中学生時代の仲が悪かったクラス(合唱編②)



ー前回のあらすじー

今から20年程前の

私の中学生時代。

3年間通してクラス仲が悪かったYO!

厨二病真っ只中のクソガキ達の集まりで
先生たちも苦労してたけど、

「合唱」だけは得意だった!

なぜかって?

田舎には

「カラオケ」という娯楽しか
なかったからサ!!!!!!

小学生時代から歌うことを楽しむ教育を受けてきたのDA⭐︎


↓前回の記事はこちら。






そんな背景があり、
仲の悪いクソガキ共のクラスだが「歌うこと」に関しては
真剣に取り組む姿勢があった。


ヤジを飛ばすヤンキーかぶれの男子1名と
その取り巻きの男子1名は

絶賛反抗期をかましていたため
だるそうにくずりながらではあるが、
練習も本番もちゃんと参加していた。


パート分けののち、
ひたすらパートごとの練習をこなし


音楽の時間に合わせる。


その都度先生の厳しい指導は入るが、
パート分けされた歌声が合わさる瞬間は



なんというか


とてもスッキリとした開放感があった。

きっと他の同級生たちも
同じ気持ちを感じていたのだろう。



合唱の発表舞台は

主に文化祭だ。





特に大きなコンクールに出たりとかはなかったのだが、

「このクラスは合唱がとても良いね〜!」という声を


先生方や親御さんからもいただいたり、


自分達自身も
「合唱が上手い」という自覚は持っていたため、


発表できる場には
自然と気合が入った。







中学1〜3年生までに
合唱した曲は

20年以上経った今でも曲名とメロディを覚えている。



中学2〜3年生の時に


担任の先生が
女性の音楽の先生になった。


厳しくも、的を得た指導と、
ヤジにも屈しないサバサバとした性格の先生。


大人しめの性格だった私とは正反対の性格で

ちょっと苦手だな・・と当時は思っていたが、



今はすごく尊敬している。





この担任の先生(M先生)のおかげで


中学最後の文化祭と
卒業式の合唱は


非常に思い出深いものとなった。


M先生は

私たちが2年生の時から
合唱の指導をしてくれていたため、


生徒一人一人の
声の特徴も知っており
練習の進め方にも慣れていた。


そこで3年生に上がってから合唱曲の課題に決まったのが


  『聞こえる』


という曲だったのだが、

CDでお手本の合唱を聴いて、

初見で

「難しそう」と感じる曲だった。

難しそすぎて訳がわからない曲だと思った。



調べると、


どうやら90年代のNコンで
高校生の課題曲として作られた合唱曲らしい。


歌詞も難しい言葉が多いのは、
天安門事件や
海洋汚染などの環境破壊、
ベルリンの壁崩壊などの歴史的事件の
世界的な問題を暗示的に表してるからなのだそう。




パートも男2、女2ずつに分かれ
曲調も1曲のうちに4パターンくらいに変わり

転調も輪唱も多く
複雑なつくりだった。




クソガキ中学3年生32人に歌わせるには
だいぶハードルが高い曲だったのだが、


M先生は

受験を控えた
クソガキ共に

この『聞こえる』という難曲を


見事に指導しきって、


文化祭・そして卒業式の舞台で
私たちに合唱させたのである。





複雑で難曲ゆえに

音が聞き取れず
自分のパートを覚えられなかったり、

パートごとで揉めたり、

男子が歌わなくなったり、


練習の足並みが揃わないことも多かったし、


1〜3年生までずっと
伴奏を担当してくれていた女の子も


ピアノ伴奏の難しさもあり
先生と一緒に音楽室に残って

泣きながら練習していたこともあった。

指揮者の子も
よく居残って
先生と一緒に練習していた。


もう合唱の練習、
「嫌だ・・・。」と思っていた生徒も

だいぶ多かったと思う。

それでも「文化祭で合唱曲を歌う」というのが
決まりであったため、


そこに向けて

嫌々ながらも必死に何度も練習をした。



そんな時期を経て、



文化祭の合唱に臨んだ。




次回(合唱編③)に続く

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