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手放す#5 子どもらしさへの憧れ

小学校の時、私は優等生でした。
成績表も体育以外は(運動は苦手)3段階の一番上。なんて時も。
学級委員にも推薦されたりしてました。

でも、学校ではとにかく毎日イライラしていました。
この頃には自分を押し殺して、言いたいことも飲み込んで、空気を読んで、っていう子どもらしくない、ひねくれた可愛げのない性格がすっかり出来上がっていたので、言いたいことをばーん!って言えたり、大声で楽しそうにはしゃいだり、小学生らしいおバカで可愛い同級生たちにイライラしていたのです。
完全にただの嫉妬。

ちょっかいかけてくる男子にイライラ。
ちょっとたたかれたりなんかしたら、3倍にして返したり。
男子にちょっかいかけられて泣いちゃう女子にイライラ。
人前ですぐにめそめそ泣くってどーゆうこと?
すぐそうやって泣くからなめらるんや、なんて言ってみたり。
家でのストレスが明らかに学校生活にも影響を与えていました。

小学校に上がってからは、母は私に色んな愚痴をぶつけてくるようになりました。
主に父と父方の祖父母、父の姉家族のこと。
毎日毎日悪口を聞かされ、毎日毎日怒鳴りあいの喧嘩。

母は自分が一番つらくて、自分が一番我慢していて、自分が一番頑張っていて、自分が一番かわいそう、ということを常に言っていました。
あんたらのために我慢しとる とも。
あんたらがおるから離婚出来やん とも。

当時は、そんなこと言われても…ともやもやするだけでしたが、今思うと離婚出来なかったのは自分1人の収入では生活が出来なかったからじゃないかなーと。
あと、離婚なんて恥ずかしいと思っているから。
だから「子どものために頑張る私」ということにしたかったのかなーと。

4年生くらいの時に母から「お母さんたち離婚してもいい?」って聞かれたことがあります。
何かでヒステリーを起こして、キーッ!ってなっている時だったので本気で思っていたわけではなかったと思いますが。

私はすごく冷めた感じで「すれば?」って答えました。
母はちょっとひるんだような感じでした。
たぶん「しやんといて」って言ってほしかったんだと思います。
でも私は、こんなに毎日喧嘩するなら一緒におらん方がいいし、一緒におる意味もないし、もっと早くするべきやったんじゃない?うるさいし。
って思ってました。

で、次に聞かれたのが、「あんたはお母さんとお父さんどっちと住むの?」でした。
今まで散々父の悪口を聞かされていましたし、母に何も言えず、助けてもくれない父のことを私は嫌っていたので、母は自分を選ぶと思っていたと思います。
そんなこともなんとなく分かっていたのですが、私は「おばあちゃんち(母方の)に行く」と答えました。
その後も色々と言われたと思いますが、はっきりは覚えていません。
ものすごい可愛げのない子ども(笑)

この頃から、母におびえて顔色を伺いながら生きる自分と、母の考えていることがなんとなく分かって、冷めた目で見ている自分の2人がいたように思います。

もっと無邪気で可愛げのある子どもでいたかったなー。

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