同時に、彼女には自分の可能性を外に広げてほしいとも願っている。しばらく一緒にいてわかる。彼女は賢いし、センスもいい。きらめくような先天的な才能があるというわけじゃないかもしれないけれど、順当に努力し、外につながっていけば、自然とひとから認めてもらえる、一角の人間にだってなれるかもしれない、そういう力や可能性がある。
僕はしかし、将来の見えない人間だ。写真家として一定の評価は得られたけれど、安定して食いつなげていけるほどじゃない。それどころか、自分に本当にその程度の地力があったのかどうかさえ、今ではわからなくなっている。単発のカメラマンの仕事をこなしたり、別の仕事を掛け持ちしたりして、なんとか誤魔化しているだけだ。塾とのつながりもなくなって、人ともうまく接することができなくなっている。そして、もうそれほどには若くもない。客観的にはなにもないというほどひどくはないのかもしれないけれど、でも「僕にはなにもない」。風呂や便所でよくそう独りで呟く。
僕は単純な構図の中に彼女の可能性を閉じ込めている下劣な人間に過ぎないのはないか。だとしたら、僕はどのように、撮るべきなのか。
――おまえのエは単純なんだよ
僕はシャッターが押せない。
明け方、彼女より先に僕は目覚める。彼女は、夜のことが嘘のように、弱々しく毛布の中で丸まっている。その彼女の様子を、なにかうまい比喩で語れそうな気がするのだけれど、なにかを思いついたその瞬間に、言葉は寝起きの夢の残響のように消えてしまう。僕は撫でるように彼女の髪をゆっくりと掬う。それでなにができるのか、なにが変わるのかわからないけれど。
*
僕が写真を撮り始めたのは十代のことだ。十代の僕は陰気な少年だった。同学年の人間がするような話題には興味が持てず、友達もいなかった。両親は一人息子である僕によくかまったけれど、僕個人という人格にはたいして注意を払っていなかった。畢竟、家庭にも学校にも、僕はうまく周波数を合わせることができなかった。それが寂しいとは思わなかった。当時の僕にとって人付き合いというのは、メリットよりもコストの方がかさむものだったのだ。僕は至極効率的に独りの時間を選んだ。
でもそれはもちろん、十代の少年が取るべき道ではなかった。学校では孤立し、家庭では親に調子を合わせ、必要最低限しか人と話すこともせず、心を開ける相手もいない。僕の中には澱みのようになにかが溜まっていくのだけれど、僕はそれに気がつかず、周りの誰もそうと指摘することもない。おそらく僕がそのままの僕であったなら、いずれなんからの不適応に陥ったのだろう。
そうならなかったのは、たまたまだった。ただそこにカメラがあって、僕がなんの気なしに手を伸ばした、というだけのことだ。
僕が最初に触ったカメラは、両親が一昔前に家族旅行の折に買った小型のデジタルカメラで、そいつは何年も使われずにほったらかしにされて、部屋の片隅ですっかり旧式になっていた。往年は最新鋭だった画素数も、当時の携帯端末の足元にも及ばない程度の代物で、レンズの汚れもひどく、撮れる写真の質もたかが知れていた。だというのにそれは、陰鬱な少年に、初めて世界に対する興味を開かせるのに十二分な、文明の利器だった。
僕ははじめ家中のあらゆるものを撮った。洗濯機やテレビ、トイレの棒たわし、押し入れの布団の柄、古くなったスニーカー……そんななんの変哲もないものを片っ端から画像データに変換していった。それに飽きると外に出て風景を撮った。電線を撮り、車道を撮り、緑の塗装が少し禿げたワイヤーフェンスを撮って、朝を撮り夜を撮り、春を撮り秋を撮り冬を撮ったらまた春を撮った。時折学校にすら忍ばせて、人目のないところで校内の風景を撮ったりもした。高校で写真部という地位を得ると、比較的自由に学内でカメラを持ち歩けるようになったが、当然のように部内の活動にはあまり関わらなかった。
