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身内の自死〜罪悪感はいらない〜

私の父は、20年前みずから命を断ちました。
(自殺という言葉を嫌がる人がいるので、ここでは自死という言葉を使います。)

自死をする人はたくさんいますが、そのことについて語るのは なんとなくはばかられる雰囲気がありますよね。
父が自死したことを話すと、実はうちも、、と言う人があんがい多くて驚きます。

このnoteでは、自死の原因とか、こうすれば防げたのでは、ということにはフォーカスせず、

◾︎ 残された人が罪悪感を持たなくていい
◾︎ 知り合いが遺族になった場合、どう関わったらいいか
について書きました。

2,500文字くらいなので、するっと読めると思います。
ふつうとは少し違う考え方かもしれませんが、
なにかの参考になれば嬉しいです。

①家族の自死を人に伝えるかどうか

父の死の後、多くの人に
「突然だったけど、どうして亡くなったの?」
と聞かれました。
はじめのころは正直に「自殺したの。」と答えていたのですが、みんな一瞬ひいて、
「そうなんだ。」と居心地悪そうにその場を去ります。
クリスチャンの友人に、キリスト教では自殺はいちばんの罪なんだよ、と唐突に言われたこともありました。ま、そんなことはどうでもよかったので、へぇぇそうなんだ〜、と答えた気がします。

どうやら正直に言うと人は困るらしいので、しだいに死因について聞かれたときは、
「帰ったら庭で亡くなってたの。原因はわからない。」と言うようになりました。

嘘はついていないけれど、本当のことを言えないのがとても辛かった。
いま思うと、別に相手が困ろうが、事実をふつうに伝えればよかっただけで、人の顔色を気にする私が弱かったのです。
ちなみに今はもう、ふつうに軽く伝えますよ。

でもそれは、自分が楽な方を選べばいいんです。地域によっては、自殺者が出た家族が住みにくくなることもあるらしいし、言いたくない人も多いでしょう。

②罪悪感はいらない

父の死から数年たち、悲しみが癒えたころ、自死遺族のわかちあいの会というのがあることを知り、1年間 ボランティアをしたことがあります。

わかちあいの会とは、パートナー、親、子供、兄弟など、身内を自死で失った人たちが集まり、自分の体験や気持ちを語ることで、立ち直ろうという会です。
同じ体験をした人にしか話したくない人も多いらしく、資格のあるカウンセラーを置かず、スタッフもわざわざ自死遺族だけという方針の会でした。

そのときに、多くの遺族が、もっとこうしていたら もしかして、という永遠のループで自分を責め続けていることを知ったのです。
しかし、どんなに自分を責めても人は生き返りません。
身を切られるほど辛いのは一生続くかもしれない。けれど、家族であっても、人の死はあなたのせいではない。
酷かもしれないけれど、あなたにそこまでの力はありません。

罪悪感を持って自分を責めるというのは感情ではなく、思考です。
そのグルグル思考から離れることをおぼえ、少しずつ悲しみを受け入れましょう。

③私が辛かったころにしたこと

⚫︎泣く ⚫︎眠る
私はとにかく毎晩泣いていました。
毎日ではないけれど、仕事もしていて、1歳児もいたので、昼間は気が紛れています。
けれど夜になって子供が眠ると、父のことを思い出して涙があふれてきます。

でも毎日だったのは最初だけ。しだいに2日にいっぺん、3日にいっべん、と間遠くなり、半年たったころには涙は枯れていました。その半年間は、眠れなかったので、入眠剤を飲んでいました。

⚫︎話す
アドバイスもジャッジもせず、淡々と話を聞いてくれる人がいたら、電話ででも会ってでも、話すことをオススメします。
話すは離すに通じるので、そういう気持ちになってきたら、ぜひ話を聞いてもらいましょう。
私は夫がその役割をしてくれました。

⚫︎感情を受け入れる
何回も書きますが、悲しみ、怒りなどの感情はキツイけれど、受け入れ、充分に感じきることをすすめます。

泣く
眠る
話す
感情を受け入れる

を意識してみてください。

もちろん個人差はあります。
どうしても泣けない人、話せない人はいますし、
時がたつほど悲しみが深くなる人もいます。

なにが正しい、というものはないので
ゆっくりと自分の道を見つけてください。

④私の死生観

人が死んだらどうなるのか、魂はあるのかなどは、様々な宗教、教え、生死をさまよって生き返った人の話など、諸説あります。

ほんとのところはわかりません。
いまの私たち人間の思考では理解できないことなのではないでしょうか。

でも、何かしらのよりどころが欲しいと思う方にむけて、私が採用している死生観を紹介しておきます。気に入ったらあなたも採用してください。

それは、我々が死ぬと、魂は幾千もの粒に散り、また別の魂の幾千の粒とくっついて、新しく生まれる体に入るという説です。
そうやって散ってはくっついて何万回と転生をくり返す。

この世で出会う人は、好きな人も嫌いな人も、いつぞやの時代に同じ体に入っていた魂だそうですよ。
なんだか広々した気持ちになりませんか?
いい意味で諦めがつくような、、

⑤友人が遺族になったとき

恥ずかしながら、私は父が亡くなるまで、遺族となった人になんと声をかけたらいいかわからず、いつも当たらず障らずの態度をしていました。

同じように、なんと言ったらいいかわからなくて困っている方に、私が当時 欲しかった言葉を伝えます。

元気だった人がとつぜん亡くなった場合、自殺の可能性は高いです。そして遺族はそのことを言えないでいることが多い。
そんなときは勇気を出して
「時間が合えば話を聞くから、いつでも連絡してね。」
と言ってみてください。
そのひとことが、ものすごく嬉しいのです。
たとえ、連絡することがなくても。

もしも話を聞くことになったら、肯定も否定もせず、聞いてあげてくださいね。

⑥最後に

私の拙い文章を読んでくれてありがとう。
人は感情と思考の生き物です。
あれはいい、あれは悪い、などと考える知恵もあります。

身内の死という悲しみのとき、これらが絡まると、グルグル思考のループにはまり、感情の火に油をそそいで、罪悪感という魔物を作りだします。
罪悪感はいりません!

すぐにポイ捨てするのが無理ならば、少しずつ、少しずつ、その重たい魔物のベールを脱ぎ、今いる世界を味わえるようになってください。

だれも悪くありません。
死ぬまで豊かに生きましょう。

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