第6話:『北関東グレイブディガー』23【完】
そしておれ達は今。
なぜか六人揃って国道17号沿いのソバ屋でソバを喰っている。
「結局、休みを全部使っちまったなぁ。土曜中には終わらせたかったんだけど。うん、それにしてもこのソバ、思ったよりイケるな」
「あまり食事中に下品な音を立ててすするのはマナーがなってないのでは、亘理さん」
「何をおっしゃる風早クン。音を立てずに食べるのはヨーロッパのマナー。日本のソバはむしろ音を立てることに意義があるってもんだぜ」
「そーだよ清音ちん。マナーってのはしょせんローカルルールの集合体なんだから、気にしちゃいかんよ。あ、おねーさん、オイラぁざるもう一枚追加ね。もう腹減ってサ」
「はーい」
「……それがつい五時間前まで背中刺されて死にかけてた奴の言葉かよ」
「いやー、さっすがに音に聞こえた『守護聖者(ゲートキーパー)』サンだぁね。あんだけの深手を一発で直しちまうとは。ホント助かりましたッスよ」
「処置が間に合ってとにかく良かった。もともと俺は治す方が得意なんだよ。そもそも俺がこの術を修得したのも子供の頃に……」
「あ、チーフ、ここ禁煙なんで。回想とタバコは外でやってくださいね」
「……お前最近、どんどん俺に冷たくなってないか?」
「気のせいです。それはそうと、流石に今回はおれも腹が減ったんで……すいません、ざる一枚追加お願いします」
「はいはーい、ただいまー」
「あ、ボクももう三枚お願いしまーす」
「はーい。ざる三枚入りましたー」
「……七瀬クン。君は『アシスタント、三杯目にはそっと出し』っていうコトワザを知っているカネ?」
「う……。だってお腹すいたし……みんな食べてるもん……」
「そりゃあね?失血のせいで大幅に血糖値が低下してる人とか、キズを再生するために動物みたいに無駄食いしなきゃいかんデカブツはいるけどね?ああいうのと自分を比べて良しとしちゃあいけない。もっと人生の比較基準は高く持たなきゃ、うん」
「……俺のを食うか?」
「わあ、四堂さんありがとうございます!」
「あ、こらてめぇシドウ、無責任な餌付けは犯罪なんだぞ!?」
「いいじゃねえの亘理の兄サン、せっかく面倒な仕事が終わったんだから、ソバくらい好きなだけ食わしてやんなってサ」
「良く言うぜ土直神ぃ。お前んところの子はぜんぜん食べないじゃないか。この満腹中枢がアレなことになってるお子様はな、喰っていいと言ったら本気で内臓のキャパシティいっぱいまで詰め込むんだよ。んで結局最後はジャンケンに負けておれが全額払うんだ」
「いやいや勘違いしちゃあいけない。清音ちんが食べないのは、ダイエットの失敗でこれ以上喰うとまた太るからだぁよ?」
「ほっといて下さいッ!もともと私は食べるとすぐ増える体質なんですよ!!」
「うわぁいいなぁ。ボクどんだけ食べてもぜんぜん重量が増えないんです。もっと打撃を重くしたいのに。ねえ風早さん、今度体重の増やし方のコツ教えてくれませんか?」
「……真凛君、そんな地雷原に空爆をかますようなブラッディーメアリーな発言は……」
「うふ、うふふふふふ。七瀬さん、と言いましたね。そうですね。まずは手っ取り早く一キロほど体重を増やしてみましょうか。折良く今私の手元には50グラムの矢が20本ほどありますし。ああでも、もしかしたら逆に削れて減ってしまうかも知レマセンネ?」
「外でやれ外で!つか、なんかずっと機嫌悪いね風早クン」
「……もしかして、土直神君の傷を俺の術法で治したのは出しゃばりだったかな?」
「いぃいえ!?私にはまだ治癒の術は使えませんから!?西洋魔術の最高位に位置する聖魔術師に叶わないのは当然ですし!?マッタク未熟者でスイマセンでした!」
「でも君はスジがいいよ。たぶんあと三年も修行を積めば、業界でもトップのレベルに到達できる」
「え?」
「俺が君の歳だった頃よりはるかに基礎がしっかりしてるしね。多分ずいぶん努力してきたんだね」
「い、いえそれほどでも……あはは。あ、すいませーん、私にもざるを五枚ください」
「はーい。ざるを五……五枚っ!?」
「でも正直、伊勢冨田流と決着がつかなかったのは残念だなあ」
「組み手なら受ける」
「ありがとうございます。……でもいいです。多分四堂さんにとって、戦いは目的じゃなくて手段なんですよね。そういう人と技比べをやっても、多分練習にしかならないだろうし」
「……かも知れん」
「結局途中で戦闘どころではなくなってしまったしな」
