2021年12月公開新作映画感想まとめ

ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ

 宇宙から飛来した寄生生物ヴェノムのダークな面とヒロイックな面を両方魅せるという点に全ての力を注ぎ込み、ストーリーは力技と勢いで押し通した前作。これでヴェノムの魅力が薄ければ目も当てられないところだったが、蓋を開けてみると、ヴェノムは強い・怖い・可愛いの三拍子が揃った魅力的なキャラに仕上がり、作品としてもストーリーは緩いが、大迫力のアクションと楽しいキャラの掛け合いで、背徳的でありながらスカッと爽快感のある良作にまとまっていた。前作はヴェノムというキャラを立てるためのお膳立てとしてストーリーが組まれているような、いわば、"ヴェノム至上主義”な作風だったのだが、本作でもこの姿勢は貫かれている。

 本作のアピールポイントは、(1)主人公・エディとヴェノムのドタバタな掛け合い、(2)ヴィランであるカーネイジの残虐の限りを尽くした暴れっぷり、(3)ヴェノムとカーネイジの激しいバトル、の3点。本作では、この3点を魅せるために前作以上にストーリーはオーソドックスなものになっている。このヒーロー映画群雄割拠の時代にこのシンプルさは逆に異様だが、この作品に限ってはこれでよい。観客はエディとヴェノムがガチャガチャ喧嘩しながら、縦横無尽に飛び回って敵とド派手に戦うのを観に来ているのだ。この見どころを邪魔しないようにストーリーを組むのは、このシリーズにおいては最適解と言える。

 というわけで、こういった構成である以上、ヴェノムとカーネイジのバトルシーンの面白さが作品の面白さを決定するわけだが、この点に関しては前作からさらにパワーアップしており大変満足度が高い。ヴェノム、カーネイジの両者ともに、伸縮自在のアメーバ状の体でほぼ全ての物理攻撃を無効化する特性を持ちつつも、高周波と火という明確な弱点が設定されている。これにより、無敵っぷりのアピールと戦いの戦略性が両立されており、戦闘シーンの緊張感が終始落ちないのが非常に巧い。さらに、この弱点設定のおかげで、自分の身を守りつつ、相手に高周波か火のどちらかを上手く叩き込んだ側が勝ちというように、戦いのルールが明確化されており、バトルのゴールが誰の目にも分かりやすい点がアクションものとして実に優秀だ。

 前作同様、ヴェノムたちのバイオレンス・アクションを存分に楽しめる快作に仕上がっているので、前作に乗れた人には安心しておすすめできる。

フラ・フラダンス

 ベースは5人の新人フラガールたちの日常系アニメ感のあるストーリーながら、新社会人としての苦悩やお仕事ものとしての厳しさもしっかりと組み込まれているため、緩すぎず辛すぎないバランスの良い作品に仕上がっている。スパリゾートハワイアンズを中心とした様々なダンスの仕事を通して、徐々にチームとして団結していく5人の姿が軽やかに魅力的に描かれており、一種のスポ根アニメとしても上質だ。特に入社したての主人公が同期と自分を比較して落ち込む展開では、誰しもが新人時代に経験してきたであろう苦悩が描かれており、グッと来る人が多いと思われる。

 作品の肝であるフラダンスのシーンは美麗なCGアニメで描かれており、ここまでのダンスシーンがアニメで表現できる時代になったのだなぁと感心する。ゆったりした動きが主体のフラダンスが題材のため、いわゆるアニメ的なキビキビとした動きの面白さを取り込みづらいのか、ダンスシーンに若干の緩慢さを感じるものの、縦横無尽なカメラワークはアニメならではであり、総合的に見ると一定の満足感が得られるアニメーションになっている。

 主人公の日羽の姉である真理が(おそらく)東日本大震災で亡くなっており、彼女も妹と同様にスパリゾートハワイアンズでフラガールとして働いていたという設定が本作における重要な要素なのだが、この点に関しての描写はかなり意識的に必要最低限のレベルまで抑えられており、1本の映画として見ると、この点についてもう少し突っ込んだ描写が欲しいように思う。が、あえて姉の関係者たちが彼女について多くを語らない様は逆にリアリティがあり、また本作のターゲットが、日羽と同じように子供時代に東日本大震災を経験し、今、大人になろうとしている若者たちであろうことを考えると、「もうそれについてはみんな経験してきたことだから語らなくても分かりますよね?」という本作の作劇のバランスもこれはこれでアリなのだろう。

