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「夕まぐれに逢いましょう」

もうたぶん10年以上前に書いた話です。挿絵も自分で描くというヲタ気質を遺憾なく発揮。BLではないんですが、こういう関係性はいまも好きです。

y00bのコピー

「夕まぐれに逢いましょう。
 僕の船が港につくのを、どこかで待っていてください。軽い握手を交わしたら、一緒にワインを飲みましょう。

 僕に会うのだということは、誰にも秘密にしておいてください。僕もほかには言いません。二人でこっそり逢いましょう。
 まさかとは思うけれど、花束なんてよしてください。人目についてかなわない。あなたは気が利いているし、少し気障なところがあるから。

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 僕はあれから変わっていません。頬が痩せたぐらいです。あの頃の僕はまだ子どもでした。いつまでも丸いほっぺではいられない。寂しいけれど。

 あなたのことを、僕もすぐに見つけられると思います。たとえマントに目深な帽子、黒い眼鏡で変装したって、見破る自信が僕にはあります。あなたは、あなただ。別の人と見間違えようがない。

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 蒼いマフラーを覚えていますか。そう、あなたが餞別にと、あの日僕にくれた。自分の巻いていたものを、人の首にかけて寄越すなんて、いかにもあなたらしいやり方でした。あれを僕、巻いて船を降ります。目印にしてください。そんな取り決めをしなくたって、あなたもすぐに僕を見つけるでしょうが、念には念を入れて。

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 ワインの美味しい店を、探しておいてください。港の近くにあるでしょうか。僕はあなたの顔を見たら、きっとすぐにでも飲みたくなる。なぜだかそんな気がするんです。

 日暮れどきの港はさぞ美しいことでしょう。大勢の人が家族や恋人や友人を出迎えに集まって、傾きかけた夕陽を背負う黒い大きな船の影に、細めた目をあてるでしょう。海から吹きつける冷たい風に身を震わせながら。

 あなたもどうか背中を丸めて、僕の船を待っていてください。甲板から陸へと続く階段を、たんたんと降りる僕の姿を黙って眺めていてください。僕のほうからあなたに近づいていくから、あなたはその場に立っていればいい。

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 あなたの目印も決めておきましょうか。僕が蒼いマフラーだから、あなたはそうだな、柿色のセーター。派手だとあなたが文句を言った、あのセーターを着てきてほしい。まだ手元にあるかしら。もしも処分されていたりしたら、僕はかなり落ち込んじまう。あの色はいまぐらいの歳のあなたに、きっと似合っているはずです。

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 握手をするときには手袋を外すものですが、よほど寒い場合には割愛しましょう。会釈だけして、足早にリストランテへ向かいましょう。僕は早くあなたと飲みたい。

 あなたにちょっと素敵なお土産があるのですよ。ほんの小さな、手の平に乗るぐらいの。もちろんまだ秘密です。受け取ったあなたがどんな顔をするのか、僕はいまもわくわくしている。きっと驚くことでしょう。声を立てて笑うかもしれない。あなたを喜ばせることができさえすれば、僕は嬉しい。

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 船の名を記しておきます。そちらの港へ何日に着くのか、調べておいていただけますか。日が落ちる頃には違いない。船とは大概、そうした時間に港へ身を寄せるものです。

 夕まぐれに逢いましょう。くれぐれも人に言わぬよう。たくさん話しましょう。」



 読み終わった私が返した手紙を、男は丁寧に封筒へしまって、ジャケットの内ポケットへ入れるような仕草をした。封筒の角がセーターの編み目に引っかかったところで、ジャケットを着ていないことに気づいたらしい。

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「お似合いですよ、その色」
 と私は男に言った。男は伏せていた目を私のほうへ向けたあと、自分の身につけているセーターの腹のあたりを見た。似合っているのは本当だった。少し白髪の混じった男に、柿色はよく映えていた。

「ご足労をおかけしました」
 私が椅子から立ち上がると、男も腰を上げた。封筒を手にしたまま、ハンガースタンドからコートと帽子を取ると、私に向かって一礼した。教師らしい慇懃さを私は感じた。

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 ドアから出ようとする男の背中に、私はつい声をかけた。
「これから、どこかへお出かけですか」
 慣れないセーターを着ていることに、何か意味があるように思ったのだ。まさか警察署へ出向くために、引っぱり出してきたわけではないだろうから。

「墓を参ります」
 と男は言った。予想していた答えだった。孤児だった青年には故郷もなく、男は自分の先祖の眠る地に新しい石碑を建て、青年の名を刻むことにしたという。
「そうですか。お気をつけて。今日もよく冷えますからな。雪になるかもしれません」
 男は控えめに会釈をすると、廊下へ出て、音を立てずにドアを閉めた。

 嵐の夜、船から投げ出された青年は、蒼いマフラーを首に巻いたまま、海の底へと沈んでいったのだろう。男に用意していたという小さな土産を、コートのポケットに忍ばせて。
 嵐はすぐにおさまって、大勢の客や乗員が奇跡的に助かったというのに、青年は不運だった。恩師の住む町の港の方角を、甲板から眺めでもしていたのだろうか。

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(おわり)

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。