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「ベッド」ありの友人関係

「この期に及んで、“十年来の友人”って……。『二股かけてました。ごめんなさい』ってどうして素直に認めないんだろ」
「『そっか、友だちだったんだね~』って納得してもらえると本気で思ってるのかな」
「愛ちゃんのときも思ったけど、嘘ってバレバレの言い訳したらよけい傷が深くなることがなんでわからないかな」

昼の休憩室が盛り上がっていた。一般人女性との結婚発表後、わずか四日で二股交際を報じられたゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんの話である。
『週刊文春』によると、女性は二十代の十年間を共にした彼から突然「別の女性と結婚する」と告げられ、ショックを受けているという。その報道に、鬼龍院さんは「十年来仲良くしている女性の友人がいる事は事実です」「私の事で傷付けてしまっていましたら大変申し訳ございません」と弁明している。
しかし同僚が言うように、「彼女は友人」という主張には無理がある。実際にそうだったなら、こんな記事が出ることはなかったはず。女性は二股をかけられた末、自分がお払い箱になったことが許せなかった。つまり、彼を恋人だと思っていたのだ。
互いに対する感情の種類が違っていたら、それは友人関係とは呼べないだろう。

短いエンピツ線

ところで、鬼龍院さんの件は別にして、私は「男女の関係があったら、“友人”とは言えない」という考えは持っていない。
「セックスが邪魔をして、男と女は本当の友だちにはなれない」
というのは『恋人達の予感』という映画の中のセリフであるが、私も長いあいだそう思っていた。セックスは魔物、それが介在するようになるとふたりがどんなに長い時間をかけて培ってきた純で尊いものもたちまち呑み込まれてしまう、と。
しかし、いつからか「ベッドもあるけど、友人」というのも意外と成り立つんじゃないかと思うようになった。

私の周囲には異性の親友がいるという女性が何人かいるが、みな口を揃えて彼とセックスしたことはない、その可能性はこの先もゼロだと言う。私はそれがいつも不思議だった。
「誰と疎遠になっても、彼とは一生付き合っていくと思う」
「もしかしたら親より私のことを理解してくれているかもしれない」
などとその男性に並々ならぬ信頼感や敬意を示す一方で、
「彼とエッチ?ないない、絶対ない。たとえ同じ布団に入ってもそんなことにはならない」
「変なこと言わないでよ。あっちだって私相手にそんな気起こらないわよ」
と断言するのがどうしても理解できなかったのだ。

どうしてありえないと言えるのかと問うと、答えは決まって「親友だから」。
でも、私は逆だと思う。それほど深く理解し、心を許し合っている間柄であるからこそ、「一線を越えてしまう」という事態が起こりうるのではないのか。
単なる男友だち、女友だちのレベルではない友情で結ばれているふたりであるなら、「そういうことは一切ない」よりも「ときにはそういうこともある」というほうがむしろ自然な気がするのだ。
どちらにも恋人や配偶者といったステディな存在がいないのであれば、さらなる精神的な充足を求めてベッドを共にすることがあっても不思議ではないし、とがめられることでもないと思う。

そんな心配はまずないんだけどね、と前置きしつつ、友人が言う。
「そうは言っても、デートスポットに行ったりスキンシップとかはしないようにはしてる。万が一、間違いがあったらいけないからね」
そう、親友だろうがなんだろうが、「異性である」という事実からは逃れられないのである。ならば、それを“間違い”とみなしてふたりのあいだで性的なことをタブーにするのではなく、いっそ容認してしまってはどうだろう。
LINEをしたり飲みに行ったりといったことの延長線上にセックスがあり、双方がことさらそれに執着することも拒絶することもなく、「自分たちにあってもいいし、なくてもいい」という境地にあるとき初めて、逆説的であるが、「男とか女とかいうことを越えた本物の友人関係」と言えるのではないかしら。

【あとがき】
でも、実際にはなかなか難しいかもしれませんね。「人として強く惹かれている。だけど異性としてはなんとも思わない」という感情のバランスは、取ろうとして取れるものではないでしょう。人間的に魅力的な人は男性としても素敵(=恋愛感情が芽生える)なのではないでしょうか。
だから私には無理そう。それに、相手からまったく女として見られず「男といるのと変わらない」と思われるのもちょっぴりフクザツだし……。
ところで、前回のテキストに「“男と女”系の話題には食指が動かない」って書いたのに、舌の根の乾かぬうちに。あー。