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湖中の火

私が所属しているHEARシナリオ部で書いた作品です。
月に一度テーマを決めて、部員で作品を書き合います。
フリーで朗読・声劇で使用できる物語です。
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私はレインコートを着て雨の中を歩いていた。雨が、ここ数日ずっと降り続いている。
森の中には、誰もいない。凄く楽だ。とにかく人に会いたくない。
夜寝るとき以外は、人気のない所を私は歩き回っていた。
お世話になっているおじさん、おばさんに、当然、とても心配をかけてしまうのだが、私は抜け出して森を歩き続けた。
雨が木々や地面に当たる音と、ちゃぷっ、ちゃぷっ、と、私の長靴の音。
それだけが、聞こえている。
森の中で、しかも、雨の中ならなおさら人はいない。
 

 
一年前。突然、それが見えはじめた時は、それが何なのかわからなかった。
駅のホームで並んで歩いているカップルの胸のあたりに、ちらちらと、蝋燭の火のようなものが見えた。
あっと思ったが、その火は、燃え広がるわけでもなく、二人の胸のあたりで、揺れている。
私は、じっと、その火を眺めていたら、黄色っぽかった火は赤い色に変わった。
女の人の方が、ため息をついて、男に何かを言った。
男が、顔をしかめて、言い返す。
だんだん、言い合いから罵り合いになり、つかみ合いになって、ホームに居合わせた客たちが、二人を引き離した。
気がつくと、私の視界にいる全員に胸の火が揺らめいていた。
私は、目をそらしたが、そらした視線の先にも、スーツ姿のおじさんがいて、おじさんの火をじっと見てしまった。また、火は赤く大きくなってきた。おじさんの表情が、険しくなって、おじさんは、唾を吐くと、その場を立ち去った。
 
私は、下を向いて誰も見ないようにしながら、逃げるように、家に帰った。
家にいたお母さんにも、やはり胸の火があった。
どうしたらいいかわからず、私が何も言えないでいると、また、お母さんの火が大きくなってきて、お母さんの表情が険しくなる。
「帰ってきたら、挨拶くらいしなさいよ!」
お母さんが声を荒げて言ったので、私は、恐くなって、部屋に駆け込んだ。
何なのこれ?
人の胸に見える火。
あの変な火を私が見つめていると、火が赤く大きくなって、人が怒り出す?
食事時も、私は下を向いて、顔を合わせないので、両親は不審がったが、あの火を見るわけにはいかない。
学校に行っても、うっかり私がクラスの友だちの火を見ると、その子は、喧嘩をはじめてしまう。
私は、頭が痛いと言って、その日は、保健室で過ごし、また、下を向いて、学校から帰ってきた。
私は自分の部屋から出られなくなった。
部屋に閉じこもっている私に、両親は、ドア越しに怒ったり、なだめすかしたりしていたが、じきに食事を運んで声をかけるだけになった。
私は、そっと、トイレと部屋を往復する毎日。
そんな期間が一か月ほど過ぎたあと、両親が、山村留学というものを提案してきた。
 

 
私は歩みを止めた。
何かいる。
この山の中の村に来てから、いろいろな気配に敏感になった。
都会にいると人工的な音や光、人工的な刺激が溢れていて、感覚が麻痺するのだろう。いや、麻痺させ適応しないと、生きていけないのかもしれない。
私は、気配のする方を見た。がさっという音ともに、灌木の間から、熊が出てきた。
 
熊?
 
熊がいるなんて聞いてなかった。
私は動けなくなった。
熊は、カフッ、カフッと興奮気味の呼吸をしながら、私の方に進んで来ようとしたが、熊は動きを止めた。
熊は、横を向いた。
そこには、いつの間に来たのか、男の子が立っていた。
熊は、その男の子のことをじっと見ていた。
「あっ」と思った。
熊が、あの大きな体を伏せた。まるで飼い犬が、飼い主に命令されたみたいに。
信じられなかった。
 
「もう、人間を襲ったりしちゃだめだよ」
 
男の子が熊に言うと、熊は、のそのそと、茂みに消えていった。
 
私が、あっけにとられていると、男の子が言った。
 
「僕は、ヒトシ。君の名前は?」
 
「わ、私は、アユミ……です」
 
 

