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フジコさんのピアノ

フジコ・ヘミングが岡山に来ると知り、チケットを買ってシンフォニーホールへ行った。ベルリン交響楽団との共演という形。

私はクラシック音楽を聴くのは好きだが、知識はほとんどない。演奏を聞いても、どの作曲家の何という曲だか知らないことのほうが多い。"モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲 K.492"と言われてもさっぱりで、聞いてみて初めて、ああこの曲か、と腑に落ちる。聞いたあとまた忘れてしまうので、いつまで経っても覚えない。

ゆうべシンフォニーホールにひとりで出かけたのは、フジコさんにひと目会いたいからだった。もちろんピアノの生演奏も聴きたい。けれどもまずいちばんに、動いているフジコさんをこの目で見たかった。あのモコモコしたゴシック調の重ね着衣装を丸い体にまとい、ふわふわの頭にコサージュみたいな髪飾りをつけて歩くフジコさんを自分の目で追いたかった。

なんだかずいぶん高齢で一躍有名になったピアニストであることは、何年も前にテレビか何かで知った。カーネギーホールでマリア・カラスの再来とまで絶賛された、聴く人の魂を揺さぶる音楽家。60代後半で初めて出したアルバムが、200万枚を超える世界的大ヒットとなった。そんな話を聞いても、その頃の私はさして興味を引かれなかった。世の中にはすごい人がいるもんだなあ、という感想を抱き、妙に覚えやすい名前と風貌だけを頭の隅に置いて、そのままにしていた。

ドキュメンタリー映画を見たのだ。「フジコ・ヘミングの時間」という。浮き沈みの激しかった80年以上にわたる人生をご本人が淡々と振り返る内容で、ここでフジコさんの飾らない人柄に私は触れた。

映像は、14歳のときに描いていた絵日記と、撮影当時80代だったフジコさんとの間を何度も行き来する。長く憧れていたパリに、犬や猫と暮らしているフジコさんは、「気持ちはずっと16歳のまま」と笑っていた。ベジタリアンで、動物愛護の活動をしていて、窓辺でときどき煙草を吸う。

若い才能を多くの著名音楽家から認められていたにも関わらず、聴力の一部を失うなどの不幸が彼女を襲い、ピアニストとしては失脚の形で日本に帰国した。ピアノ講師を続けながら、年に一度開いていたリサイタルが人々の評判を呼び、やがてテレビで紹介されるとたちまち世界から注目を浴びた。そこから怒涛のコンサートツアーラッシュが始まり、現在に至るまで続いている。

「わたしの出番は天国に行ってからだと、ずっと思っていた」
熱心なクリスチャンであるフジコさんは、映画の中でそう語っていた。フジコさんのピアノ演奏を天国に独占されなくてよかったと、世界中の多くのファンが胸を撫でおろしているだろう。

交響楽団との共演のあと、フジコさんはマイクを通して挨拶してくれた。近所の人に話しかけるように、とても親しい口調だった。彼女の代名詞になっている、リストの「ラ・カンパネラ」(これだけは覚えた)を弾いてステージを立ち去るとき、私たちに向かって胸の前でこどものように小さく手を振ってくれた。16歳の少女のようにはにかんで。

調べてみると、今年すでに30近い公演を行なっているフジコさん。あのふわふわした重ね着の下には、真っ白い大きな羽が2枚、隠されているのかもしれない。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。