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ただの末っ子がホームレス小谷さんに"カナダ君"と名付けられるまでの話。

みなさん、初めまして。カナダ君と申します。

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そもそも君は誰なんだ?って話ですよね笑

なので話そうと思います。

初めての自己紹介noteになります

※「読んでくださる方へ」約8分ほどかかるので時間に余裕があるときに、読んでもらえると嬉しいです。

カナダ君🇨🇦とは?

改めまして、カナダ大好きカナダ君と言います。

僕は、3人兄弟の末っ子で、親戚や家族の中で「アイドル」のような存在の子でした。常に楽しいことを考えていて、自分が笑顔でいることで周りも笑顔でいることに気づき、常に楽しいことをたくさんしていました。

①幼稚園の時の印象深いエピソード

「ハリーポッターと賢者の石」の劇の主役じゃんけんで負けちゃって、大泣きしたら、先生に怒られて、賢者の石役になっちゃいました笑

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僕は、お母さんが誰よりも大好きで自分が舞台上で楽しんでいる姿をお母さんに多くの時間見てほしかったのです。

だから、じゃんけんに挑んだのですが、負けて泣いてしまったのです。

そんなに、お母さんのことが大好きだったのです。

②小学生の時の印象深いエピソード

「お笑いにハマったことですね。」

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小学6年生の時に、幼馴染とふざけて漫才みたいにやっていて、それをたまに聞いている僕の好きな人がクスって笑ってくれることが何より嬉しかったんです。

僕は、誰かを笑顔にすることが好きでした。

自分が行った行動で自分が気になっている人が笑顔になっている事が何よりも幸せだし、自分の存在価値を見いだせていました。


③中学生の時の印象深いエピソード

そんな僕に人生の中で一番辛い出来事が起こりました。

世界一大好きなお母さんが亡くなったのです。

持病ではなく、急死に近い形でした。

僕は、世界一大好きなお母さんがこの世界からいなくなることが何よりも信じられず、ずっと
「どこか遠く旅行に行ってまた帰ってくる。」

家に帰ったら、また元気に「おかえり!」って言ってくれるって思っていました。

けど、現実は違くて、家に帰ったら前みたいに
、夕食の匂いはしないし、家の中は真っ暗でした。

けど、それでも信じられなくて、暗い部屋に向かって

「ただいま!!」と大きな声で言っていました。

また、いつか「おかえり!」って声が返ってくるのかなって信じて、

毎日、毎日、誰もいない家に「ただいま!」って言っていました。

僕は、ずっと「孤独」と戦っていました。

みんながいる中学校から真っ暗な家に帰るのが何よりも嫌で、

友達の家の前で、友達が夕食になるまでずっと友達と語っていました。

腹を抱えて、そんな現実を忘れるために、ずっと楽しい時間を過ごしていました。

父親は3人の息子を大学まで通わすために、弱さを見せずに、朝早く出て、夜遅くまで働いていました。

父さんが一番辛いはずなのに、泣いている姿もみせないで、強く生きていました。そんな父親を見て、

「僕ももう自立しないといけない。」

と心から思うようになりました。

お母さんが亡くなった後も、部活と勉強を頑張って、尊敬する父親に認められることが何よりも幸せでした。


④高校生の時の印象深いエピソード

母親が亡くなって3年、僕は高校生になりました。
ここで、

人生の中で最も悔しい大失恋を経験をしました。

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なんと、僕が好きな人に告白をする2時間前に同じクラスで同じ部活の友達に取られてしまったのです。

