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丸ノ内サディスティック 椎名林檎

丸ノ内サディスティック、厄介な曲である。
全編英語詞のデモ、日英混合詞のexpoバージョン、neetskillsリミックスと4つものバージョンがあるが、ここでは最も聴かれているであろうファーストアルバム収録のバージョンを材に採る。
タイトルの「丸ノ内」はJR東京駅前のエリア名ではなく、東京メトロ丸の内線を指す。
盛り場としての新宿、池袋、楽器店の多い御茶ノ水、国家の中枢である国会議事堂前、今昔バンドマンを惹きつけて止まない高円寺、阿佐ヶ谷と、カッコいい駅ばかりに停車する路線であり、歌詞にもその駅名が織り込まれている。延伸、他社線乗り入れが無いことから、徹夜明けに眠りこけても、最果ての地に連れていかれる恐怖感がない。
歌詞には他に「グレッチ」「リッケン620」「ラット」「マーシャル」「ベンジー(浅井健一)」と、バンドマンとして好きなガジェットがパッチワーク状に散りばめられ、カッコいいもの、好ましいものが雑多に並んでいる。

そこにテーマは無く、散文的に意味の通った筋もない。
あるのは直感的に受け取れるビジョン、価値観のようなものである。
我田引水的に深読みすれば、いかようにも解釈できるし、意味の無い断片の羅列ともとれる。
冒頭で「厄介な曲」と言った理由はそこにある。
歌詞探偵を気取った私のような人間は、無力感に苛まれるのである。


存在としてカッコいい椎名林檎

椎名林檎の非凡なる点は、その作編曲スキルにあると思うのだが、同様に天性の作曲センスを誇るアーティストに桑田佳祐がいる。
桑田の作詞スタイルは「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」である。
そのソロ作を除き、サザンの楽曲は歌詞考察に向かない。
そして、椎名林檎からも同じ匂いがするのだ。

椎名林檎のデビューシングル「幸福論」の、シングルとアルバム両バージョンを聴き比べて欲しい。
シングルバージョンは「新人シンガーソングライター」の楽曲として完成度が高い。
が、その古さはいかんともしがたい。東芝EMIというレコード会社の「分かってなさ」っぷりが良く分かるのだ。
その出来に不満があり、椎名はレコード会社と揉めたと伝わっている。
そしてレコード会社側が折れ、本人とベーシストの亀田誠治に全てを任せることになった。
このエピソードは椎名の頭の中に「理想とする曲想」が出来上がっていたことを意味する。
一種の天才である。
そんなアーティストが綴る歌詞を解釈するなど、おこがましいということなのだろう。

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