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「一宮さんのやりかた」

#はじめてのBL」のお題に寄せていただいた文章を、記事にまとめてお届けするつもりでいます。

が、ただいま友人から猫のぬいぐるみ30個のオーダーが入っていて、それをクリスマスまでには発送しないといけないので、当分ぬいぐるみ職人となります。
まとめ記事はいずれあらためて。

お茶を濁すわけでもないですが、ちょっと前に書いた小説をここに載せます。
BLを読む人って受け入れ間口が広いからか、百合もけっこう好きですよね?私は好きです。
百合要素も入った、というかそれがメインな内容です。


***

「一宮さんのやりかた」


なぜ一宮さんに決めたのだか、わからない。
バイト仲間の中ではいちばん辛辣なことを言いそうだから、もしかしたらわたしは彼女から厳しくやり込められたかったのかも知れない。

休憩室でスマホを触っていたら、ノック音のあとカチャリとドアが開いた。
「おつかれさま」
「おつかれさまです!」
椅子から腰を浮かせて勢いよく挨拶したわたしに、一宮さんは冷ややかな一瞥をくれた。我に返って座り直す。

一宮さんは、首から外したエプロンをテーブルの上に置くと、後ろに束ねた髪を指先で少し直した。ロッカーへ行き、いつもの黒い大きな鞄を提げてくる。
鞄をエプロンの横に乗せ、椅子を引いて腰かけた。中から文庫本を取り出す。続いてウォーターボトルを引き抜き、それを手元に置いて本を開いた。

休憩室に一宮さんと二人きり。こんなことは初めてだった。
いつも必ず誰かいる。マネージャーとか店長とか。

神さまの采配だと思った。いまを置いてほかにはない。
わたしは勇気を振りしぼって、椅子から立ち上がった。
「一宮さん」
文庫本に目を落としていた一宮さんが、わたしの顔を見上げた。

「あの、ちょっとお願いが、ありまして」
「何?」
「読んでほしいものがあるんです」
「何?」
一宮さんの静かなる気迫に、くじけそうな気持ちを自分で鼓舞する。
「漫画なんですけど……」
「漫画?」
わたしの目が一宮さんの文庫本に走った。ページがぎっしり文字で埋まっている。

「どんな漫画?」
「いや、あの、実は自分で描いたやつなんですけど……」
鼻で笑われるのを覚悟で言うと、一宮さんは意外にもわたしのほうへ少し身を乗り出した。
文庫本のページが閉じたのも構わず、わたしの顔をじっと見上げる。

「どういう話?」
「それはあの、ちょっと特殊と言いますか」
「特殊って?」
「び、BLです」

そんな言葉を一宮さんが知っているかどうか疑わしかったけれど、わたしは思いきって言った。
一宮さんは深い二重を持ち上げて、
「へえ」と呟いた。

「近藤さん、BL好きなんだ」
「えっ、あ、え、あの、はい、好きです」
「近藤さんが描いた漫画を、わたしが読めばいいの?」
「は、はい」
「いいわよ。見せて」

一宮さんは、まるで生徒から小テストを集める教師のように、わたしの前へ手のひらを差し出した。わたしは慌てて両手を振った。

「すいません。いまここにはなくて。家にデータがあるんで、一宮さんにメールで送ってもいいですか?」
「データ?」言いながら、一宮さんは手を引っ込めた。
「ソフトで描いてるんです。あの、パソコンで」
「それ印刷してくれない?わたし紙じゃないと読まない」
「はい、わかりました。明日持ってきます!」
わたしは両手をぴしっと揃え、深々と頭を下げた。

翌朝、バックヤードから店に入ると、一宮さんがカウンターの備品を補充していた。
午前10時。オフィス街にあるこのカフェに、お客は少ない。

「おはようございます」
わたしが後ろから声をかけると、一宮さんが振り返った。
「おはよう」
「あの、持ってきました。原稿」
小声で告げると、
「わたしのロッカーに入れといて」と言う。
「勝手に開けていいんですか?」
「いいわよ」
「でも」
「いらっしゃいませ」

