父の茶碗ー10月11日
母と暮らして5年目。父が亡くなったさびしさを互いに気づかう時期をくぐり抜け、母は妙に強くなった。嬉しさ半分、とまどい半分。
ケアされるくらいなら同居したくないと、母は朝晩あの手この手、ノンストップで力の限り話し続ける。互いをすり減らす日々はやがて終わる。母の全力投球に匙を投げ、わたしはケアという言葉を捨てた。ではなにをしているのか。言葉がみつからない。
落語にいう。宗論はどちらが勝っても釈迦の恥。母のマイルール、私のマイルール、どちらが勝っても母娘の恥。たいがい母の圧勝だ