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エッセイvol.22 家呑みあるある

 今夜は肉汁うどんとスーパーのいなり寿司etcで家呑み。
 旦那様は珍しく500ml缶、私は梅酒一杯で終了。
 双方お酒は然程強くないので、エンゲル係数高いけど、酒代はほぼかからないので安上がり。
 つまみをたくさん並べて、わふわふと食べるために、呑むことにしているだけだ。
 猫にマグロをおねだりされたりしながら、テレビで映画を観たりする、ゆるりとした週末の夜。
 うちの猫は、深夜の帰宅中、私の運転する車の前に飛び出して、轢かれてしまった後遺症で片足が曲がらない。
 トイレに入る時などは、若干不便そうにするものの、特段問題なく暮らしている。
 ただ、彼女を見ていると、障害があることの引け目のような感覚が一切ないなとしみじみ思う。
 そもそもそういう概念がないから当たり前っちゃ当たり前なのだけど。
 羨ましく思ったりする。
 一度植え付けられた概念のようなものを取っ払うのは難しい。
 不可能だとは言わないが難しい。
 ありのままとかも難しい。
 本音と建前は存在する。
 でも乖離が激しいと、自分に嘘をついているようで辛くなったり、嘘をつかれているような気持ちになって勝手に失望したりする。
 いっそ他者の存在そのものが面倒に思えたりする。
 つい、孤独に身を置いてしまうのは、そのせいなのだろうか。
 人付き合いがまあまあ苦手だ。
 猫が癒しだなと思う。
 猫を相手に、嘘をつく、取り繕う必要がない。
 彼女達の方も自分の好きなタイミングで甘えてはくるけれど、こちらの好きにはさせてくれない。
 抱っこを無理強いしたら、酷い抵抗にあって、傷だらけになったりする。
 それでもぎゅうぎゅうしてしまう。
 何故かこちらが傷心だと、されるがままになっていたりする。
 実は、犬を躾けたり、従順に待てされて従っている姿を見るのもあまり好きではない。もっと自由でいて欲しいとつい思ってしまうのだ。
 そんなことで、いまいち躾けのなってない、自由気ままな飼い猫は、ほろ酔いで私が寝落ちした隙を狙って、残っていた焼き鳥を泥棒猫した。
 油断も隙もない。
 あれだけ寝落ちしないようにって思ってたのに、寝落ちした学習能力低い自分にもビックリするけれど。
 でも、猫は可愛い。
 どの子も可愛い。
 足が曲がらなくとも、泥棒猫でも。
 何してても可愛いのはずるいな。
 人間には、そこまで寛容になれないな。
 もう少し、自分にも、他人にも、甘えたり甘えられたり出来るといいなぁ。
 若くもないので、性格もそうそう変わらないのだろうなぁ。
 酔っぱらいの戯言は、闇に溶けていくばかりだ。

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