ラストナイト・イン・ソーホー

 現代の専門学校生エロイーズが、夢の中で1960年代の歌手志望の女性サンディの人生を追体験していく本作。現代と1960年代を錯綜する、一歩間違うと飲み込みづらくなってしまう物語を、映像的に非常に整理した形で提示している。1960年代の綺羅びやかさと陰惨さが鮮やかな色彩で表現されており、最初は華やかに見えていた景色が徐々に下品でグロテスクに見えていく演出が素晴らしい。特にシーンとして白眉なのは、序盤の1960年代のダンスホールでサンディと後に彼女と恋仲になるジャックが踊るシーン。ワンカットの中で踊るサンディがシームレスにエロイーズと何度も入れ替わる演出が実に巧みで華やかであるとともに、2人の境界線が曖昧になっていく様も表現されており物語的にも意味のあるシーンとなっている。

 現代の専門学校生エロイーズを演じる主演のトーマシン・マッケンジーが特にはまり役で、上京したての黒髪で芋臭かったエロイーズが、サンディに感化され金髪の都会的な女性に変貌していく過程が、華々しくも痛々しい。さらに、次第に精神を蝕まれていく姿も真に迫っており、終盤は彼女の熱演のために「怖い」より「気の毒」という感情が勝つほどだ。

 と、ここまで述べたように映像と役者の演技はとても素晴らしいのだが、脚本に関しては手放しでは褒めがたい。本作の主題は女性への性暴力とそれに怯え蝕まれる女性たちである。少なくとも中盤までは。全編を通して、男性の暴力性や加害性がこれでもかというほど執拗に描写されているため、霊体験や幻覚が多分に描かれているにも関わらず、本作における恐怖の対象は一貫して性的搾取を行う男性たちだ。しかし、本作では終盤で本作の主題であったはずの性暴力が、作品における舞台装置に格下げになってしまう展開が用意されている。これがいただけない。ノスタルジックに語られる60年代に、虐げられ搾取されていたたくさんの女性たちがいたということを取り上げたことは評価されるべきであろうが、結局それに対して何らかの制作陣なりのアンサーを出すことなく物語を畳んでしまっている。極端に言うと、性暴力をエンターテイメントのスパイスに使っただけにも見える終盤の展開は、これでよかったのかと首をかしげざるをえない。

 良い部分も非常に多いのだが、どうにもモヤモヤ感が残ってしまい残念な作品と言える。

パーフェクト・ケア

 法定後見人制度を悪用し、高齢者から資産を不当に搾り取っていた悪徳後見人のマーラが、マフィアのボスの母親をターゲットにしてしまったことから、マフィアとの熾烈な抗争に巻き込まれていくクライムサスペンス。悪徳後見人とマフィアの頭脳戦が描かれるのかと思いきや、どちらかと言うと泥くさい悪党同士の見栄の張り合いがメイン。こういった悪対悪の作劇の場合、互いが互いを出し抜き合うシーソーゲームが醍醐味のように思うのだが、本作に出てくるマフィアはやることなすこと詰めが甘い。そのため、マーラとマフィアの抗争のほとんどの時間がマーラ優勢で進み、それほどハラハラする部分がないので、サスペンス的な面白みは薄い。一方で、主人公のマーラについては、いかなる者にも屈しない強かさと、高齢者もマフィアも見境なく金儲けの踏み台にしていく極悪さが作中で徹底的が描写されるため、彼女の著しくアクが強く胸糞悪いキャラクターは鑑賞後こびりつくように心に残る。

 主人公のマーラを演じたロザムンド・パイクの怪演の素晴らしさは誰しもが言及するところだと思うが、個人的にはマフィアのボスの母親で、マーラに高齢者施設送りにされるジェニファーを演じたダイアン・ウィーストの演技が印象に残った。どこからどう見ても理知的で品の良いおばあさんだったジェニファーが、マーラの前でマフィアの母としての本性を垣間見せるシーンが特に良い。無力な老人と思っていた女性の瞳の奥に、途方もなく深遠な闇が存在していることが顕になる非常に痺れるシーンだ。