カメラというものが、ただ世界の風景を写し取る単純な機械ではないことに、僕はすぐに気がついた。それは、僕が能動的に世界から意味を切り出すことができる、おそるべき装置だった。写真は世界そのものの写し――ではない。世界に対して僕が干渉することで生じる、一つの物語だった。僕は写真を撮ることで初めて、世界と僕は干渉しあっていることに気がつくことができたのだ。それは僕には驚くべき事実だった。世界は僕に働きかけ、僕は世界に働きかけることができる。枝を揺らせば葉が音を鳴らし、水に石を投じれば波紋が水面に広がっていく。怠惰な野良猫は僕を薄目を開けて観察し、僕はその猫の不器量な顔を写真に収めることができる。その程度の当たり前のことがすべて、僕には驚異だった。そんな時代があったのだ。
……。
ときに、そんな少年の日々を思い出すことがある。当時の僕はたぶん、傍目から見ても非常に熱心に写真を撮り続けた。そのどれもが今思えば巧い画でないことは間違いない。でもそこには、世界の広さを信じ続けられる、たいした熱量があった。そういうものを人はおそらく憧憬と呼ぶ。
かつて僕の中にあったあの巨大な憧憬は、けっきょくのところなんであったのだろうか、今ではもううまく思い出せない。15時の風と、カーテンのスリットから差す光の中にそのかけをわずかに見出すことはあるけれど、しかしその感触は十秒と経たず僕の手から零れ落ちる。
*
うとうとと、眠りに落ちかけていたのは、議論が退屈だったからというより、誰も僕に話しかけなかったからだ、と思う。僕は基本的に必要とされなければ自分からはあまり話さない。もし必要とされているならば、相手が話しかけなくても口を開く。喜多川が僕に話を振ったから、そのとき僕は眠りに浸けていた片足を引っこ抜いて答えた。
「僕にはわからないよ」
「わからないって、おまえ、話聞いてたか?」
そこは塾の勉強部屋の一つで、僕を含めて五人の塾生が、小さな六帖和室に座布団と座卓を並べて向かい合っていた。僕の向かいには喜多川良樹がいて、いつものように瞳光をぎらと光らせて、僕を見据えていた。精神性はまるでいつも対戦相手を探しているスポーツ選手か格闘家のようなやつだが、身体の方はくせっ毛だらけの髪型にやせ形の華奢な中背と、大昔の作家か研究者みたい。
「聞いていたよ。僕の写真の話だろう。でも君が言っていることは、いわゆる印象批評に傾いているように思う。具体的な、なんらかの論拠がないと、僕には君の理路がわからない」
喜多川は、はぁとわかるようにため息をつく。
「おまえのエは単純なんだよ」
最初喜多川の言った「え」という発音がなんのことかわからなくて、僕はよほど訊き返そうと思ったけれど、僕の言い淀むのを無視して喜多川は続けた。
「心が震えない。手触りがない」
喜多川はだいぶん、熱くなっているようだった。なにか自分には認めがたい、許しがたいものを、なんとかして、許しがたくするように、言葉をむちゃな鋳型にはめ込もうとしている――ように僕には見えた。
「震えないものは、ホンモノじゃないんだ」
少年が願いを語るような、その声質に、他の三人は息を深く呑んだ。喜多川にはそういうカリスマ性のようなものがあった。彼は彼の憧れをそのまま映したような瞳で、僕を覗き込んだ。「どうだ」とも「そうだろう?」とも彼は言わなかったけれど、その声は僕にちゃんと聞こえていた。
「その通りだとして」と僕はゆっくりと口を動かす。「それは、誰が決めるものなのだろうか?」
僕はたぶんそこにはいない誰か、遠い人に、手紙を送るようにそう訊ねた。
「俺のホンモノは俺が決める。おまえにとっては、どう、だ?」
喜多川の問いかけに含まれた、僕への親愛は本物だった。彼は本当に僕と彼の間に、たとえ思想的な違いがあっても、どこかに通底する熱量のようなものがあると信じていたのだ。
「ばかばかしいと思う」
僕は分かっていながらそう言った。
