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小学2年生のわたしへ

初めて小説を書いたのは小学2年生の冬だった。
タイトルは「ねぎの旅」。

なんてシュールなタイトルだろう。
今となっては結構恥ずかしいのだけれど、当時の私は何を思ったか 白ねぎを題材にしたファンタジー小説を書いていた。


当時はワープロが主流だったし、まだローマ字も勉強していない頃だから、当然 手書きである。

母が生協で大量購入してくれたちょっとダサい鉛筆と、夏休みの宿題で余った原稿用紙。
小説を書く時には、姉が持っているメリーゴーランドの形の鉛筆削りをこっそり使うことにしていた。
手ごたえがなくなるまでハンドルを回して、しっかりと鉛筆の先を尖らせる。机に向かう前のルーティーンだった。


ねぎの旅は、原稿用紙15~6枚くらいの小説に仕上がった。
大して時間をかけたわけでもなく、あれこれと構想を練ったわけでもない。
ただ小学2年生の妄想を思いつくままストーリーに乗せて書き連ねただけなのだけれど、当時の私にとっては最高に面白い小説が書けた気がしていた。

嬉しくて、祖父に読ませ、父に読ませ、母に読ませ、兄に読ませた。
だれの感想も反応も 何一つ憶えていないけれど、悪い記憶として残っていないということは、きっとそれなりに気を遣って褒めたりしてくれたんだろう。


私の記憶に残るハッキリとした達成感は、ここが最初だったと思う。

自分の頭に描いたことを、言葉にして、文章として書くことで、誰かにダイレクトに伝わる。

果たして ねぎの旅が 小学2年生の私の頭の中そのままをきちんと文字表現できていたかは非常に怪しいところだが、それでも、文章を作ること・それを読んでもらうことは とても素敵なことなんだと、わずか8歳ながらに感動したことは憶えている。



何故そんな思考回路になったのかはわからないが、ねぎの旅を執筆し終えた私は、すぐさま次の高みを目指すことにした。

町で唯一の文具屋さんを訪ねてお小遣いで原稿用紙をたくさん買い、ついでにちょっと良い匂いのする消しゴムも買った。
姉の鉛筆削りを 今度は堂々と使って、赤鉛筆を削った。

せっかく達成感をもって書き終えた「ねぎの旅」だけれど、より完成度を高めるべく 自ら赤を入れることにしたのだ。


気になる部分に赤の鉛筆で線を引いて、横に書き足して。
時々読み返して、あれ?やっぱり変だな、と思って消しゴムで消してみて…。



試行錯誤の結果。

私の処女作は、赤と黒と消しゴムの跡でいっぱいの、しわくちゃで汚い原稿用紙に成り下がった。

これをメモとして、また新しい原稿用紙に書き直していけばいい。今の私ならそう思う。

けれど、昭和のオヤジ並みに頑固者で 尚且つ典型的なカタチから入るタイプだった私は、ぐちゃぐちゃになった原稿用紙を前に、この世の終わりともいえるくらいの大きな絶望感に襲われた。

大事な作品を、こんなに汚くしてしまった。
良かれと思ってやったはずのに、汚くなっていく原稿用紙にイライラして、大して内容もまとまらず、元に戻そうにも もう原型すらなくなってしまった。

そう、私の心も 原稿用紙と同じく、ぐちゃぐちゃのしわくちゃになってしまったのだ(自分でやったくせに)。



それからは、原稿用紙が大の苦手になった。

夏休みや冬休みの読書感想文も、学校で書く作文も、なんなら大学受験のための小論文も。
避けられるものは全力で避けてきた。

一文字ずつ箱が決まっている原稿用紙が嫌だった。後から修正や訂正を入れなければならなくなるのが怖かった。

そんなストレスを抱えるくらいなら、まとまらない文章と汚い原稿用紙に自分の名前を添えて提出するくらいなら、別のところで全力でカバーしてやると本気で思ってきた。


偏った完璧主義と頑固な意志を貫いて学生時代を乗り越えてきたわたしだけれど、こうして今、文明の利器のおかげで 再び文章を書くことができている。

長い長い時間を経て、また何か書きたいと思えたのは、結局心の奥の方にあの記憶があるからだ。
どれだけ下書きを書いても、ねぎの旅の達成感には勝てないけれど。


いつかまた、あのときの気持ちを味わえるような、そんな自己満足の塊を書き上げたい。

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