 脚本が割と大雑把なため、個人的にはあまり刺さらなかった映画だったが、主人公マーラに関しては、ここまでアクの強いキャラクターはなかなか無いため、刺さる人には刺さる作品なのかなと思う。

マトリックス レザレクションズ

 2000年代初頭に一世を風靡したSFアクション大作「マトリックス」シリーズの18年ぶりの新作。仮想現実「マトリックス」でのネオの新たな戦いが描かれる。

 少なくとも2000年代中盤くらいまでは世界の「カッコいい」の最先端に位置していた「マトリックス」。これを支えていた2大要素が、最先端の映像技術と難解なストーリーであった。が、映像面に関しては約20年の間に様々なフォロワーによって模倣され尽くし、2021年の現在ではすでにだいぶ古びたものになってしまった。この現状を鑑みるに、今になって続編を制作しても古臭い珍作になってしまうのではないかと危惧していたのだが、本作では映像面での先進性は潔く諦め、そのストーリー性でマトリックスの当時のあの雰囲気を再演してみせている。本作に関しては、この舵取りが実に絶妙だった。

 前述の通り、本作が当時の尖りに尖っていた心意気のまま、「2021年に最先端のサイバーパンクとカンフーアクションをもっぺん見せたるわい」という意気込みで制作されていたら大火傷な作品になっていただろう。だが、実際には映像面では、過去3作の中では相対的におとなしめだった1作目を現代の映像レベルにアップデートさせる程度にとどめている。むしろ、マトリックスの一番のウリであった所謂「バレットタイム」をうっすら茶化して作品内に取り込んですらいるほどだ。このことからも、映像面では背伸びせず、違う方向性で戦いますよという制作陣の意思が感じられる。

 一方、ストーリーは前3部作を一歩引いた位置から見つめ直して、現代に合わせて再構成したような内容になっている。特に序盤に、前3部作を登場人物たちの会話を通して自己批評させたり、過去作の映像を要所要所でそのまま引用したりすることで、この約20年の間にマトリックスという作品が世界にどう受け入れられ、それを制作陣はどう感じているのかがメタ的にガッツリと描かれる。そして、これを踏まえた上で前作からの続編として物語は大きく展開していく。このある意味達観したかのような語り口のおかげか、作品全体から前3部作が持っていたようなひりついた雰囲気が薄れ、逆にどことなく老練で円熟した雰囲気が漂っている。これを緊張感の欠如ととる人もいるだろうが、個人的には作品の成長が感じられ好印象だ。それでいて、過去作をしっかり踏まえたうえで、前作まででは描かれていなかったような良い意味での二次創作的な描写が多く盛り込まれており、ファンとしてはたまらない。

 本作は「マトリックス」3部作のどこに「マトリックス」らしさを見出しているかによって大きく評価が分かれる作品であるように思われる。"らしさ"を先進的な映像技術に見出している人からすれば、本作は地味な縮小再生産に映るだろう。だが、"らしさ"をそのストーリー性に見出す人にとっては、前3部作に泥を塗ることなく、それでいて安易な形でもなく、今の時代に合わせて丁寧にアップデートした本作のストーリーを通して、当時のマトリックスに熱中していたときの胸の高鳴りを思い出すことができる。「あいつ、若い頃はすごい尖ったヤツだったけど、久しぶりにあったら年相応にくたびれてたよ。でも、話してみたら中身は変わってなくて面白いヤツのまんまだったなぁ」と、同窓会で18年ぶりの親友に会ったかのような多幸感のある、そんな続編に仕上がっている。

仮面ライダー ビヨンドジェネレーションズ

 毎年恒例の現行の仮面ライダーと前シリーズの仮面ライダーのクロスオーバー作品。本作はこれに加えて、仮面ライダーシリーズ生誕50周年記念作品でもある。このようなアニバーサリー映画であるにも関わらず、蓋を開けてみると、中尾明慶と古田新太が演じるわだかまりを抱えた親子の和解の物語を軸に据えた実に渋い作品に仕上がっている。