一宮さんが背を向けたので、わたしはそれ以上の私語を控えた。

午後、わたしは休憩室でパニーニを齧りながら、ロッカーのある奥側へちらちらと目を向けていた。3時から勤務の田口と、外出から帰ったマネージャーが、何かゲームの話で盛り上がっている。
田口はともかくマネージャーは女性だ。ロッカーの前で鉢合わせるのは避けたい。注意を払われていないいまが、チャンスだと思った。わたしは自分のトートバッグを抱えると、なるべく静かに席を立った。

奥に入ってカーテンを閉める。
一宮さんのロッカーの扉に手をかけた。
鼓動が早い。

落ち着かなければ。
ここを開けていいと一宮さんが言ったのだ。
何も悪いことをしているわけではない。

えいと扉を開け、自分のバッグから茶封筒を取り出した。表紙を含めて32枚の漫画が印刷されたA4用紙が入っている。
昨日バイトから帰宅してすぐパソコンのデータをUSBにコピーし、持参したコンビニのコピー機であたふたとプリントしたものだ。他人には決して見られたくない描写がいろいろ散りばめられているので、コピー機にへばりついて何とか回収した。

「近藤さん」
いきなり名前を呼ばれて、わたしは飛び上がった。
大急ぎで封筒を投げ込み、ロッカーの扉を音高く閉める。
カーテンを開くとマネージャーが立っていた。

「来週のシフトなんだけどね」
「はい」
「水曜日、大田さんの代わりに入ってくれない?午後だけでいいんだけど。なんかどうしても外せない用事が入ったみたいなのよ」
「いいですよ」と即座にわたしは請け負った。
「そう?助かる。ありがとう」
お礼を言うマネージャーにいえいえと手を振りながら席に戻り、パニーニの続きを食べた。まだ胸が波打っている。パニーニはすっかり冷えていた。

3日後、バックヤードで一宮さんと対面した。
朝から出勤の一宮さんが、昼遅い時間に入ったわたしとちょうど入れ替わるタイミングだった。
店の中では田口が接客している。

「読んだわよ」
目が合うなり一宮さんが言った。
「あ、ありがとうございます」とわたしは頭を下げた。
「感想言ったほうがいいの?」
「はい。あ、でもここだとアレなんで、ちょっとだけお時間作っていただけると助かります」

一宮さんは少し考える目つきをした。焦ったわたしは、あらかじめ考えてあった案を急いで提示した。
「あの、明日の朝、一宮さんが出勤される前に、10分だけでもお時間いただけると」
「朝?近藤さん、シフトお昼からでしょ?」
「はい。でも朝も来ます。休憩室で待ってます」

一宮さんの反応を窺った。表情からは何も読み取ることができない。
しばらくして一宮さんが口を開いた。

「10分じゃ足りないな。近藤さん、次のお休みいつ?」
「休み?休みはあさってです。土曜日」
「だったらあさって、うちに来て。夕方4時以降ならいるから」
一宮さんの思わぬ申し出に、わたしは面食らった。
「え、おうち……に行っていいんですか?」
「来てって、わたしから言ってる」
「はい、あの、すいません」
「住所ね」

一宮さんはエプロンの胸ポケットからサインペンを取り出すと、いきなりわたしの右手首を取った。シャツの袖ボタンを外し、裾を肘の手前までたくし上げる。
ペンのキャップを取ると、何の躊躇もなくわたしの手首の少し上、内側の白いほうに町名と番地を書いた。
ペンを離し、顔を近づけ、ふうっと息を吹きかける。

「8階建てのマンションだから」
そう言い置いて、一宮さんは休憩室へと消えていった。

されるがままにわたしがぼんやり立っていたのは、一宮さんの突飛な行動に圧倒されたからでもあったけれど、ほかにも理由があった。
ペンを使って相手の腕に文字を書くという行為は、わたしが漫画の中で描いたシーンだったのだ。
漫画では腕ではなく手のひらだった。書いたのはスマホの番号。手のひらにいきなりそんなものを書かれて戸惑う主人公が、それをきっかけに書いた相手を意識するようになる、という恋愛の始まりの場面だった。

いったいどういう意図なのだろう。わたしは首をひねった。
本当に読んだことをわたしに示すため?
それとも、わたしの描写をからかっている?

