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ぶれない軸を持つ

世界はその人の数だけある、とはよく言われることで、目や心に映る景色がそのままその人の世界を形作っている。
例えばうちにいる猫はあなたの世界にはいないし、あなたがいま着ている服は私の世界には存在しない。
各人が各人の世界を持ち、そこで生きている。

野良猫を保護する活動に熱心な人が私のまわりには多くいて、だから私の世界には野良猫があふれ返っている。仕事が終わったあとの時間や休日を野良猫の保護に費やしている人、あるいは24時間のほぼすべてを使って保護猫を一年中世話している人もいる。

そういう人たちと日常的に接していても、私は野良猫を保護しない。家には空きスペースがあるから、迎え入れようと思えば5匹や10匹は預かることができるのだが、それはやらない。やらないと決めている。なぜなら私は野良猫を保護する活動家ではないからだ。

活動する人のことを応援している。支援もしている。しかし自分で保護活動はやらない。やらないかわりに発信する。過酷な環境で暮らしている野良猫がいますよ、そんな野良猫を世話して里親さんを探している人たちがいますよ。そのことを漫画に描く。活動家の文章にイラストを添え、本を作り、販売している。

それが私の役割だと思っているからだ。殺処分をまぬかれた子猫を実際に自分で育ててみて、得た知識や経験を漫画に描き、わかりやすい「形」にして世に送り出す。日常的に保護活動をしながらだと、私は漫画が描けない。漫画を描くにはたっぷりの時間と、集中力できる環境が不可欠だから。

保護猫のことを漫画に描いているくせに、自分では猫を預かりもしないなんてと、きっと思われているだろうと、活動家と接するたびに気に病んでいた時期もあった。しかしあるとき、はっきりと決めた。私は活動家ではなく、発信者に徹するのだと。形にして世に広める。これが私のやることなのだと。

決めてしまうと楽になった。やるべきことだけをやればいい。もはや誰に何と思われても構わない。形にして世に出す人も必要なのだ。私は自分のエネルギーをそこに注ぐ。それが私の役割だから。私の望んだ生き方だから。

ぶれない思いを軸に持つ。それには大きな責任が伴う。決めたのだから簡単に投げ出すことはできない。人から何か言われてすぐに折れるような、か細い軸でもいけない。

しかし一度据えてしまうと、楽になることも確かだ。その軸を中心に世界がまわり始める。大きく揺らぐことはない。軸が太くなればなるほど、自分を自分で信じることができる。決断が早くなる。黒しか着ないと決めている人の世界に、ほかの色の服が存在しないように。

軸を持つと楽ですよ、と言いたくて書いたのだが、どうやら軸を持たない人のほうが多いように私には見受けられる。それならそれでいいとも思う。揺れながら生きるのが性に合う人もいるだろうから。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。