「ホント、陽司がいきなり、『停戦だ停戦!土直神が危ない!』って言いだしたときはビックリしたよ。それまでは本気で決着をつけるつもりだったのに」
「そーそー。オイラも気になってたんだよね。どうやってあの場に駆けつけることが出来たのかとか。あのワケのわかんねー幽霊の正体とかさあ」
「そうですよ。一体いつから状況を把握していたんですか亘理さん?」
「確かに、説明が欲しい」
「そういうワケで、全体像のネタばらしってやつが欲しいんだけどね、亘理の兄サン」
「兄サン、って同い年だろうがおれ達。……まあいいや。じゃあ、順を追って解説するとしましょうか。……すいませーん!」
「はーい、ご注文ですか?」
「ええ。ざるをもう一枚。それとこの人達に、ちょっと挨拶をしてもらえませんか。貴方の存在抜きでは、どう説明したところで消化不良だし、そもそも幕引きは貴方がすべきでしょう」
「…………へ?」
おれの言葉に、他の五人がそれぞれに間抜けな反応を示し、一斉に”七人目”の人物……今の今までおれ達のソバの注文をとりまとめてくれていた女性店員さんに注目する。ごく普通の中年女性と見えるソバ屋の店員さんは、おれの言葉を聞くと観念したように顔を伏せた。
「そうですね。それではご挨拶させていただきます」
「……ってぇ言われても……」
唖然とした表情のままの土直神。
「……陽司、えっと。この人、誰?」
真凛の素朴な疑問に、おれはやれやれ、とわざとらしく肩をすくめてみせる。
「誰、とは失礼な話だな。そもそもおれ達は、この人を探すためにここに来たんだぜ?」
「え?っていうと」
真凛が顎に手を当てて考え込むのも無理はない。思えばずいぶん、当初の任務からねじれた結末になったものだ。
「じゃあこの人が、元城町に現れていた、小田桐さんの幽霊?でも――」
ぜんぜん似てない、と言葉を続けることは出来なかった。女性の店員さんが顔を上げたとき、そこにはすでに中年の女性の面影は微塵もなかった。
そこにあったのは、驚くほど整った、だが驚くほど印象が薄い女性の顔立ちだった。通常これほどの端正な顔の持ち主ならば、またたく間に衆目を集めても良いはずなのに、そんな気にはどうしてもなれない。
その顔は、ただ整っているだけ。こう言っては失礼だが、あくまでもパーツの配置バランスが良い、というだけでしかないのだ。一流のスターやアイドル、女優が持ち合わせているような、強烈な”個性”が一切欠如していた。……いや、あえて巧妙に、印象を消しているのだ。
「おれも知らなかったんですが。業界最高峰の潜入捜査官だった『役者』には、その技術を全て受け継いだ秘蔵の弟子がいたんだそうです」
「――技術だけですよ。能力は到底及ぶものではありません」
隣の女性が注釈を入れる。
「ええ。師匠のように異能の力を持つわけではない。しかし弟子はそれを補う技を身につけた」
完璧なまでの『演技』。変身ではなく、変装の達人になったのだった。
「そしてその弟子は、師匠の遺志を継ぎ、本物の小田桐剛史の暗躍を阻止するためにこの街を訪れた。そしてその技術で小田桐になりすました。それが幽霊騒ぎの発端ですよ」
おれが促すと、女性は立ち上がる。その瞬間、わずかに表情が変化する。それだけで、無個性に思えた容貌は、たちまちに人を惹きつける美しさと危うさを備えたものへと、まさしく”変貌”していた。
「初めまして皆様。人材派遣会社CCC第二営業部所属。高須碧と言います」
一流の舞台挨拶を思わせる、歯切れのよい台詞と優雅な一礼。
「つい先日、師の遺言により『役者(アクター)』の名を継承いたしました」
「……そもそも今回の件は、おれ達フレイムアップ組が出てきたせいでややこしくなったようなもんですよ」
一ヶ月前。
かつて行方不明になった小田桐剛史が、凶悪なエージェントとなって日本に戻ってきた。
彼からの呼び出しを受けた『役者』は、自分が演じ続けてきた『小田桐剛史の人生』という舞台に、ついに終わりが来た事を悟った。そして、独り立ちしていたかつての弟子に手紙を送り、後事を託したのだった。
弟子は、連絡の絶えていた師匠が、一人の人間の人生を四年間に渡ってトレースし続けたという事実を初めて知り、そして師の依頼に従い活動を開始した。
「先代の『役者』は弟子に、自分が四年間続けてきた舞台の幕引きをするよう求めたんです。なぜなら、恐らく当の本人は、本物の小田桐との対決をもって、自分が四年間演じてきた舞台を終わらせようと思っていた」