もっと詳しく言うと、

僕は好きな人の連絡先を交換してウキウキとLINEをやっていると、

同じクラスで同じ部活の友達から

「A子さん(僕の好きな人)のLINEを知らない?」

と言われました。

「いいよ!」

と教えました。

そして、僕が告白をする2時間前に、同じクラスで同じ部活の人がA子に告白をしていて、付き合ったのです。

僕は、その出来事を知った時に激しく後悔をしました。

なぜなら、自分が恋のキューピットになっていたからです。

さらに、僕は陸上部の長距離が専門だったのですが、

カップルストリートと言われる外周コースがあるのですが、

そこを2人が毎日歩いているんです。

そこを練習場所として通るのが何より辛くて、胸が苦しかったです。

「だって、自分がもし1日前に告白をしていたら、今自分が見ている光景は変わっていたんじゃないか」

って激しく後悔しました。

この大失恋から僕は、2つのメッセージを学びました。

1つ目は、「自分の気持ちに正直になること」

僕は、彼女になってしまったA子を

「2人で帰ろう!」と誘っても、「電話をしよう!」と言っても

「ごめん。彼氏がいるから。」と言われて、

昨日までの当たり前が今日、当たり前ではなくなっていると言うこと

を心から痛感しました。


このエピソードがどこか、母親の死と繋がったんです。

僕はまた、同じミスをしてしまったと思いました。

だから余計、苦しかったんです。


お母さんが亡くなった時も

「めちゃくちゃお世話になったのに、こんなにも愛してくれて、どんな時でも優しく包み込んでくれたのに。」

僕は亡くなることなんて、知らなかったから、
恩返しをすることができなかった。
それが、どれだけ悔しかったことか。


この大失恋でも同じ。

「自分が好きになった人、僕にとって大事な人は失いたくない。自分の手で幸せにしたい。」

そう思っていたのに、またできなかった。また、自分の大切な人は自分の元から離れていって、自分で幸せにすることができなかった。


それが、とても悔しくて、辛くて、泣き叫んだ。


どこか高1の時に好きになった人と母親を重ねていたのかもしれない。


自分の気持ちに素直になって、大切な人を大切にしよう。

と心に決めた。


2つ目は、「孤独は最大の敵だということ」

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僕は、カップルストリートを2人が歩いているところを見て、

まるで「お前はずっと1人だ。孤独に生きてくんだよ。」

と言われているようだった。


僕は、また母親を亡くしたときのような「孤独感」を感じたくない。


そう強く感じていました。

僕の人生での最大の敵は「孤独」だと心からわかりました。

高校生の僕は、幸いにも部活のメンバーに恵まれて、部内恋愛禁止だったことから、女子のメンバーにも自分の大失恋の話をして、弱さを見せていました。

自分の人間らしく「泣いている姿」や「弱さ」を見て共感してくれる人が多くて、みんな僕の話を聞いてくれました。

本当にありがとう、陸上部のメンバー。

⑤大学1年の印象深いエピソード

大学生になった時の僕は、

学歴コンプレックスを抱えていました。

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学歴コンプレックスとは、自分の大学名を周りと比べて気にしていることです。