 もともと、この時期に公開される冬のライダー映画はクロスオーバー作品であるがゆえに消化すべき要素が多く忙しない作品になりがちなのだが、今作はこれにライダー生誕50周年というもう一つのファクターが乗っており、さらに課題が多い。具体的には

(1) 50年後の未来から来たライダー、"仮面ライダーセンチュリー"を登場させる。これに付随して2071年の未来も描く。
(2) 50年前の1971年に誕生した仮面ライダー1号を藤岡弘、の実子の藤岡真威人が演じる姿を描く。
(3) 現行の「リバイス」、前作の「セイバー」に登場する計15人の仮面ライダーの見せ場を用意する。
(4) アニバーサリー作品なので、「リバイス」、「セイバー」以外の歴代の仮面ライダーも登場させる。
(5) 劇場版限定の主人公ライダーの強化形態の見せ場を用意する。

といったところが本作のノルマだ。1時間半程度でこなすには宿題があまりにも多い。

 しかし、本作ではこのノルマを最大限効率良くこなしつつ、捻出した残り時間を全て前述の中尾明慶と古田新太の親子のドラマに割いている。さすが名優同士の競演である。ドラマの筋事態はそこまで凝ったものではない(一部の設定は異様に凝っているが......)にも関わらず、2人のシーンになると、ここだけ日曜劇場のような厚みのある空気になり惹き込まれる。ちなみに、中尾明慶の方が父親役で様々な事情からタイムトラベルして2021年の息子・古田新太のもとに現れるという設定なのだが、父とのわだかまりを解消することによって、息子が接し方を測りかねていた自分の息子との関わり方を見出していくという親子3世代のドラマに繋がっていく構成がなかなか良く出来ていて、ラストではホロリとしてしまう。

 とにかく「セイバー」側のライダーが多いため、全員に見せ場を設けるために、世界中で暗躍する敵の軍団と戦うためにライダーたちも世界中に散って戦うという展開を用意したり、過去作のOB・OGの活躍を描くだけの時間がないので上手いことライダーのガワだけをたくさん出せる設定を用意したり、シリアスな場面になると、主人公格のキャラである悪魔のバイスが茶々を入れて、子どもたちが飽きないように作中の空気を賑やかしたりと、様々な面でよく考えられて作られており、アニバーサリー作品としての派手さには少し欠けるものの堅実な仕上がりの作品となっている。

劇場版 呪術廻戦0

 死んで怨霊となってしまった幼馴染・折本里香に取り憑かれた少年・乙骨憂太と、呪いの力を使って大量虐殺をなそうとする呪術師たちとの戦いを描く学園バトルアニメ。TVアニメシリーズは観ておらず、原作を少し読んだ程度で鑑賞したが、この作品単品で理解できるように作られている。個性豊かな登場人物、能力バトル、学園モノ、腕利きの幹部たちを従えた悪のボス等々、非常に週刊少年誌的な文法で話が作られており、ジャンプアニメの空気にどっぷり浸れる作品。こういった確立した文法に則っていることもあり、約2時間の上演時間で主人公・乙骨憂太の戦士としての目覚めから成長、覚醒までの流れが実にテンポよく過不足なく描かれており非常に観やすい。

 本作の特筆すべき点はなんといっても作画のクオリティの高さだろう。異様にポップな絵柄で外すコメディ的なシーンはあっても、気の抜けた作画のシーンは一切ない。日常シーンは繊細で細やかに、戦闘シーンは荒々しくスピード感溢れるタッチで描かれる。終盤の東京と京都が呪いと呼ばれる無数の化け物で溢れかえるシーンの臨場感もとても良いのだが、何より、憂太と敵の首領である夏油傑の最終決戦シーンのスピード感の演出が実に素晴らしい。奥行きのある空間描写で超高速で飛び回る憂太の動きにグイグイ惹き込まれるうえに、彼の怒りと能力のギアがさらに一線を超えて一段上がる様を、荒々しい描画と、スッと画面の色味が抜ける演出で実にスタイリッシュに魅せており、アニメーションとしての気持ちよさがずば抜けている。