「震えるとか、手触りとか、感動するとか、それを客観的指標であるかのようにふるまうのは、欺瞞かカルトのどちらかでしかないよ」
僕は普通のことを言っただけだと思ったけれど、そこにいたみな、おぞましいものを見るように僕を見た。まるで虚無の孔でも見つけたような、怯えと痛ましさを含んだ瞳の色をしていた。
*
「田村は女にはまってダメになった」
そんな話が塾で出回っているらしいと聞いたのは、久しぶりに会った塾の後輩の宇和島正司からだった。
退塾してからほとんどの塾生とは付き合いがなくなってしまったけれど、宇和島とは仕事上の付き合いがあるせいで、一緒に酒を飲む機会が残っていた。その日も撮影の打ち合わせの後に二人居酒屋で飯を食うことになったのだった。学生のころから行っていた飲み屋は塾生と鉢合わせすることも多いので、最近は遠出して市街地のチェーン店をいくつかその日の気分で使っている。どこの店も、馴染みの飲み屋より悪くない飯を出すし、ビールもちゃんと冷えている。あたりさわりのない有線のBGMも、騒がしすぎるよりはいいのかもしれない。
「ばかばかしいな、その話」
と口に出しながら、あるいはその下世話な噂話は間違っていないのかもしれない、とも思う。僕は彼女をどうしたいんだろう?
「でもまあ、よくないな」
「よくありませんよね」
二人カウンター席で並んで中途半端に残ったジョッキのビールとにらめっこ。さて、よくないな。いくらばかばかしい噂話と言っても、放置すれば彼女に直接迷惑が掛かるかもしれない。もし彼女が入塾することになったら、その手の偏見の目で見られる可能性もある。塾に推薦すると言った手前、そういったトラブルは避けたいところだ。
……いや、そもそも、あの塾で、そんな話が出回ってるのか? すじかい塾で?
「それは本当の話か? 冗談で誰かが一度言った程度のことじゃないのか?」
「田村さん」
宇和島は寂しそうにビールの泡を眺めていた。メガネをかけた小太り気味のこの男は、塾の中ではいつもユーモラスなムードメーカーを被っていたけれど、ときどきこうやって僕とサシで飲むこともあった。たいていこうやって、他ではあまり口にしたくないことがあるときに。できれば彼のために、馴染みの店のまずい塩辛を注文してやりたかった。
「今あそこはそういう話が出回る雰囲気なんですよ。創始メンバーが手作業でやってたような、あのころの感じはもうあんまりなくなって、なんていうか、こぎれいなんです」
「こぎれい」
「まるで私大のサークルみたいな感じっていうのかな。実際最近の塾生は富裕層の子息が多いんですよ」
そういう宇和島も、中流より上あたりの家庭で育った私大出のはずだった。が、僕はわざわざ指摘はしなかった。
「勉強会だって迷走してます。今までは好き勝手にその時その時でお題を決めてやってたけど、今はコースとかカリキュラムとかを作って、なんだか学習塾みたいなんです。今いる主要メンバーも、メンターとかスタッフとか、そういうカタカナの肩書や階層みたいなのばっかりで、なんだろう、なんだか、変わっちゃったなって」
「先生は?」
「先生はいつもどおりですよ。哲学の話や哲学史の講義をしてくれてます。ただ塾のやり方にはあんまり口を出してないみたいですね。私は場所を提供するのが仕事だからって、そう言ってます」
彼の言いそうなことだと思う。でも、いいのかそれで、ほんとうに? いや、いや、僕はもう部外者なのだから。まったくもって未練がましいと、内心自分に呆れておく。
「正直、田村さんみたいに才能のある人は、今の塾には失望すると思います。たぶん退塾したのも、そういうことなんじゃないですか」
「そういうのじゃないよ」と僕は後輩の買い被りをしっかりと否定しておく。「ただいつまでも先生の世話になっていい頃合いじゃなくなったってだけさ」
「そうですかね」
「そうさ。才能があるような奴は塾に残ってる方だろう。喜多川とか」