 
ヒトシと一緒に並んで歩く。村まで送ってくれるという。
 
「あ、あれは何ですか?」
 
「あれ?」
 
「熊が……」
 
「ああ、あれか。ぼくは、動物を操ることができるんだ……」
 
と、「実は一輪車に乗れるんだ」くらいの軽い調子で言った。
私は、混乱しそうになったけど、あの熊のことを思えば、信じないわけにはいかなかった。
 
「アユミは、なんでこんな雨の中、歩いてるの?」

「……それは」
 
「言いたくなかったらいいよ」
 
そういうと、ヒトシは黙ってしまった。
 
「……変なことなんだけど」
 
と、なぜか、私は話していた。あれだけ、引きこもってしまった理由を大人には話せなかったのに。
 
「ふーん。そうなんだ……人の気持ちが、炎の形で見えるんだね。でも、そんなふうに、喧嘩のきっかけになっちゃうんじゃ、人に会うのが恐くなっちゃうね」
 
ヒトシの場合は、動物を見ると、その動物の中に光が見えるのだという。赤は怒りや不安、青や緑は、落ち着いている状態。そして、赤い光を出している動物の色を青や緑に変えたり、自分のイメージを使って操れるのだという。でも、私と違って、人間の気持ちを見たり、変化させたりすることはできないのだそうだ。
それでか、と思った。私が心を開けたのは、それでだったんだ。
ヒトシは、私を理解するチャンネルの持ち合わせがあったのだ。人と違う異常な何かを持っているという状況に対しての。
 
「あの、なんで、ヒトシさんは、ここに?」
 
「そんな丁寧な言葉使わなくても。ヒトシでいいよ。母の仕事の関係で、ここに住むことになったんだ」
 
「あ、そうじゃなくて、なんで、雨の森を歩いて……」
 
「ああ、行きたい所があったんだ」
 
「行きたい所?」
 
「うん。雨の時しか咲かない花があるんだ」
 

 
湖のそばに管理する人がいなくなった神社があることは、私も伝え聞いてはいた。しかし、その神社の裏に、雨の時にしか咲かない花があることは、知らなかった。
梅雨時に咲く花は知っているが、雨の日しか咲かない花というのは、聞いたことがなかった。「雨の花」を知っている人は、ほとんどいないそうだ。
山奥の廃墟になっている神社の裏、しかも、雨の時にしか咲かないのでは、誰も見向きもしなかっただろう。
しかし、私が、雨の花を見ることは無かった。
 
ヒトシと二人で、湖畔の神社を訪れたら、裏山の崩れた土砂で、神社の建物は押しつぶされ雨の花が咲いていたという敷地も埋まってしまっていた。
 
ヒトシも私も、言葉もなく立ち尽くしていた。
しかし、強烈な何かを感じた。
熊以上の激しさだった。
気配の方向を向いたが私は戸惑った。何もない。
黒々とした湖の水面があるだけだ。
しかし、すぐに理解できた。
その水面が動いたのだ。
雨粒の落ちる波紋じゃない。
大きな湧き水が沸き上がっているような、不自然な波紋が湖の水面に起きていた。

「あ……」

湖の中に、あの赤い火が見えた。濁った水を通して見たから「それ」の姿は見えなかったけど「それ」の大きな「火」だけが見えた。
 
私は、「それ」の「火」を大きくしないように、とっさに横を向いた。
ヒトシが私の手を取って引っ張った。私たちは、全力で走りだした。
 

 
私たちは、湖が見えない所まで走ると息を切らせて、立ち止まった。
 
「あ、あれ……凄く大きな火が」
 
「うん。普通じゃなかった。姿は見えなかったけど、湖の中に何かがいたね。
凄く怒ってた。ぼくも、真っ赤な光が……
でも…… アユミも見えたの? 『火』……が?」
 
「え?」
 
「うん……アユミは人の気持ちが『火』の形で見えるんだよね? 
ぼくも見えて、アユミも?」
 
「うん……あ……!」
 
ヒトシに『光』が見えたということは、「あれ」は獣。
そして、私に『火』が見えたということは、人間?
 
獣でもあり人間でもあり、しかも、湖の中にいる「なにか」。
 
しかも、強烈な怒りを抱えている。
 
それは、いったい、どんな存在なのか。想像がつかなかった。
 
私は、今ごろ、ぞっとして震えが止まらなくなった。
奮えている私を見て、ヒトシが、電車の席をお年寄りに譲るくらいの自然さで、私を抱きしめて、背中をトントンと手で叩いてくれた。
こんなふうに人に触れたのは、何年ぶりだろう。ヒトシは震えが収まるまで抱きしめてくれていた。
 
 
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