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バルセロナ、ポジショナルプレーの歴史/第1章 クライフの傑作、"ドリームチーム"とは何だったのか

ポジショナルプレーと言えば、今はマンチェスター・シティとかサッリのチーム(今ならラツィオか)とかオランダ系のチームとか。スペインも、やっぱ監督のほとんどはポジショナルプレーやるだろ!と思っちゃいます。ポジショナルプレーの印象って「パスサッカーだろ?」とか想像しちゃいますけど、実際そうなんですけど、全ての原点はこのチームになります。


アヤックス!!


バルサちゃうんかい!!じゃあさようなら!!

だとあまりにもオチが弱すぎて読者とフォロワーが減ってしまいますので、あっ、Twitterやっているので概要欄からフォローシクヨロ。


話が逸れました。これはマジでアヤックスです。題名詐欺かよ!!と思われるかもしれないですけど、僕が知る限りでは、リヌス・ミケルスが監督のアヤックスが現代のポジショナルプレーの起源なのかなと。その時に選手としてプレーしていたのがヨハン・クライフです。1970年にミケルスとクライフがバルサにやってきました。これがバルサのポジショナルプレーの始まりです。ハッキリ言うと、バルサのポジショナルプレー、これはペップ・グアルディオラのポジショナルプレーもそうかもしれないですけど、バルサオリジナルというわけではないのです。アヤックスから輸入してきただけなのです。なのでハッキリ言えば、「バルサのサッカー」はアヤックスのサッカーとほぼイコール。カタルーニャのサッカーではないです。それを表現してるのはエスパニョールの方ではないですかね。

ミケルスの遺産は、1980年後半にクライフがバルサに監督として戻ってきて形になります。ミケルスの頃からクライフが戻ってくるまでのバルサは、今のような常勝軍団というわけではなく、むしろ停滞していた時期です。クライフが監督として戻ってきた頃のリーガは、"キンタ・デル・ブイトレ"と呼ばれた元祖銀河系軍団のレアルマドリードの黄金期でした。エミリオ・ブトラゲーニョ、ウーゴ・サンチェス、ベルント・シュスターなどのスター軍団で占められた進撃の白い巨人を指くわえて見ていたわけです。戻ってきたレジェンド・クライフはバルサに何をもたらしたのか。さぁ、長い前置きは終了です。クライフの傑作を見ていきましょう。



クライフの傑作 "エル・ドリームチーム"

■ドリームチームのデザイン

ドリームチームでパッと思い浮かぶこととは何でしょう?


「マイケルジョーダン!」「ラリー・バード!」


それはバスケのアメリカ代表です。NBA軍団です。あっ、余談なんですが、バルサの「ドリームチーム」の愛称は、ちょうどクライフがバルサの監督期にバルセロナ五輪が開催され、この時からバスケアメリカ代表の愛称がドリームチームと呼ばれるようになったのをあやかっただけです。

ではサッカーのほうで


「ペップが現役!」「クーマンがいた!」「残っている映像の画質が荒い!」

ハイ、正解です。

当時の世界情勢(サッカーね)なんですが、アリゴ・サッキのミランが「ゾーンディフェンス」で革命をもたらしたばかりで、ほとんどのチームがミランをパクって442でした。442の守備サッカー全盛期です。その時期にクライフが用意したスタイルは343の超攻撃的サッカー。当時からすれば時代からかけ離れた戦術でした。

世の中、挑戦する人をバカにしがちですが、当時のクライフはまさにそんな感じ。周囲からは「時代に合ってない」とか「ゾーンディフェンスだぞ」とか「少し禿げてきてるぞ」など。それが30年経った今ではやっていなければ逆にバカにされる時代ですから挑戦心は常に大切です。

そんなクライフの343はコチラ。


バルサの守備ですが、これはゾーンではなくマンツーマンになります。そいで、常に1人は余る形。相手が2トップなら3バックみたいな。
もともとは433が基本システムです。ですが、これは後に詳しく説明しますが、当時は1トップのチームが珍しすぎたので大体が2トップ。だから4バックのうちの1枚"4番"が1列押し上げられて"6番"のアンカーがトップ下に押し上げられたという形になるのです。

この4番と6番はクライフデザインの中で最も重要になるので覚えておいてください。


■理想を現実に ヌメロ・クワトロ

「最も重要な選手だ」byクライフ

4番のことです。
世間ではアンカーとか、ワンボランチとか呼ばれているポジションですが、433から派生した場合はCBと同じです。当時は背番号がポジション制だったので、このポジションの選手は4番を着けることが多かっただけなんですが、ただ役割はCBとは全く異なります。


「このポジションの選手はセンターサークルから出てはいけない」byクライフのおじき


どういうことかというと、まずアンカーとなる選手がセンターサークルに配置したとしましょう。ちょうど上の図はそうしていますが、全体的に前かがみになりません?