僕は、高校受験に失敗して大学受験をすることを怖く思い、特別推薦でエスカレーターで大学に進学しました。

すると、周りの人から

「え?そこの大学行くの?やめといたほうがいいよ。」

「チャラい人が多いし、就職難しいんじゃない?」

とさえ言われていました。

そこから自分の大学名を言うのが怖くなり、編入学か仮面浪人をしようかと思っていました。

「このままでは就職活動でやばい。」と思っていました。

そんな精神状態だったため、サークルに入るのも怖く、そこの大学にいる人たちのことをみんな見下していました。

僕の大学の隣に自分が入りたい大学があったため、試しにそこの国際交流サークルに入りました。

すると、「あそこの大学からよく来たね!」と言われて少し嬉しかったです。

しかし、少し違和感がありました。

「大学名を言うだけで偏見を持たれている。」

と言うことです。

それを打破するために、いろんなイベントに参加していろんな大学の友達を作っていきました。

同じ大学のとある尊敬する先輩にイベントで出会い、

「学歴コンプレックスとかないですか?」

と質問をしたら、

「大学名よりも自分の名前が有名になればいんじゃないの?」

と言われて、この人すごいっとビックリしました。

なぜなら、

自分が今まで「環境」を言い訳にして、自分が挑戦していないことに気づかされたからです。

また、

「就活をする時だって、周りの人と同じ大学名を言う。

だったら、もっと行動しないといけない。」

そう焦りを感じ始めました。


その日から、

国際交流サークルに入って留学生の困りごとを解決したり、

よさこいサークルに入って名古屋で一番大きな祭りで踊ったり、

お化け屋敷でキャストのアルバイトをして、自分のやりたいことをたくさんしていきました。

留学生と仲良くなって、いろいろと話していくと

こんな質問をされました。

「よっしーの夢はいつ叶えるの?

海外で働きたいって言ってるけど、いつになったらそれを叶えるの?」

その時に、やばいって思いました。

そうか、「大学生活は夢を叶える準備期間」なんだと気づきました。

長期留学と海外で働くの夢を叶えれる方法を探していると、

ワーキングホリデー留学というのもを知り、

2年生を休学してカナダ・トロントに留学をしました。

⑥休学してカナダ留学をした時の印象深いエピソード

19歳で渡ったカナダでの印象的な出来事は

「自分は思ったよりできる!」ってことを強く自覚したことです。

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だって、英語力がTOEIC345点で自己紹介もあまりできなかった僕が

最終的に

カナダのダウンタウンにある有名なカフェの店舗で日本人初となるバリスタとして採用されたんですから笑

しかも、マネージャーと喧嘩して1回解雇されました笑

3ヶ月くらいカフェに採用されませんでしたが、それでもカフェに通い続けて履歴書を渡し続けました。そしたら、カフェのマネージャーと会うことができて、採用してもらったんです。しかし、日本のカフェで働いたことがなかった僕は業務内容を覚えれず、怒られて、いろんな店舗に飛ばされました。笑

