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ケア日記ーゆるっと半年

そろそろもうだめかな。はじめから自信があったわけではない。その都度ああかこうか手探りしているだけの家事ケア仕事暮らし。かれこれ8年過ぎたろうか。

半年ほど前のこと。母にも自分にもいちいちモノサシをあてて考えるのもうよそうっと思いつき、というか階段を転げるようにそこまで考えが落っこちていき、いろいろ放下してゆるっとケアになった。

いいもわるいもない。お手上げを受けいれそうするしかなかった。

それでもって半年どうにかやってきた。いま、ゆるっとケアでは間に合わなくなっているみたいだ。なにが間に合わないのか混沌としてわからない。丁寧に慎重に言葉を交わしてみてもどうもいつも理解とはちがう感じになるのだから仕方ない。

家事ケア仕事の毎日はたいして変わらないけれど、母の不満みたいなものがつもりつもってプスプス噴火してきたのか、わたしのなかにムクムクなにかが沸き上がって自分でも抑えられないのか、よくわからない。

ここでちょっとひと休み。お茶をいれ、飲んでみる。落ち着けない。ついでにお風呂に入る。家にいても母のペースとボルテージを忘れすこしゆっくりしよう。

水の音に癒される。湯気に癒される。なにかに追いつめられた心身が無条件に温まる。湯治というのはこのことか、内湯でさっぱりした。生き返った。

湯上がりにのんびりしながら、もしかしてゆるっと度が足りないかもと思い始める。ケアと呼ぶかどうか置いて、ゆるっとゆるめて楽になったつもりでも煮詰まる。知らず知らずまだ自分を縛っているかもしれない。

もっとゆるめてゆるゆるしてみよう。どのみちわからない。答えはない。ただやり場のない今日をやり過ごすたよりがほしい。なんでもなかったような顔をして朝を迎えられればいいだけだ。



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