僕がぽろりと喜多川の名前を出すと宇和島がガタとジョッキを置いて、意を決したように「生おかわり」とカウンターに叫んだ。僕は店員に「生二で」と訂正を入れた。
「喜多川さんが、今の塾の実質的なリーダーなんですよ。さっき言ってたカリキュラムの話も元々喜多川さんの周りから出た話です。最近は改革とか言って、なんだか昔の革命家みたいで。共感できるところもあるけど、派閥みたいでついて行けないとこもあります」
「ふうむ」
「すみません。愚痴です」
「いいさ」
僕は店員から中ジョッキ二つを受け取ると、片方を宇和島の前に置いた。宇和島は、小さく会釈してから、口の中にそいつを流し込んだ。
「俺はときどき思うんですけど、先生は塾が迷走して失敗してもそれはそれでいいと思ってるんじゃないかなって」
「というと?」
「なんていうか、そういう大きな失敗をしてもいい場所を、俺たちに与えてるんじゃないかって、ときどきそんな風に思うんです」
「かもしれない」
あの先生ならありそうなことだ。いまさら私塾経営で名声を得ようと思ってるわけじゃないだろう。それに、
「知ってるか。先生が昔政治活動みたいなものに参加して、ある時からそういう活動を一切やめてしまったって」
先生と長い付き合いの人間はたいてい知っている話。彼もべつにわざわざ隠してはいなかった。
「少し聞いたことはありますけど、詳しくは」
僕の質問の意図を計りかねたのか、不思議そうな顔を宇和島が僕に向けた。
「見てみたいんじゃないかな。自分の教え子たちがどういう道を選ぶのか。自分とは違う道があるとしたらどういうものなのか。失敗するならそれでもいいというのは、たぶんそういうことなんじゃないかな、と」
「なるほど……そういう節はたしかに、あるのかもしれませんね」
宇和島は味わうようにゆっくりビールをのどに流してから、彼なりに思うところがあるのか、しばらくぼんやり天井の照明を眺めていた。
「ところでこれは個人的な興味なんですが」
宇和島の顔が、いつもの人懐こい道化の面を被って僕を見る。
「よく撮影に付いてきてる学生の助手さんって、田村さんの?」
「彼女は……」
彼女だよ、と言おうとして、いやそれじゃカノジョで通じちゃうなと思い直して、十秒ほど考えてから、
「ビール分は奢るから、ノーコメントにさせてくれ」
観念してそう言った。
*
僕が西町博を初めて見たのは、大学一回生の哲学の教養科目の講義でのことだった。最初の印象は平凡な壮年の教員というところで、特段強く印象に残るものではなかった。講義の内容も一般的な哲学史の入門を教える程度のもので、多感な18歳が心躍るものではなかった。先生の講義はたいした人気もないらしく、20人にも満たない受講生が、中規模の講義室にまばらに座っているだけだった。
僕がその講義を受講したことに、特別な理由はない。僕は哲学科の学生ではなかったし、特別哲学の勉強に興味があったわけでもない。教養科目の単位の隙間を埋める必要があって、たまたまそのとき哲学関係の本を読んでいたから、一つくらい哲学の科目でも受けてみようかと、まあその程度の理由だ。
だからだろうか、先生がはじめて僕に話しかけたとき、僕が自分の講義の受講生だと気づいていなかったのも、それほど奇異には思わなかった。僕はそれほど熱心な受講生ではなかったし、教壇に立つ先生もわざわざ受講生の顔を覚えるほどに熱心な教育者には見えなかった。
「君、なにを撮ってるんだ?」
僕が空きコマにキャンパスの中庭で風景写真を撮っていると、見覚えのある教員に話しかけられた。取り立てて特徴のない、わずかに白髪の混じった壮年の男性という風だったが、その表情にわずかな怒気が含まれていた。まずいな、と僕は思った。「なにを撮ってるんだ?」とはおそらく「なにを勝手に撮影なぞしているのか」という詰問だろう。無許可でキャンパスの撮影をしていたことを、どう言いわけしようかと考えていると、
