見出し画像

ケア日記ーホットワイン 1月13日

新年もあいかわらず横浜の山岳地帯に暮らしています 緑は深く小鳥は鳴き横浜の中心地よりたいてい気温が1,2度低いです 小石のような雹がひとしきりバラバラと降った日のあとは、春が来たようにぽかぽかとあたたかでした

車に乗って妹がやってきました お茶をいれたり、洗濯物を干しながらひなたぼっこしたり、凍ってどこかが壊れ水もれする庭の水まきホースを取り替えようと話したり 南向きの庭先においた鉢植えより朝陽がさすだけのガレージの寄せ植えは花が咲かないわねといってみたり、父が好きだった松本民芸の机の引き出しから見つけた七五三祝いの古い記念写真を広げて昔話を繰りひろげたり、とりたててなんの用事もなくても3人そろうと母はニコニコとご機嫌、ふだんはあまり見せない笑顔がこぼれ、ローズ色の頬紅をひいたように頬に赤みが差し元気になります

冬の風を頬に感じ妹と母の顔をみながらいいました「このごろさすがに寒いわよね クリスマスに栓をあけた赤ワインが少し残ったので料理用にとっておいたの あれでホットワインいただこうかしら」「いいんじゃない? ワインただあっためるだけよ」

赤ワインをミルク沸かしに注いでガス台にのせながらどちらにともなくいいました「お燗みたいなものよね」「そうよ、アルコールが飛ぶしちょうどいいじゃない」

熱したワインを紺色の小振りなマグカップに注ぎながら妹にいいました「これたしかドイツのお土産だったわね」「そうドイツの空港の待ち時間のとき、クリスマスマーケットで買ったのよ」「フランクフルトでしょ?」「そう」

わたしが東京でひとり暮らしをし、仕事に縛り付けられて休日はほとんどサービス出勤ふだんは午前さまばかりでろくに睡眠時間もなく、横浜の家に帰ることもままならなったあいだ、母と妹は何度か女二人の海外旅行をしていたといいます 父はお前たち行ってこいといって留守番役、もう10年くらい前のことです 

父はひとりでお茶を飲もうにもお湯もろくろく沸かせないというのに、東京にいるわたしに連絡してなんとかしろと言ってくることは一度もありませんでした わたしは母と妹が海外にいることすら知らぬままで、留守居のあいだ父はひとりでどうして過ごしていたのかとおもいます 頑固で厳しいのに変なところでやせ我慢をして考えてみればずいぶん優しい父でした

妹が話しはじめました「イタリアへ行く途中にね、ドイツの空港で待ち時間があったのよ」「あーそう」「フランクフルト空港で待ち時間があって、クリスマスマーケットとなんとかいう有名な哲学者の家に行ったの」「有名な哲学者の家?まさか?」わたしの哲学の先生はフランクフルト生まれのドイツ人です いつのまに先生はドイツでは旅行者が生家に寄るような有名な方になられたのでしょうか? 

「2人でまさかリーゼンフーバー先生が生まれたお宅へ行ったの?」「ちがうわよリーゼンフーバー先生はお姉ちゃんの先生でしょう? だれだかわからないけど有名な哲学者の家よ」「だれの家かわからないひとの家に行ってきたの?よくやるわねえ」「そうよいいじゃないの2文字で真ん中引っ張る哲学のひとよ」妹は勝ち誇ったようにいう 

あっそうか、2人はかのゲーテハウスに行ったんだわ

空港の待ち時間にクリスマスマーケットでホットワインを飲み、ゲーテハウスを見てきたという2人は冬のフランクフルト市街を寒さをものともせずに駆けまわった日を思いだしたのか、すっかりドイツ通の顔になってすましていました なにを聞かれても答えられるわよといいたげな自信さえただよっていました 

急ぎ足で立ち寄ったクリスマスマーケットではじめて飲んだホットワインがおいしかったといって2人は記念にホットワイン用の?マグカップを買ってきてくれたのです そういえばイタリア旅行やらの話をちらっと聞いた覚えがあります 当時はたまに横浜の家に帰っても家族の話は斜め聞きでほとんど耳に入っていませんでした 仕事に夢中というより必死だった頃です マグの濃紺はクリスマスの夜空の色、ちいさいわりに持つと手重りがするので、コーヒーマグには使いにくい感じがしました そんなわけでマグはほとんど使わないまま10年も食器棚のすみにおさまっていました

棚の奥の方から紺色をとりだしてしげしげと絵模様をみながらわたしは妹にいいました「紺色可愛いじゃない? はじめて使うわ」「どーぞ」「今なら赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットにもありそうだけどやっぱり思い出よね」「そうそう」姉妹のやりとりを聞きながら母はいたくゴキゲンでした

おととしの夏の真っ盛り、父は瞑目しました 四六時中どこかに居場所を占めていた父の姿がなくなった家のなかで母の視線はいつも父を探していました 障子を開ければ定位置に父がいる暮らしは長年身に染み込んでいて簡単に抜けるものではありません 母のメンタルを考えながらの母のケア暮らしがはじまりました 

父の姿が家のなかにみえなくなってさびしいのはわたしも同じだけれど、なぐさめたらかえって自分までさびしくなりそうでできないなあ、なぐさめて一緒にしんみりするよりなんでもいいから用事をして楽しく過ごそうなんておもいながら暮らしてきました

いつもの場所に父がいない家で二年あまり経って気づいたこと、それは母が一番生き生きと楽しげなのは昔の思い出話の花が咲いているときだということです 父と母が若い姿で登場する昔話に浸っているときの母はそれからそれへと走り書きのような細々としたエピソードを思い出しては大いに盛り上がり、安心に満ちた顔をみせてくれます

いまの母の時間はまっすぐ前に向いた直線ではありません 流れる時間のなかにいつも思い出をたぐりよせ探すようなまるい時間です 庭に吹く冬の風を頬に感じ、ホットワインをつくって紺色のマグで飲んでみたら、クリスマスシーズンのドイツで飲んだ一杯のホットワインが母の時間のなかでメリーゴーランドのように回っていることを知りました 

きっとお気に入りの冬のコートでも着ていったのでしょう 10年前くらいの出来事が楽しかった思い出となって母の時間のなかにあると知ったのは少々驚きでした 母が生きる世界は古き良き昭和の思い出ばかりでできているのではなさそうです

フランクフルトの冬の空気を思いだしたように母がいいました「ドイツはホットワインがよかったわね 赤ワインでつくるのよ」「はいはい赤ね」「寝る前のナイトキャップにしなさい」「はいはい冷える晩はしんからあったまりそうね」

繭につつまれたカイコのように満足気な母の顔をみるうちに、わたしも繭のなかでぬくもっているようでした 

妹はゲーテハウスと横浜山手の丘にあるゲーテ座はおなじゲーテかなどと言っていました さすが浜っ子母に似ているのは顔だけではありません 昔の横浜界隈も混乱していたのだったかしら?明治のポンチ絵にゲーテ座のゲーテをおもしろく言った諷刺ともつかない一枚があったわねとおもいながら綴りはちがうけれど似たようなものでいいんじゃない?と言ってみたら浜っ子はフンとうなづいていました よかったです

ここまで読んでいただきましてありがとうございました☆



読んでくださってありがとうございます いただいたサポートはこれからの書き物のために大切に使わせていただきます☆