秋の畠山重忠公壁芝居ーリベンジ開催に向けて準備はじめました
■6月の壁芝居は商店街アーケードで
今年は鎌倉殿の13人のおかげで二俣川合戦の地元では重忠イヤーです。合戦があった6月には、畠山重忠遺烈碑すぐそばの商店街アーケードで、武蔵国に生まれ二俣川に散った重忠の鮮烈な生涯を描く壁芝居をやりました。
会場となった商店街、開けているお店が一軒だけ。あとはみな埃だらけのシャッターが下りたまま、古寂れた商店街です。子どものころに遊んだ記憶がありますが、いま子どもたちの声は響かず、楽しかった往時の面影はありません。夕方に点灯するアーケード内の電灯はひとつかふたつ。通る人も少ない、うす暗い通りです。
このシャッターを使って壁新聞ならぬ壁芝居をやろうと思い立ったのが、今年の大河ドラマ鎌倉殿がスタートした1月でした。二俣川合戦があった6月22日は重忠はじめ、由比ガ浜で討たれた息子重保や重忠に従った多くの武士たちの命日です。6月22日までの5日間、アーケードに重忠の生涯を描く絵と文と合戦いまむかし図を展示して、万騎が原はじめみなさまに楽しんでいただこうという企画でした。明治25年に二俣川村民有志が建立した遺烈碑を地元の人びとに知ってもらいたいという気持ちもありました。
半年かけて準備したあいだ、山あり谷あり、いろいろでした。まちの方々が陰になり日向になり支えてくださって、無事に完走しました。感謝や反省をこめて細かい話を書きたいのですが、山あり谷ありすぎて勇気がいります。
■菊の前のお導き?ー秋の壁芝居のきっかけ
準備のころ、大河ドラマでは重忠は秋まで生きていそうだという噂が流れました。壁芝居を喜んでくださるまちの方々とお会いして、秋にもう一度、まちのどこかで展示をやりたくなりました。壁芝居のあと、声をかけてくださる方が多くなったのが嬉しく、そんな気持ちになったのです。
秋企画、最初の案は惜しくも流れました。理由はわかりません。鎌倉殿の二俣川合戦は刻々と近づいています。もう無理かなと諦めかけていた9月9日、会場の協力をしてくださる方と出会いました。
嬉しい。9月9日は重陽の節句で菊のお菓子でも買いに行こうかと母と出かけた帰り道のことでした。重忠の最初の妻といわれ、鶴ヶ峰駕籠塚に葬られたと伝わる菊の前のおかげかもしれません。菊のように美しい女性だったのでしょう。
秋の壁芝居に向けて、準備をはじめます。できればドラマの二俣川合戦に間に合わせたい。ドラマでは武蔵国の領地支配をめぐり、時政と重忠の間に不穏な空気が満ち満ちています(余計な話ですが、合戦があった二俣川・万騎が原界隈は武蔵国と相模国の国境にあたるところです)。どうなるかわかりませんが、時間は迫っています。
■まずは絵の修復と追加
とりあえず、6月の壁芝居の片付けのときに壊してしまった絵の修復からはじめます。修復がむずかしければ描き直しです。それから、菊の前のお父様、重忠の義父にあたる足立遠元と重忠のツーショットを描いた一枚を追加したいです。
6月壁芝居の準備をリアルタイムの勢いで書いておけばよかったと反省しきりなので、今回はリアルタイムで勇気をふるい、ちょっとずつでもnoteに書いていきたいです。
■まえもってお詫び
話はたぶん飛び飛びでごちゃごちゃ。時系列とはいえ、ドタバタでわからんnoteばかりになるかもしれません。現実はいつもこんなものと、お読みくださるみなさま、どうか優しく笑ってご容赦ください。では、秋の壁芝居に向けてがんばります!☆!
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