ヘルシーな自分
髪を染めた。
美容室で。
色を定着させている間、
雑誌を渡されて、久しぶりにファッション雑誌を読んだ。
そこには、本当にたくさんのなりたい自分が掲げられていて、一番刺さったのがヘルシーな自分。それが今日のタイトル。
身近な憧れをまとめて、なりたい!という気持ちで、○○な自分という目標を立てて、努力して、なる。というこの、ファッション誌推奨の女の子の好循環に、わたし一度もはいれたことがない。
このnoteもそういった女の子≪好循環≫に憧れて始めたような気がする。
憧れの存在を見つけた女の子たちを、小さい頃の私はひどく羨んだ記憶がある。真似して憧れてみても、偽物の感情は長続きもせず、心のトキメキも生まれない、寂しい結果に終わった気がする。
いま思えば、私は本の中の不思議な動物を手なづける女の子に憧れたり、それこそ眼鏡をかけた少年ハリーポッターの魔法の世界に溶け込みたいと思うほどに夢中で、それなりに憧れを持っていたのだ。
それが、子供から少女になるような過程で、周りの子達は現実のものに憧れを持つようになり、にわかにあせっていた。
その時の、あせりの感情は私の心のしこりとして残り、今も時々顔を出す。
ひどくコンプレックスを揺さぶってくるそのしこりは、私から憧れをますます遠ざけた。
憧れが遠退く青春は、ひどく現実的で、いま思えばもったいないことをした という一言につきる。
それでも当時は、憧れ封じることで、現実的な(エセ)大人な自分を、手にいれて、充実していたし、楽しかった。
憧れ、好きなものがあることはとても、いいことだ。
実は手っ取り早く、個性を手に入れられるから。
好きなものが薄いと個性は自分で生むしかない。
それはとても、たいへんだ。
薄い好きなものを重ねて重ねて作った個性は、パーツは本物なはずなのにくっつけ方に作為を感じて、どこか偽物みたいになってしまう。
そんな時。私はいつも思う。、
たしかに個性と好きな物は一緒くたに語られがちかだが、
間違いなく別物なのだ。
好きな物が個性なのは短絡的ではないか。
本当に深い個性は内面の思考から生まれるはずだ。
そうやって自分を鼓舞してみるのだ。
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?