そして、元の店舗に帰ってきたら、

「1ヶ月君のシフトはない。」

と言われて、

「そんなんじゃ生きていけないじゃないか。」

と喧嘩したら解雇されちゃいました笑

解雇された次の日、激しく後悔しました。

しかし、どうにかして「もう一度働きたい!」と思い、いろんな店舗に飛ばされて仲良くなった時の同僚にメッセージを飛ばしたら、とあるカナダ人が

「え?よっしー!本当に?だったらうちに来て!」

と言ってくれて、僕を雇ってくれました。

そうして、僕はまた別の店舗でバリスタとして働き始めました。


この留学を通して、

僕はどんなに失敗しても必ず這い上がれることを証明することができました。また、英語力がなくても努力を続けていれば夢は叶うことを実感することができました。

⑦大学2年の印象深いエピソード1つ目

大学2年の印象深いエピソードは
2つあるのですが、1つ目は、

「お前だけ1人でやってろ。」と言われた海外インターンシップの話です。

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帰国後に

「今度は、海外でビジネスをやりたい!」

と思ったのと

「友達ができない自分を変えたい!」

と思った理由から、新興国ベトナムにビジネスをしにいきました。

この海外インターンシップは、

「ベトナムで2週間で新規事業を作る」

という海外インターンシップです。


そこで、僕はビジネスではなく、人間関係を学びました。

結論から言うと、ファシリテーターとの個人面談で

「お前だけ1人でやってろ。他のメンバーはチームでやると思うけど。」

と言われてしまったんです。

というのも、

4人1チームで新規事業を作るインターンシップだったのですが、

僕がカナダで1人で成果を出してきて自信満々にリーダーシップをとって、チームで動こうと思っていたけど、うまくいかず、

「チームよりも個人でやったほうが成果を出せると思うんです」

とファシリテーターに言ってしまったからです。


僕はファシリテーターの方と個人面談をして気づきました。

・成果を出すために自分を犠牲にして孤独を選んでいたこと。

弱さを出したらみんなが離れていくと思っていたこと。

「自分が弱さを開示して、チームが崩壊して2週間後に成果を出せないくらいだったら、自分が弱さを閉じ込めて、孤独を選んで1人で戦えば成果を出せると思っていた。」

一見、かっこよく聞こえるかもしれないけど、

それでは何も変わらない。

だって、1人で成果を出せることぐらいカナダ留学で証明できたからだ。

「君は、チームではどうなんだ?成果を出せるのか?」

そう言われている気がして、

弱さを開示することを始めたきっかけになった海外インターンシップ。


【追記】大学2年の印象深いエピソード2つ目

親が再婚した。

先程の海外インターンシップよりも、
僕の内側に影響を与えたエピソードなので追記させていただきました。

(留学前の話)

兄貴と父親と僕とで、

何故か都会のレストランでご飯を食べることになりました。

「父さん、なんで今日はここで食べるの?」

と聞くと、

「実は紹介したい人がいてな…」

と。まさに衝撃的でした。

(母親が亡くなって7年が経っていました。)

兄貴2人は、実家に住んでいないからか
3ヶ月前にこの話を聞いていたそうです。
僕は、登場する5分前に聞いたのです。

「なんで、実家に住んでいる俺が1番影響を受けるのに、伝えるのが一番遅かったのか。」

イライラと諦めがごろごろしてました。

そして、再婚相手が登場して、
僕だけ心の準備ができてない中
その会は終わりました。

父親が僕に「再婚していいか?」と聞いてきたので、

少し悩んだ結果、

「今まで僕はとても自由に生きさせてもらったから、父さんの好きにしてよいよ。」

と答えました。

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(そして留学から帰国。)

僕は1年前に言ったことをすっかり忘れてました。

帰国のお迎えに、その再婚相手と父親がいました。

「すでに再婚をしていた。」

親が再婚することで変化すること
①部屋の中身が変わる。
②再婚相手が母親のようなポジションになる。
③新しい子どもが生まれる。

そして、実家に帰ると、

①『部屋の中が変わっていました。

新しい家具が置いてある。
家具の配置が変わってる。
前あったものがない。


新しいものが増えてるだけならよいですが、
母親が大切にしていたものも綺麗に捨てられていました。
父親にきいても「あっ、捨てたよ。」の一言。

再婚するってそういうことなのかな。


僕の実家は、

まるで他人の家になったかのようだ。


②『再婚相手が母親のようなポジションになる。』

僕は、カナダに留学をしていたので、

知らない人と住むことには慣れていました。

しかし、

「部屋が汚いから綺麗にしなさい。」
「夜ご飯の連絡をしなさい。」
「朝早く起きなさい。」

と生活習慣に、口出しをしてきたのです。

僕のお母さんなら、わかる。しかし、

「そもそも誰だよ。
聞いてない。再婚するなんて。
一緒に住んでんじゃねぇよ。」


僕が1年前に「いいよ。」と言ったのにもかかわず、
再婚相手に直接言ってしまいました。


僕がこんなことを言ってしまったのは、

心の奥底では、「許してなかった。」だと思いました。

再婚することで

起こる実家の変化を想像できてなくて、

僕の心を破裂させていました。


③『新しい子どもが生まれる。』

さらに、これだけでは終わらず、

父親から

子どもが3ヶ月後に生まれるからよろしくね!

と。


「よろしく」ってなんだ。
子どもってそんなすぐに生まれるのか?
また、俺だけ直前に伝えてんじゃねえよ。

もう、この実家に僕の居場所なんかない。

僕は3人兄弟の末っ子として育ったのに、
僕より下が増えるだと。信じられないし、信じたくない。

再婚相手と父親は、
結婚してまだ1年だからか、
「新婚カップルの振る舞い」をしていた。


ぼくは、
「新婚カップルに居候するフリーター」
のようだ。

そして、子どもが生まれる。

家は大きく変化する。

赤ちゃんの声が家中に響く

子どもが生まれてから

この家の中での最優先な人が

(新しく生まれた)妹に変わった。


(今では、この環境になれて、居心地がよくなって、妹とも仲良く遊んでいるが)