「ちょっと今撮ったのを見せてくれないか」
教員に言われて、僕はやむを得ず手に持っていたカメラを渡す。ディスプレイに映っている画像を見ながら彼は少しのあいだ考え込んだ。ふぅん、と何度かのどの奥を鳴らすのが聞こえた。
「すみません」と僕は諦めて謝罪した。「無許可での撮影はよくないですよね」
「ん、ああ、そうなの?」
彼は画像を覗き込んだまま興味なさそうに僕に質問で答えた。どうやら責められているわけではなかったようだ。
「いい写真じゃないか」
「どうも」
「たとえばこのカットだけど――」
そう言って僕のカメラを返そうともせずに、このおかしな教員は勝手に僕の写真を使って即席講義を始めたのだった。
「これは、そこの楢の木を撮ったものだね。わざと低い視点で撮られている」
校舎と校舎の間にあるその中庭は、中央が遊歩道になっていて、脇には景観用の樹木がいくらか植えてあった。僕はその隅の一本を写真に撮ったのだ。
「君身長は?」
「170と少しです」
「ということは、この写真を君はわざわざしゃがみこんで撮ったことになる」
彼はカメラの画像と中庭の風景を見比べ、僕が撮った木を見つけた。それから木の元で僕がそうしたように屈んでカメラを木の幹に向けた。
「この視点の高さは子どもの視点だ。さらに木の根元というのは成長の喩えとして使われるね。日光は画面の左からきれいに根元に向かって射している。日光は植物の成長に欠かすことができない要素だ」
さらに彼はカメラをおろして、同じアングルを肉眼で観察する。
「ああ、この高さ、ちょうど後ろの校舎の窓が写らないように撮っているね。つまり窓の意味性を画面から消したわけだ。君、窓っていうと、どんな印象を受ける?」
「開放するとか、部屋の中を見るとか」
「なるほど、そうだね。違う位相との結節点。開いたり、のぞき込んだりするものだ。そういうものを君は撮らなかった」
彼はそうやって、僕の写真の中にある要素を一つ一つ読み解いていった。手際のよい解体工事のように。なんだ、この人。
「……というわけだ。さて、このへんでこの写真をまとめてみてもいいけれど、ふむ、私は批評家じゃないからね。あとは君が考えるといい。君、なかなかセンスあるよ」
「写真、お詳しいんですか?」
「いや、全然。素人だよ」
そう言って、彼はようやく僕にカメラを返した。
「ただ思想とか哲学とかは少しかじっててね。今のはその応用みたいなものさ。興味ある?」
僕は少しあっけに取られていたのかもしれない。
「少し」
「よし、じゃあ今から飲みに行こうか」
「はい?」
「飲まなきゃやってられない気分なんだ。くだらない会議に時間を費やしてやったってのに、けっきょく全部……まあ、人生においてままあることさ」
「はあ」
僕は少しだけこのあと入れていた講義のことを考えて、考えるのをやめた。
「あと、君の写真、もっと見せてくれ。おもしろそうだ」
そんなわけで、僕は彼と知り合い、ときどき講義をサボって研究室でだべったり、酒を飲んだりして、その後も長く交流が続くことになる。
*
「すまない、僕の勝手で悪いんだけど、塾への推薦の話はナシにしてほしいんだ」
作業していたPCの電源を落として、「すまない」と僕は繰り返し、それから傍のベッドに腰かけた。
午後の講義が終わり僕の部屋にやってきた彼女に、僕は覚悟して推薦の話を切り出した。彼女は僕の隣の作業台で最近撮影に行った幼稚園の写真を丁寧に整理しているところだったけれど、僕がそう話し始めると、写真を束ねてそっと脇に置いた。それから僕を見た。いつもどおりのその賢しい少女のような表情は少しだけ目を見開いて、驚いているようにも、怒っているようにも見えるけれど、僕はうまく彼女の感情を読み取ることができない。僕はベッドに座ったまま話を続けた。
「だからもし、すじかい塾への入塾をまだ希望するなら、もう僕のところに来なくてもいい。その件では、僕はもう力にはなれない」