袖を戻して店に入ると、1台のレジに行列ができていた。慌てて隣のレジに立つ。
ブレンドコーヒーを3つ用意していた田口がわたしの背中に寄ってきて、遅いですよと文句を言った。わたしは肩をすくめ、次のお客の注文を聞いた。

土曜日、わたしは一宮さんから教わった番地を訪れた。
近寄りがたくそびえ立つその外観を、わたしはぽかんと見上げた。
想像以上に立派なマンション。中庭まである。

エントランスのドアをおっかなびっくり開け、中に入って部屋番号を押した。
インターフォンから一宮さんの声が聞こえた。
「あの、近藤です」
「どうぞ」

自動ドアのロックが開いた。
わたしはおずおずと奥へ進み、エレベーターに乗った。
8階で降り、表札を確認ながら廊下を歩く。
奥から2番めのドアの前で足を止めた。
一宮と書いてあるのをしっかりと見定めて、ボタンを押そうと指を伸ばしたところでドアがガチャリと開いた。
一宮さんだ。

「入って」
「おじゃまします」
広い玄関で靴を脱ぎ、用意された真っ白なスリッパに足を入れると、一宮さんに続いて廊下を歩いた。

リビングも広かった。1DKのわたしの部屋がすっぽり収まってもまだ余りそうなほどだ。
大きなガラスのテーブル。美しい毛足のラグ。勧められて腰かけた革張りのソファに体が沈んだ。

一宮さんが奥から銀色のトレイを運んできた。見るからに高級そうなティーカップが、湯気を伴って目の前に置かれる。

意外だった。
わたしの中で一宮さんは、うんと清貧なイメージだった。
大きな黒いバッグから文庫本やウォーターボトルを取り出すひっつめ髪の彼女が、こんな豪華な生活をしているとはまったく想像していなかった。

一宮さんはわたしの隣に少し間を空けて座ると、猫脚のガラステーブルの上に茶封筒を置いた。5日前、わたしが一宮さんのロッカーに放り込んだものだ。
緊張が一気に高まる。

「おもしろかったわ」
一宮さんの反応は、わたしの予想に反して好意的だった。
「二人のキャラが魅力的。ストーリーも会話もテンポがあって、読みやすかった」
「ありがとうございます!」

わたしは嬉しさのあまり、大きな声でお礼を言った。思いきりけなされるか、理解されないかのどちらかだと覚悟していた。
まさか褒めてもらえるとは。

「趣味で描いてるの?」
「いえ。あの、出版社に送ってみようかと思って。BL雑誌の新人賞」
「そう」

一宮さんはわたしから視線を外すと、茶封筒の上に目を当てた。つられてわたしも茶封筒を見る。
一宮さんが顔を上げ、正面からわたしを見た。

「近藤さんに、ひとつ質問したいんだけど」
「はい」
わたしはやわらかいソファの上で背筋を伸ばした。
一宮さんは唐突に言った。

「近藤さん、セックスしたことある?」
「えっ」
「オーガズムに達したことある?」
「は?え、お……」
一宮さんは深い二重の重そうな目でわたしを見つめた。

「つまらなかった」
「え?」
「二人の濡れ場」

わたしは目を見開いた。
濡れ場、という単語に反応してしまった。

「楽しく読んでいたのに、興がそがれた。残念だったわ」
「……すみません」

わたしはうな垂れた。
実を言うと、自分でもそのシーンの描写には全然自信がなかった。一宮さんの思いがけない指摘には驚いたけれど、つまらなかったという感想には納得させられた。

「勉強した?」と一宮さんがわたしに訊いた。
「え?」
「男同士のセックスがどんなものか」
わたしは言葉に詰まった。
「描くんならちゃんと描かなきゃ駄目。想像や雰囲気だけじゃ伝わらないわよ」
「はい」
一宮さんはそこまで言うと、ティーカップに手を伸ばした。
「近藤さんも飲んで」
「はい」

紅茶は華やかな香りがした。ほどよい温かさが喉に心地よい。

濡れ場か……。
わたしは一宮さんの言葉を反芻した。
『勉強した?描くならちゃんと描かなきゃダメ』
それはそうだ。
『雰囲気だけじゃ伝わらないわよ』
それもよくわかる。
でも勉強するっていったいどうやって?ゲイビデオ見るとかそういうこと?
BL描いてる漫画家って、みんなそんなことやってるのかしら?