留学帰国後の実家にいたときは、

本当に家から出たかった。
自分の居場所を探していた。

「お前はもう巣立つときだ。はやくどこかにいけ。」

そう、悪魔にでも言われているようだった。

留学プライドで大学で友達もできず、
実家でも自分の居場所がなくて、

僕はいつまでたっても
「孤独」
と戦い続けなければいけないのかな。

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この時間は人生の中でも




1番居心地が悪く大事なものを失った時間
でもあった。


家からはやく出たくて、再婚相手との時間を
少しでも減らしたくて、

大学2年の3月から半年間の
他県の企業でインターンシップを始めた。
他県ですることで、そこの会社の近くのアパートで
一人暮らしができると思ったからだ。

最もな理由ぽく書いて、
インターンシップをはじめたけど、

本当は、

"僕を受け入れてくれる母親のような
安心させてくれる人がほしかった。"

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そのインターンシップの話が、
カッコつけて次に書いてある。

⑧大学3年の印象深いエピソード

大学3年生になって、印象的だったエピソードは

「自分で問題を見つけて、解決できて、さらに周りを巻き込むことができるようになった」彫刻刀YouTuberインターンシップ

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僕は、ずっと「企業で働く」ということをイメージできずにいた。

また、カナダ留学で

「日本の魅力について自分が語れないこと」にとても恥じていた。

さらに大学1年の時に気楽に参加した

「長期インターンシップの報告会で話している大学生があまりにかっこよすぎて、自分も学生のうちに企業の中で働いて成果を出せる人になりたい!

と思うようになり、

「日本の伝統的な物を作っている中小企業で長期インターンシップをしたい!」

と思っていた。

そこで見つけた

「彫刻刀の製造会社でYouTuberになる。」というインターンシップ

彫刻刀を使った動画を撮影することでインターン先の会社のブランド価値を向上させるという鬼難しいインターンシップでした。


インターン生は僕1人です。そう、僕が動かないと何も始まりません。


結論から言うと、

「自分で問題を見つけて解決しながら周りを巻き込むこと」

ができるようになっていました。


海外インターンシップで恐れていたグループワークができるようになっていたのです。具体的に話すと、インターン生は僕1人なのですが、社員を巻き込ませることは自由にできるわけです。

そのため、現場で活躍されている彫刻刀職人さんと仲良くなってコラボ動画を撮影したり、テレビ局に突撃して、外部の人とコラボしたり、僕以外の人を巻き込むことで動画再生回数が伸びて、最終的なゴールでもある

「ブランド価値」を向上させることができたんです。

このインターンで学んだこと

自分が困っていること(弱さ)を開示することで周りが助けてくれるようになったこと。

・すぐ人に頼るのではなくて、自分で「何が足りなくてどうやったら解決できるのか」を考えることができたこと。


人間らしく困っている、失敗している
それをオープンにすることで社員の人には愛されていきました。


その結果、最初は社員の人も見てくれなかった動画も

多くの人が見てくれるようになり、外部の人も巻き込むことに成功しました。


インターン生は1人かもしれないけど、僕は1人なんかじゃない。

そう思える最高に幸せなインターンシップ先でした。

本当にありがとうございます!!!

