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ケア日記ー春のちから 4月6日

春の知らせを聞いたかとおもえば気が早い夏日もやってきました まだ朝晩は冷える日もあり一日の寒暖差が大きいのはお年寄りには人知れず難儀といいます 母といえばおかげさまですこぶる調子よく人知れず元気をもてあましています

コロナ禍のおり遠出はしません 近所にある広々とした自然公園によく散歩に行きます お天気よく気分がよいときはひとやすみもせずテクテクよく歩きます 歩きたいだけ歩いて帰宅するとますます元気になりよく食べます このごろ母のお皿は娘のわたしよりも盛り付けをよくするのがあたりまえになりました

母はなんといっても食欲旺盛、油断すると2食分くらい食べているときもあります 腹八分目といいますがどうなのでしょう 健康法はよくわかりません 食べ物を美味しくいただいて気力に満ちていればそれでいいことにしています

このごろ母の胸のなかは「もうケアなんかとんでもない、いらないわ なんでも自分ひとりでできるもの!」で占められ、「動きたくてたまらないのにコロナコロナでちっとも思うようにならないわ」になっているようです わたしがうるさくいって毎日バイタルを測ればいつもオールノーマル 体重計にのればしっかりノーマル、軽い服に着替えて体を動かせばすっかりご機嫌、久しぶりに人やワンちゃんたちと会うのが心底嬉しいとなれば、文句のつけようもありません 否、下手なケアの手出しをしようもありません

とうとう最後までヘルパーさんにまったく頼らず父のホームケアをがんばっていた頃の母は身体があちこち痛くなるほど無理を押して気丈にがんばっていました いまおもえば元気とはちょっと違うのでした 母は昔から決して弱音を吐かない性質らしく、父を看ながらこぼすような言葉はまるで聞いたことがありません

たしか前に書きましたが、父のホームケアで母は肩関節を相当に痛めました 思い切って相談した肩関節専門の若い医師から最新の人工関節への取り替え一択と宣告され、回復の程度がみえない一択の選択肢にのってよいのか悩んだものでした あのころは母子とも壁際ギリギリまで追いつめられ、光さす方向がみえない日々でした

いま、母の口癖は「わたしは自然にやっているの」です 自分の気持ちのおもむくまま泰然自若至って自然に暮らしているのでしょう ケアする側のわたしは毎日五里霧中の一生懸命どうすればよいかを考えミスがあってはいけないと石橋を叩き、母はお気に入りのスニーカーを履いて石橋のうえで自然にまかせ無理がない形を探し探ししてきたのでしょう そうこうするうちに冬が去り、春が訪れ、母は辛かった日々が嘘のように血色よく体もよく動くようになりました 

父を亡くしてからさほど長い時間がたたない母と向き合って暮らしながら気づいた、母が生きるまるくなった円環的時間もどこへ消えたかこのごろほとんど姿を現さなくなりました

シマリスやホッキョクグマは気温が低く食料が少ない寒い冬のあいだ生きるエネルギーの消費を最小限にするために冬眠するといいます 子どもの頃読んだ童話に、冬眠のあいだの食糧を蓄えるため、森のなかを走り回ってクルミの実を集めるシマリスの話を読んだことがありました シマリスがクルミを探しては大事そうに雪の下の土に埋めてゆくこの話が大好きで小さい頃に習っていた油絵の題材にしたこともありました いつもより大きめのカンバスをはじめて買ってきて、クルミの実をいっぱい土のなかに隠して木のほら穴に戻り、さあ準備はできた冬眠をはじめようというリスを描きました

母は冬の間、だれに教えられたわけでもなく生きるエネルギー消費を最小限にしてまるめた時間を何度も内回りにまわっていたのかもしれません あたりが春になり黄色い菜花に薄紫のスミレ、色とりどりのチューリップとビオラ、暖かな黄色のフリージア朝ごとになにかしら春色の花が庭に咲くと、母はまた誰に教えられたわけでもなくまるめた時間の殻をもういらないわとさっさと脱ぎ捨てたのかもしれません 母が生きる時間の形に自然の四季があろうとは思いもよりませんでした

草木が芽吹けば、年を重ねた母の心身にもエネルギーが芽吹いているのでしょう ネットや本で調べてはああかこうかとおもいめぐらせている娘の手探りケアなど無用となった母が春の陽気に誘われ嬉々として支度をする後ろ姿をながめながらわたしはパソコンと本をパタンと閉じ、自然がもたらす生命のちからを実感しています

ここまでお読みいただきましてありがとうございました☆  


 

 

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