「お姉ちゃん、ちょっといい?」

リビングに突然現れた女の子に、わたしの目は釘づけになった。
大きなお団子ヘアを頭の上に乗せた、お目目ぱっちりの可愛い女性が、人形みたいに立っている。
ほっぺも唇も淡い桃色。デニムの緩めのワンピースから細い足が覗いていた。背が高く、まるでモデルのようだ。
一宮さんをお姉ちゃんと呼んだ。ということは一宮さんの妹だろうか。

「あ、ごめん。お客さま」
わたしの存在に気づくと、ぺろっと小さな舌を出した。
「あの、近藤です。おじゃましてます」
ソファから腰を上げてぎこちなく挨拶をした。

いままでテレビや雑誌でしか見たことがない類のキラキラした女性に、どう接していいのかわからない。
うつむいていると、一宮さんがおもむろに彼女に言った。
「近藤さんね、BL漫画描いてるの」

わたしは目を見開いて一宮さんを見た。
「へ〜え」
妹のピンクの口が丸く開く。
わたしは赤い顔をますますうつむけた。穴があったら入りたい。

「近藤さん、この子も漫画描いてるのよ。少女漫画だけど」
一宮さんの意外な言葉に、わたしは顔を上げて妹を見た。
にこにことアイドルみたいに微笑んでいる。

「どこで描いてるんですか?」
妹の質問の意味を一瞬取り違えそうになったが、雑誌名を訊かれているのだとわかった。
どうやら彼女はプロらしい。

「いえ、あの、わたしは趣味で描いてるので」
「趣味じゃないでしょう。新人賞、応募するのよね」
一宮さんがまた余計なことを言う。
「まだ本当に応募するかも決めてないので」
わたしはうつむきながら手を振ってそう答えた。

暑い。わたし一人で汗をかいている。
そこへまた別の女性がリビングに現れた。
「先生、そろそろお時間ですよ」
妹が女性を振り返った。
「はい。いま行きます」

引き上げようとする妹に、一宮さんが声をかけた。
「何か用があったんじゃないの?」
「大丈夫。ちょっと気になるところがあるから、あとでネームチェックしてね」
一宮さんがうなずくと、妹は女性とともにリビングを去った。パタンとドアの閉まる音。
わたしは一宮さんに向き直った。

「あの。妹さん、漫画家って。お名前聞かせていただいていいですか?」
「あの子?早乙女ジュンって言うんだけど。近藤さん、知ってる?」

驚愕のあまり、腰が抜けそうになった。
知ってるも何も、超有名人ではないか!
発表する作品は全部アニメ化されて、それどころか実写で映画化もされている。
わたしなんかが直視してはいけない、まさに神のようなお方!

あんなに若くてきれいな人だったとは。
しかも一宮さんの妹!
そういえばさっき、ネームのチェックを一宮さんに頼んでいた。
一宮さんは早乙女先生の作品をいつも間近に見ているのだ。あの完璧に美しい原稿を。

テーブルの上の茶封筒を引ったくって、その場を逃げ出したかった。
実際わたしはすぐに帰る気で、ソファから立ち上がりかけていた。
「どうしたの?」
「帰ります」
「なぜ?」
「なぜでも」
茶封筒にかけたわたしの指に、一宮さんの指が重なった。

「待って」

一宮さんのひとことが、わたしの耳になぜか哀切に響いた。
わたしは一宮さんの目を見た。
深い二重の大きな瞳。妹と似ている。

「近藤さん。漫画描くの、好きなんでしょう?」
「……」
「この話、とってもいいわ。好きよ、わたし」
「……」
「僭越だけど、アドバイスしていいかしら?」
「……はい」
「濡れ場はなくすの。抱擁だけで終わらせる。やっと結ばれた二人の幸せが、それで十分読者に伝わると思うから」
「はい」
「28ページに減らして応募したらどうかしら」
「減らして」
「うまくまとまると思うわ」

