【映画感想】『ザ・ホエール』 ★★★★☆ 4.1点

あらすじ

 英語教師のチャーリーは、極度の肥満症で歩くこともままならず、引き篭もりの生活を送っていた。友人の看護師リズに、鬱血性心不全のためにこのままでは余命幾ばくもないことを告げられたチャーリーは、8年間交流のなかった娘のエリーを呼び寄せる。しかし、かつての教え子だった男性アランと不倫し、彼女と母親のメアリーを置いて去ったチャーリーに、エリーは激しい嫌悪感を抱いていた。(2023年公開、監督:ダーレン・アロノフスキー)


評価

★★★★☆ 4.1点


予告編


感想

頭から終わりまで舞台は主人公チャーリーの家の中のみ、登場人物も6人だけという非常にミニマムな舞台設定の作品。もとが同名の舞台というのも納得の1本だ。本作はこの非常にミニマムな舞台のもと、主人公のチャーリーという一人の男の人となりをじっくりと描いている。

このチャーリーという男、引き篭もりで不摂生で肥満症、幼い娘を捨てて教え子と不倫するわ、看護師である友人のリズの言うことを全く聞かないわと、まず客観的に見てとにかくアカンやつである。しかし、その内面はというと、人当たりは穏やかであるし、人に何を言われても声を荒らげず、何かに付けて相手を肯定してくれるので、比較的良い性格をしているように見える。ただ、さらにその内面を深堀りしていくと、利他的のように見えて、結局は自分のエゴを押し通す利己的な性格をしており、彼の自己満足のために周囲の人間は散々振り回されるため、やっぱり内面もよくよく見ればアカンやつということで結局、浅く見ても深く見てもアカンやつだ。劇中では、甲斐甲斐しく彼の面倒を見るリズが、彼のある種身勝手な振る舞いに要所要所で激昂するが、まさにそれと同じように、観客もチャーリーのままならなさ、意固地さに苛々しながら鑑賞することとなる。


ではチャーリーは全く感情移入のできない人物かと言われるとそんなことはなく、むしろ、非常に人間臭い、共感できる点の多い人物として描かれている。極度の肥満症に苦しむチャーリーはリズから幾度となく病院を受診するように勧められるが、そのたびに医療費を払う余裕がないことを理由にこれを断る。しかし、物語の終盤で彼が娘のエリーのための銀行口座に収入のほとんどをつぎ込んでおり、本当ならば、医療費を払う余裕はいくらでもあったことが明らかになる。

チャーリーという人物の面白いのは、破天荒で自堕落な生活を送りながらも、それと同時に、娘に対して底抜けな無償の愛を注ぎ込む利他的な面を有しているところである。ただ、そもそも男と駆け落ちして、妻と離婚していなければ、娘との関係がこじれることもなかったわけであるし、彼のやり方はエリーや元妻のメアリーの気持ちを全く無視したエゴイスティックなものなので、その愛情は非常に歪なものでもある。

さらに、娘のために自身の治療は諦めるという彼の行動の動機の中には、本当は彼の消極的な自殺願望も含まれているように思われる。妻と娘を捨ててまで結ばれた恋人のアランを自殺で亡くし、何もかもを失って、醜い容姿へと変貌してしまったチャーリー。彼自身もこれは娘のためなのだと思い、自身の健康を蔑ろにしているが、実は深層心理ではもう生きて行きたくないという思いも抱いており、娘への愛情は本物ではあるものの、そこに都合よく自身の破滅願望をも乗せてしまっているのではないだろうか。

そして、この自身の人生への諦観というものは、今の時代、誰しもが大なり小なり抱いている感情ではないだろうか。チャーリーは紛うことなく救いようのないダメ人間なのだが、彼がこのような状態に陥ってしまった理由は非常に共感を持って理解ができるし、彼は多分100回人生をやり直しても100回とも社会から転がり落ちるであろうことが肌感覚で分かる。信じられないくらいダメなやつなのに、その心は嫌になるくらい分かる。本作はそんな両極端な感情が去来する作品となっている。


本作のMVPは言うまでもなく、主演のブレンダン・フレイザーであろう。ここまで散々述べてきたように、本作の主人公チャーリーはとにかく話にならないダメ男であり、要所要所で彼の融通の効かなさにイライラとさせられるのであるが、それでも、どうにも憎みきれない人物になっているのは、ブレンダン・フレイザーの醸し出すなんとも言えない可哀想さによるものだ。普段の物腰の柔らかさ、妙にキラキラとした涙目、歩行器でよたよたと歩く姿。巨漢のおっさんのはずなのに、なんだか子犬のようなのに見えてきてしまうのだ。

そして、必見なのは超肥満症の巨体を再現した特殊メイク。あまりにも絡まってしまった様々なしがらみで身動きができなくなってしまったチャーリーの精神性が、立ち上がることも困難になり家から出られなくなってしまったその巨体と密接にリンクしている。歩行器がなければ立ち上がることもできない、車椅子が大きすぎて奥の部屋にも入れない、落ちたものを拾うことすらできない。そういった出来ないことの小さな積み重ねが描かれることによって、間接的にチャーリーの自身の人生への閉塞感がおのずと浮かび上がってくる。肉体の描写を通して、精神を描く実に巧妙な作劇であると言えるだろう。

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