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 何か辛い目に遭っているとき、これはかつてあなたがとった悪行への報いですよ、ともし誰かに言われたら、ああ、あのときの。とすぐに思い当たる出来事が、2つや3つはある。

 10代は言いなりだった。
 20代は強気だった。
 30代で、思慮という言葉を少し覚えた。
 40代に入って、自分の身に起こることは必然だと思うようになった。

 だから、報いを受けているのだとすれば、それを引き寄せる原因を作ったのは大抵、20〜30代の頃となる。

 まわりの人を深く思いやることができず、自分のわがままだけを貫き通し、どうだまいったか、とばかりに天に向かって高笑い。あの頃はそれが楽しかった。傷つけた人のことなどすぐに忘れて、我が道をスキップしながら歩いていた。

 人生の主人公は自分である。しかし自分ひとりではない。一緒に手を繋いで歩いてくれる人が、その時々に現れる。家族や仲間、美容師、レジの人、タクシーの運転手、病院の先生。

 施しを受けたときは、ありがたい気持ちの裏で、もったいないことだと思う。

 恨みを受けたときは、もっともだと思う。種は自分で蒔いたのだと、かつての自分を振り返る。

 あの頃、高笑いをしていた自分を、50を過ぎた私が見ている。

 あれも、私。
 ここにいるのも、私。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。