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『Fate/Apocrypha-Side of Survivor』の感想

2020年6月4日。ついに『Fate/Apocrypha』のブルーレイボックス2が手元に届きました。

目的はそう、これ。アストルフォ好きは発狂するという噂の『Fate/Apocrypha-Side  of Survivor』。我らがアストルフォを主軸とした大戦後の後日談。発狂、発狂と名高い為、これはもう覚悟して読まねばなるまいと、腹を括って読みました。

まずはこれ。表紙。

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顔がいい。ただただ顔がいい。そして指が綺麗。手が美しい。これが美貌の騎士…!!なんだこれは、イケメンがいる…!!



と、噂通り表紙を見て発狂しました。




さて、問題の内容なのですが。(※以下ネタバレにつき注意)


 とりあえず、私は発狂までは行きませんでした。行かなかったけれど、まあ普通に心は折りに来てるなあと思いました。

 アストルフォの聖杯大戦中には明かされなかった「自分が夢物語の住人であること」への苦悩と、ジークを「戦いへと巻き込んでしまったこと」、「人間として生かしてあげられなかったこと」への後悔。それらが綴ってありました。

 故にアストルフォは自分をこう評します。「マスター殺し」と。

 ジークを人間として生かしてあげられなかったのは自分の“罪”であると言うように。


はっきり言います。正直、これらに対しての感想は私の中では「まあ、そうなるよね。」でした。

 アポクリファ最終巻にて、ジークはアストルフォに言います。

「ライダー。俺はライダーを信じている。」

「ライダーが信じている人間を、信じている。」

 こう言ってジークは邪竜になって世界の裏側へと旅立って行ってしまうのです。

 ここのセリフ。私は割と問題だと思っていました。というのも、これは受け取りようによっては、「アストルフォが人間を信じたせいでジークが人間を信じてしまい、邪竜になってしまった」とも受け取れてしまうのです。

 いや、本当はジークが自分で選んだ選択だから、誰のせいでも無いのですけれど。強いて言えば第三魔法起動させた、天草のせいなのですけれど。「いや、そもそもアレ聖杯戦争として決着もついてないのに一方的に第三魔法起動させるのはどうなの?ルール違反なのでは?」と、私個人としてはそういう意見もあるのですが。

 とは言うものの、見た目と普段の素行からして考えにくいとは思うのですが、アストルフォは誠実で責任感の強い騎士です。「“自分のせいである”と考えないわけがないだろう」ということで私は予想済みでした。

 「自分のせい」と考えて、悩んで悩み抜いたからこそ、記憶を辿って辿りまくって最初の起点である「ジークとの契約」を後悔しているんじゃないかと思いました。

 そして同時に、天草四郎を憎みたい気持ちもあるからこそ、天草四郎を知ろうとしたのだろうと思いました。だから、英霊となった天草四郎の故郷(?)へと行ったのではないかと思います。

 相手を知ろうともせずに憎んだり、恨んだり、責めたりするのはやっぱりそれはそれで無責任だろうと思いますし。個人的にアストルフォが天草四郎を理解しようとしていることに、アストルフォの誠実さを感じました。



 アストルフォのその後の旅は、きっとジークとの約束の為でもあるとは思うのですが、同時にジークを人間として生かせられなかった贖罪の旅なのかもしれません。

 けれど、夢物語の住人であるアストルフォが真に英雄となったのは、名もなきホムンクルスと出会った瞬間なのだと思います。

 「英雄」とは誰かに「英雄」と思われた瞬間に英雄となるのだそうです。もしそうなら、アストルフォが英雄になった瞬間は、ジークに出会った瞬間であり、ジークに英雄と思われた瞬間なのではないかと思います。

 つまり、二人の出会いはやっぱり運命(Fate)だったのだろうというのが結論です。

ただ最後に。願わくば、アストルフォがジークの手を引いて「これがキミが守った世界だ」と連れ回す。そして、一緒に美しい世界を見て回る。そんな日が来ればいいと思うのです。
















綺麗にまとめたいと思うのですが、正直この特典小説を読んで「アスジクのR18ホモ小説の続きを書こう」って気持ちを強めた私が一番罪深いんだよなあ。どんな精神状態してんだ。終わります。





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