⑨大学4年の印象深いエピソード

大学4年生になって印象的だったエピソードは、

「自分のOSを何度もアップデートできたこと」です。

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1年のころに怖がっていた「就職活動」と戦う日が来たのです。


就職活動をしていて、自分がちょっとでも興味ある企業にいっては、

自分の自慢話のような話をしては、落ちて、自慢話をしては、落ちて

を繰返していました。


就職活動をただの自分の欲求を満たすためにやってしまったのです。


そう、弱さを一切見せずに自分が頑張ってきたこと、成果を出してきたことを自慢気にグループ面談などで話していきました。


すると、ある方に

「弱さを見せない人と一緒に働きたい人なんかいないよ。」

と言われてしまいました。


そこでもっと自分に素直になって、会社を受けていましたが、それでも落とされて、なんだか

「お祈りメール」=「自己否定をされている」

ような気持ちになっていました。

そんな時に、周りがだんだんと就職活動が終わっていくのを見て、

「今まで学生生活で頑張ってきたのは、無駄だったのかなぁ。」

なんて思うようになって、就活で頑張っている人を否定したり、逃げようとしたり、家で引きこもったりしました。


今度はそんな自分をいろんなところで否定されるようになってきました。


「まだ就活してるの?」

「なんで就活しないでアルバイトしているの?」

「将来どうすんの?」

「親のすねをかじって生きていくの?」


そんな言葉を毎日聞いています。


そんなのわかってるよ、

誰にも言われないでも。わかってるよ。

自分が一番わかっているんだよ。今の状態が情けないって。

だから日々行動している。自分が尊敬している人に会ったり、人事に会いにいったりしている。


1回、人生のリセットが今起きているんだよ。

今まで他人の目を気にして生きてきた。

それなりに頑張ってきた。けど、就活で成果が出ない。


「自分は社会不適合者なんじゃないかと思う。」


こんな僕を誇りに思えない僕をとてもいやだ。

このnoteを読んでくれた人もわかってくれてるかもしれない。

自分は成果を出さないと自分の存在価値なんて「ない!」と思ってしまっている。

まさに今の状態がそう思ってしまう。


僕は、この人生

22年間全力で駆け抜けてきたけど、

就職活動でしくじったよ。笑


最高に面白いネタができたのかもしれないね笑

こっから面白い人生が待っているのかもしれない。

⑩「カナダ君🇨🇦」誕生

自分のキャラに困っていた時に小谷さんとzoomをした。

カナダ君

今年の2月に札幌雪まつりで絵本展のスタッフをしたり、3月にサロンメンバーに会いに日本縦断の旅をしました。2回目の株式会社NISHINOのインターンにも応募しました。

しかし、落ちることが多く「自分をどうやって売ればいいのか」すごく困っていました。その時に小谷さんとzoomをして人生史上イケていたカナダ留学の話をしていたら、

「そんなにカナダ好きなんやったら、カナダ君でええやん。」

そう言われて「カナダ君🇨🇦」になりました。笑

もう、テキトーofテキトーですが、小谷さんの多角的な視点とネーミングセンスにより、現在、カナダ君のファンが増加しています。

⑪本当の僕

あなたからはもしかしたら、僕は行動的で強そうに見えるかもしれない。

けど、本当は孤独が大嫌いで、弱音を開示したい。

「誰かと一緒にいないと死んでしまうくらい寂しがりや。」

でも「強く生きないといけない」って13歳の母親が亡くなってから思っていて、強く演じているのだよ。


「僕は、他人と比べるんじゃなくて、

自分の道を歩みたい。

自分の行動で、国籍とか性別とか関係なくて、

みんなが笑っているような場所を作りたい。」


僕が生まれてきた理由は、

自分のような孤独を感じている人を減らして、

1人でも多くの人にこの人生を楽しんでほしい。

心から「楽しい!」と思えるようなものを提供したい。


僕の最大の敵でもある

「孤独」をこの世界からなくしたい。

そして、もっと言えば、
僕は

自分の行動によって周りの人を笑顔にさせて、
「孤独」を感じている人たちを減らしていきたい。
そして、世界中の誰とでも分かち合いたい。


世界中みんなの気持ちを理解するために、
僕は英語を学んだのかもしれない。



以上です。

本当にここまで読んでくださりありがとうございました。

途中、カナダ君はなんども涙しながら書いているので、文字が間違えているかもしれませんが、温かく見守ってください。


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