そうなんです。ここにクライフの哲学が表れているのです。自陣は使うつもりがないのです。
クライフの哲学はボールポゼッション。ボールを保持していれば守備をする必要がないということ。自陣でポジショニングする必要がないのです。
「守備考えろや!」とか酒癖悪い人には突っ込まれそうな話ですが、90分中60分はボール保持していれば、理論上守備機会はないとみてもいい。なので、アンカー(4番)は守備の選手を置かなくてもいいのです。ではどんな選手?

ここのポジションの代表的な選手こそペップ・グアルディオラです。彼は物凄く線が細いです。今の監督姿を見ても、とてもファイター型とは思えないです。

ペップ・グアルディオラ

守備をするつもりがないのなら、ボールを保持したければテクニックに優れた選手を置いとけ。パスワークの中心として、いわゆる司令塔としてピッチ上に振る舞えるか。クライフはカンテラからペップが昇格して来るのを本当に首を長くして待ったことで、おかげで身長が2㎝伸びたとのこと(ある情報通)。クライフの鶴の一声で、上層部の計画よりも前倒しで昇格したのは有名ですね。後方のポジションだからこそボールを失わない選手を置いておく、発想がかなり異なっていますね。


■ワンタッチプレーの達人 ポストプレーの6番

4番に押し出される形でトップ下に移住した6番。トップ下といえばジダンとかカカとかエジルみたいなファンタジスタ系が思い浮かべられますが、それは10番の選手です。バルサのトップ下は6番。かなり地味です。

このポジションをやっていた選手はホセ・マリア・バケーロ。最近知ったんですけど、94年アメリカW杯ではスペイン代表の10番だったらしいです。ホンマに10番着けとるんか。

ホセ・マリア・バケーロ

バケーロの特徴は「ワンタッチプレーの名手」。多くて3タッチ。滅多にドリブルしないかなり異質の選手です。そんでおいて、なにかとセカンドストライカーっぽさもあって、身長は172㎝なんですがゴール集見てみるとヘディングが多い。現在のサッカー界を見ても異質なタイプです。
そんな6番に求められたプレーとは何でしょうか。

クライフのデザインで重要なのは4番。4番から出るボールを直接受ける立ち位置になるのです。ここでポストプレーをすることで他の選手を前向きにプレーさせることができます。今風ならフリックとも言いますね。


当時442が多かった中で、4番はフォーメーション上浮くことになります。明確にマッチアップする選手がいないのです。343しかもダイヤモンド型にしてる意味は442の役割破壊型なんですけど、4番からのボールを正確に繋げる選手が欲しいわけです。

4番から6番に縦パス入れば、周囲の相手は6番に目が釘付けです。モテモテです。その代わりにモテない後ろ3人衆(失礼)が、4番8番10番の選手なんですけど、フリーに前向きにプレーができます。これを求めているわけです。

「1タッチでプレーできる選手は素晴らしい。2タッチはまあまあ。3タッチは論外」byクライフおじさん

タッチ数が多いと相手に奪われるリスクが増すのと、プレースピードが遅くなります。ドリブルよりもパスした方が速いですよね。こういうこと。常にワンタッチツータッチでプレーして相手をかわしていく。ボールを奪われない。
クライフの求めるワンタッチプレーができる選手としてバケーロは理想的であり重宝されたのです。


■ドリームチームの軌跡 ~88/89,89/90~

では、実際にドリームチームを順に追っていきます。まずは就任2年です。1年目の88/89シーズンは、選手が本当に揃ってない状況。特にウイングですね。当時はウイング絶滅期でして、世界的にウイングがいなかった。


「ウイングのスパイク裏は白くなければならない」byクライフ画伯


ウイングは両サイドのタッチラインをずっと踏んでいろ!ということで、幅は確保したい意味ですね。
このウイングなんですが、起用されている選手にも特徴があります。本職ウインガーではなくて、ストライカーを置いているんです。

ペップもバルサの時にダビド・ビジャ、ティエリ・アンリ、サミュエル・エトー、ペドロ・ロドリゲスといったウインガーというよりストライカーを置いてきましたが、狙いはこの時と同じです。実はドリームチームの3トップは現代サッカーとほぼ同じなのです。

この時期のメインメンバーです

3トップ全員が後にJリーグ来てますね。
チキ・ベギリスタインはウインガーですが、サリナスは典型的なCFです。初期のJリーグファンなら分かるでしょう。未だに破られていない8試合連続得点という最多連続得点記録保持者として横浜マリノスでプレーしてましたが、ポストプレー上手いThe 9番です。彼の他にも、クライフ1年目にはガリー・リネカーもいました。本職CF居たのにもかかわらずウイング起用。そしてCFの位置にはトップ下が本職のミカエル・ラウドルップがいます。