「ここに来ない方がいいですか?」
彼女はそう訊ねた。
「いや」と僕は正直に答えた。「来てくれたほうが、僕はうれしいけどね」
そう言うと彼女は困ったような、しかし困ったことを無理やり押し込めたような抑制的な声をして、
「どうして?」
と僕に訊ねた。単純な質問は、まるでなにかの神託のようにきれいに反響して聞こえた。
「僕の不徳だな。その、思った以上に退塾した僕の評判がよくなくてさ。僕の推薦だと、たぶん通らないから。うん、ごめん、詳細までは言えない」
まさか下世話な話をするわけにもいかない。
彼女はよくわからないという風に首を傾げてみせる。責められているのだろうか、と僕は思う。仕方ない。責められても、怒りを向けられても、それは仕方ないと思う。けっきょくのところ、すべては僕のせいなのだから。「いや、その、ごめん、僕の力不足で」
だが言いわけのしようがなくなった僕を、彼女は責めなかった。
「じゃあ、私、まだここに来てもいいんですか」
「ああ、それはもちろん君の好きにしていいよ」
それはせめてものつもりで。
「どうせしばらくはこの通り忙しくもない。使えるものがあれば好きに使えばいい。本でもなんでも、カメラ以外なら持って行っていいよ」
そう言ってから、僕は気づく。それは昔、僕が先生に与えられたものと同じだった。君の好きにしていい、と。本を好きに持って行っていい、と。あれは彼の研究室、15時の光芒の中での……。
僕が過去からのイメージに引き込まれそうになるのを、窓から射し込む西日の、強い当たりが目に刺さって、僕は今を見る。15時の光が、彼女の頬を暖かく照らす。窓から床に光が落ちて、小さな灯がともったように部屋の中を照らす。八帖ほどの部屋の中には、ベッドと仕事用の作業机と本棚くらいしかめぼしい家具はなくて、机と本棚は写真や本がはみ出て積まれて整理もされないままになっている。雑な部屋だ、と思う。散らかってはいないけれど、写真と本と機材が、収まりきらなくなっている。部屋というより、巣や隠れ家という方がまだ近いのかもしれない。
彼女は僕に「はい」と言った。それがなんの「はい」であるのか、実のところ僕はよくからなかった。部屋を好きに使っていいということへの返事だったのか、推薦の話を諦めたという承諾だったのか、それとももっとべつのなにかを肯定しようとして、壊れやすい細工をそっと置くように「はい」と言ったのか。
僕は彼女を見つめている。初めて会ったときからしばらくの間、彼女は何度か髪型を変えて、それから今のシンプルなショートヘアに落ち着いた。染めるのも、やめてしまった。それがどういう心持ちからきた変化なのかはわからないけれど、今の方が彼女に似合っている気が、僕にはしていた。
彼女と出会って数ヵ月が過ぎ、季節は夏に差し掛かっていた。はじめのころは僕の部屋に来るにも、大学で見栄を張るような、上品だけれど目立たない格好と薄い化粧をしていたのだけれど、今ではすっかり馴染んだもので、すっぴんなのはもちろん、下着の線が薄く見えていてもあまり気にしてない。薄灰色の無地のTシャツに七分丈の黒のパンツというのが作業中の彼女のラフなスタイルだ。そんな格好のまま、真摯に対象を見つめる力を、今一心に僕に注いでくれている。これだけの力があるのなら、彼女はこれからいくらだって変われる。なんにだってなれるし、どこにだって行ける。
部屋と光と女の子。その光景には、なにかしら正しいものがある気がした。そうあるべきものが、正しくそうあるような。奇跡のような、平凡なような。ああ、この感じは知っている。僕は今すぐカメラを手に取るべきなのだ。この感じを、うまく画の中に切り取るべきなのだ。はやく。消えてしまう前に。
僕はその彼女の姿を――でも、やはり撮れなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?