一宮さんのアドバイスは適切だった。短くまとめたほうがすっきりする。どのコマをカットすればいいか、わたしの頭に瞬時に浮かんだ。

「減らします」
「応募する?」
「応募します」
「よかった」

一宮さんは心からほっとしたように笑った。その笑顔にわたしは見入った。
可愛い。
妹とはまた違う、どこか艶っぽい可愛さ。

リビングに、今度はスーツ姿の若い男性が現れた。いろいろな人がいる家だ。
早乙女先生ともあろうお方なら、それはスタッフも大勢いるだろう。
男性の後ろには、先ほど先生を呼びに来た女性が控えている。

「じゃあ打ち合わせ行ってくるね」
男性が一宮さんに声をかけた。
「いってらっしゃい。ネームあとでチェックしておくわ」
「うん、よろしく。近藤さん、またね」

手を振ってリビングを出て行く男性の後ろ姿を、ぼんやりとわたしは眺めた。
いまの人、誰かに似ている。

「一宮さん、あの男の人……」
「弟よ。女装が趣味なの」

衝撃のあまりテーブルについたわたしの手が茶封筒を押しやった。中から原稿が滑り落ちる。毛の長いラグの上に現れたのは、ちょうど濡れ場のシーンだった。

わたしが応募した漫画は、まさかの奨励賞を受賞した。賞金3万円。
掲載もされず、デビューの道もなかったが、わたしは舞い上がった。
発表号の雑誌をわたしは、一宮さんにすぐに見せた。一宮さんが出勤する早朝より早い時間にカフェへ出向いて。

「一宮さんのアドバイスのおかげです。ありがとうございます!」
「近藤さんの実力よ。おめでとう」
一宮さんは涼やかな笑顔をわたしに向けた。
「そんな。一宮さんのおかげです。本当に」

一宮さんはめずらしく髪を下ろしていた。いつもと雰囲気が違う。
「大賞じゃなかったのね」
「はい。でも十分です。嬉しいです」
「わたし、あの日近藤さんに言い忘れたことがあったのよ。もう一つのアドバイス」
「何ですか?」

一宮さんの手がわたしに向かって伸びてきた。と思ったら、もう唇が重なっていた。

一瞬だった。
3秒ぐらいの、ごく軽いキス。

わたしの首の後ろを支えていた一宮さんの手が外された。
元の位置に顔が戻る。

「近藤さん、いまどんな気分?」
「え……」
「ぽかーんってなるでしょう?いきなりキスされると」
「はあ」
「あの主人公、驚きすぎよ」
わたしも十分驚いている。驚きすぎてぽかーんとしている。

「それじゃあね」
一宮さんはエプロンを締めると、髪をいつものように後ろでくくり、わたしを残して休憩室から出て行った。
次にマネージャーがやってくるまで1時間近く、わたしはぼんやりと椅子に座ったままだった。

奨励賞を取ったあとわたしは、自分の漫画を描くのをやめた。
かわりにいまは、一宮さんの口添えで早乙女先生のアシスタントをしている。

何度かあのマンションに通ってわかったことだが、先生は漫画を描くときに決まって女の子になる。女の気持ちを感じるためかと思ったけれど、どうやら本当に趣味らしい。
実は男の人だとわかっていても、いくら間近で見ても、女の子にしか見えない。声まで変わる。
才能のある人というのは、すごい。

「お姉ちゃん、このシーンうまく描けないの。モデルやって」
「了解。近藤さん、こっち来て」
わたし男役ね、と断って、一宮さんがわたしと向き合い、わたしの顎に指をかける。

「お姉ちゃん、もう少し上。距離詰めて。もっと。近藤さん、お姉ちゃんを見上げて。OK、そのまま止まってね」
ほんの1分ほどでラフスケッチが描き終わり、一宮さんとわたしに動く許可が下りた。

「二人の顔のバランス、ちょうどいいんだよね。あとで押し倒すシーンお願いね」
戸惑うわたしに一宮さんが、
「大したことないわよ。少女漫画だから」
ゆったりと笑って言った。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。