ゼロトップというやつです。
バケーロでフリックしてからもうワンパンチ欲しい役目として偽CFです。


「ファン・バステンがいなければトップ下を最前線に置くんだ」byクライフ軍曹


クライフ自身が現役時代はまるで偽9番のようにプレーし、相手最終ラインに問題を提供することを得意としていました。ラウドルップはクライフ好みの9番。パスもドリブルもシュートも上手い。ストライカーではないのでメッシみたいに得点量産というわけではありませんでしたが、イメージではデ・ブルイネを最前線で使っているのと同じです。ドリームチームの最前線の魅力として備わっていました。

CFが中盤に引いていくので、ここに飛び込むは、幅を取っていたウイング=ストライカーです。現代型の3421ではないので、大外はウイングだけしかいません。なのでスタートは幅を取っているのですが、ここぞの時はストライカーに化けてゴール前に飛び込む。ロジックはまんま今と同じです。

この頃はまだ始まったばかり。リーグタイトルは獲れず、これといった成果は出ていませんでした。


■ドリームチームの軌跡 ~90/91,91/92,92/93~

クライフ就任3年目から、皆さんの知るドリームチームが形になります。V4の始まりです。
まず基本メンバーから

この時期の特徴は、まず重要な4番にペップが収まっています。ペップ前は主にクーマンでしたが、ペップが収まりクーマンは本職に戻りました。あとは、ウイングにストイチコフが入っています。ドリームチームの象徴みたいな選手ですけど、左足からのキャノン砲はJリーグファンでも記憶にあるのではないでしょうか。ゴールデンブーツを獲得してバルセロナにやって来たブルガリア代表は、ここも本職のCFではなく右ウイングでした。ですが、ストイチコフはここでフィットし、ラウドルップとの相性は抜群。前線の補完関係が成り立ってました。特に92/93シーズンはベストに近い戦いをしたともいえるかもしれません。ちなみに91/92にサンプドリアを下して、クラブ初となるCL制覇、欧州タイトルを獲得しています。


■ドリームチームの軌跡 ~93/94~

V4達成した年。最も数字が良かったシーズンです。基本メンバーです。

違いは最前線。ブラジル代表のエース、ロマーリオが入っています。当時のリーガは外国籍枠3枚だったので、4人登録していた内のロマーリオとストイチコフは決定。ラウドルップかクーマンのどちらかが外れました。まだボスマン前でしたからね。

ロマーリオは典型的な9番でしたが、エリア内の天才というタイプで、フィニッシュの場面での破壊力がチームを助けていました。ロマーリオ自身も年間31得点。そしてチームもドリームチーム最多となる91得点をあげるなど破壊力は満点でした。守備サッカー全盛の時代にこれまた革命でしたね。ここまでくればチームの柔軟性もあり、ロマーリオだけでなくストイチコフも状況に応じて2トップのような形に変形するなどしていました。



■ドリームチームの軌跡 ~94/95,95/96~

ドリームチームの終焉。4連覇で途切れ、世代交代の時期となりました。ロマーリオがまるまる離脱し、ラウドルップはクライフとの確執でレアルへ移籍。移籍先のレアルでエースとしてチームを引っ張りリーガ優勝に貢献するという皮肉。チームを支えていたGKのスビサレッタやサリナスらが退団。急激なメンバー変更が行われました。94/95のメンバーです。

アメリカW杯後に行われたシーズンということで、この夏の目玉はルーマニア代表のゲオルゲ・ハジ。当時のNo.1司令塔です。ただ、チームが劇的変化中だったからかハジも本領発揮とはいかず。サイクルの終了はどのチームも難しいですね。因みにスビサレッタ去った後のGKはカルレス・ブスケツ。現バルサキャプテンのセルヒオ・ブスケツの父です。

そして95/96をもって、クライフは解任されました。会長のヌニェスとの確執が主な原因ですね。クライフは本当に喧嘩大好きだから。
この最後の年。クラブは「ニュー・ドリームチーム」結成に向けてルイス・フィーゴを獲っています。あと、カンテラ最高傑作と言われたイバン・デ・ラ・ペーニャもいます。クーマンとストイチコフも退団し、V4を知るメンバーというとバケーロ、ペップ、CBのセルジくらいでしょうか。あと逸話として、クライフは最後の補強にジダンを獲ることを要望していたらしいです。



■現代サッカーのモデル ドリームチーム

クライフの築いたドリームチームは8シーズンに及ぶ長期政権で幕を閉じました。このサッカーが世間に与えた影響は数知れず。ゾーンディフェンスの破壊と共に、攻撃サッカーが改めて見直されるきっかけにもなりました。そしてそれは、哲学は現在にまでも引き継がれています。記録と記憶
両方に残る伝説のチーム。いかにして引き継がれたのでしょうか。


■次回予告

ドリームチーム後のバルサはどうなったのか。転落から再生へ。ポジショナルプレーの歴史第2章


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