 本作の象徴的なキャラクターである特級過呪怨霊・折本里香が、クリーチャーとして非常に魅力的な点も本作の良さの一つだろう。ひとたび暴れ出せば無敵だが暴走の危険性をはらんでいるという設定、クリーチャーとして自立して戦闘もできれば、憂太や彼の武器に纏わりついて戦うこともできるバトルもののキャラとしての使い勝手の良さ、悲劇的なバックボーンと時折見せる可愛らしさや幼さ、ダークヒーロー然とした容姿、と美味しい設定のフルコースである。折本里香が暴れまわるシーンは全て見応えがあると言っても過言ではない。

 ただ一方で、人間としての折本里香のキャラクターは非常に定形的で薄いのが残念なところ。サクサクと話が進むのも相まって、全体としてストーリーはかなり薄口なので、せめて里香のキャラクターに人間的な厚みがあれば全体の物語が締まったのではないかと思われる。ただ、話が重い方向に進みそうになると、すかさず、かなり突き抜けたコメディタッチの描写を挟んで空気を軽くするよう作劇されているように見えるので、意図的にそういったディープな方向性は志向しない作りにしているのかもしれない。

 冬休み娯楽映画として、高クオリティで非常に満足度が高い作品になっているので、迷ったらこれを観に行けばよいと言えるだろう。

キングスマン:ファースト・エージェント

 いかなる国家にも属さない世界最強の諜報機関キングスマンがいかにして発足されたのかを描くシリーズ第3弾にして前日譚となる作品。現代を舞台としていた前2作と異なり、1900年代初頭の第1次世界大戦前後が舞台であるため、本シリーズの持ち味であったオーバーテクノロジーを駆使した様々なスパイグッズは本作では登場せず、銃と剣を用いた肉弾戦が主体となる。また、史実をベースに実在の歴史上の人物を多数活躍させる構成になっており、一種の歴史ものの側面を持つ作品となっている。これらの要因により、要所要所で過去作を彷彿とさせるテイストはあるものの、全体的には前2作とはかなり毛色の違う作風となっている。

 本作は、前半はフィクションレベルの高いアクション映画なのだが、中盤からかなり重めの戦争映画に変遷し、また終盤にハイテンションなアクション映画に急旋回するというかなり異色な構成になっている。中盤の戦争映画パートは西部戦線が舞台となっているが、アクション映画らしい肉弾戦の演出を残しつつも、塹壕戦の悲惨さと戦争の惨たらしさが存分に描かれており、死と隣り合わせの緊張感に息が詰まる。一方、前半と終盤は打って変わって、主人公のオックスフォード公たちが悪党たちと鍔迫り合いに銃撃戦にと、ハイスピードに戦うテンションの高い痛快なアクションが描かれる。これら全く異なる2つのジャンルが1本の作品に詰め込まれており、それらがシームレスに接続されていることに観終わって冷静になると若干困惑する。ただ、序盤のうちから、中盤のパートへの布石となるオックスフォード公と息子のコンラッドのすれ違いや、終盤で明かされる悪の秘密結社"羊飼い"の正体への伏線などが周到に敷かれているため、鑑賞中には全く自然にこの流れを受け入れられるようにできており、脚本のレベルの高さが伺われる。

 本作のアクションシーンは前述の通り、前2作とは異なり、特殊なスパイグッズは登場せず、剣と銃を用いたアクションに限定されている。主な戦場はロシアの宮廷と"羊飼い"のアジトの2ヶ所なのだが、どちらも戦闘に入る前に会話シーンを通して、地形や設備の説明が自然な形でなされ、観客の頭にこれらの情報が入ったところで、戦闘が開始する。そのため、アクションの争点が非常に分かりやすく、敵味方の戦いに没入しやすい巧みな構成になっている。特に終盤のアクションシーンについては、作戦開始から決着まで比較的時間が長いにも関わらず、一切ダレることなく走り切るため非常に満足度が高い。

 全体としては軽やかなアクション映画だが、戦争映画としての重厚さも併せ持つ作品。前2作の前日譚としても堅実な作りながら、本作の主人公であるオックスフォード公をメインとした別ラインのシリーズもまだまだ作れるポテンシャルがあるため、今後のキングスマンシリーズの展開からまだまだ目を離せない。

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