「最初から死ぬつもりだった、ということですか?」
「土砂崩れはあくまでも事故だと思う。今となっては確かめるすべはないけど……当人は、死んでもいいか、くらいには思っていたんじゃないですか?」
おれの問いに、二代目『役者』は黙して応えようとはしなかった。
「――まあ、脚本の意図を俳優さんに求めるのは野暮ですね。とにかく結論として、『役者』は土砂に呑み込まれて消息を絶ち、本物の小田桐もいずこかへと消え去ってしまった」
決着をつけるべく望んだ舞台は、実に中途半端な結果に終わってしまったのだ。
「そして貴方は、師匠から託されていた任務を実行することにした」
「任務?」
「ああ、任務だ。……貴方が託された任務。一つは、先代が力及ばなかったときには三次元測定器の機密漏洩を防ぐこと。そしてもう一つは、小田桐の、いや、師匠の奥さんと子供を護ること。そうですよね?」
おれの言葉に、今度こそ彼女はしっかりと頷いた。
完璧に誰かになりきることを得意とした彼――我が師匠は、だが結果として、誰かを演じる事よりも、己の人生を選んだ。
『肉体も、心までさえも他人になりすまそうとした愚かな私に罰が下るのは当然だ。だがどうか、妻と子にはこの咎を背負わせたくはない。
師から弟子への命ではない。
同じ道を目指し、結果、違う手段を選び取った友に頼みたい。
どうか、花恵と敦史を護ってやって欲しい』
それが、彼の手紙の最後の文章である。
手紙を受け取った当日の夜、私は元城市へと向かったのだった。
「土砂崩れ事件の顛末を知った貴方は、最悪の事態を想定した」
それは、先代『役者』亡き後、本物の小田桐剛史が妻と子供の前に姿を現すことだった。かつて本物の小田桐剛史の行動パターンをすべて把握し尽くした先代は、小田桐が形ばかりの妻や自分のものでない子供にどういう仕打ちをする人間なのか、判りすぎるほど判っていたのだろう。
それだけは、なんとしても避けなければいけないことだった。
「で、貴方は自分の変身能力で何が出来るかと考え、やがて一計を案じた。それがあの幽霊騒ぎです」
毎夜毎夜その変装技術で小田桐そっくりになりすまし、街のあちこちに出没。市民にその様を印象づけていった。
「貴方はことさら『小田桐剛史の幽霊』を演じたわけではない。小田桐の格好をした男……つまりは『役者』がまだ死んでいないのではないか。その疑念を、どこかに潜んでいる本物の小田桐に抱かせればよかった」
幽霊が無害だったのも当然である。要は噂が広まりさえすればよかったのだから。
「そして貴方は待っていた。誰かがもっともらしい理由をつけて、この場所を掘り返そうと動き出すのを」
つまり、二代目『役者』が、師匠の仇である本物の小田桐を捕まえるために罠を張っていた。今回の事件は、本来はただそれだけの話だったのである。
「ところが誤算は、『役者』の墓に、あまりにも沢山の人数が集まってきた事だった。真犯人の小田桐はまんまとウルリッヒに潜り込んで異能力者のチームを調達してきたし、皮肉にも度重なる幽霊の目撃情報が昂光を刺激し、おれ達までが呼ばれる事となってしまった」
ついでにおれとシドウの因縁なんぞも混じったせいで、どんどん話はややこしい方向に転がっていってしまった。
「困惑した貴方は、まずおれ達の方に真意をはかるべく、スポーツクラブで接触してきました。もしも本物の小田桐であれば、幽霊の格好をして近づけば当然反応があるはずだった。だが結局おれ達はシロだったので、なんとも間抜けな邂逅になってしまった」
――固定された死を覆してはならない。あの時彼女はそんなことをいっていた。それは決意を込め、様々な情報、功績、そして罪を抱えたまま亡くなった師匠への思いだったのかも知れない。
「ま、とにかくそうなれば話は簡単です。おれ達はそもそも幽霊を探しに来たのであって、墓を暴きに来たんじゃない。となれば犯人が紛れ込んでいるのはウルリッヒ側、四人の誰かということになる」
しかし、強力なエージェントが三人も揃っているとなれば、彼女一人の手に余る。そこで彼女は、疑惑が解けたおれ達に対して協力を依頼したのだった。
「あとは簡単ですよ。潜入している奴の狙いが墓に埋まった密輸の証拠だとすれば、チャンスがあれば真っ先に墓を暴きにかかるでしょうからね」
それでわざわざウルリッヒの連中に後をつけさせ、難癖をつけて無理矢理に戦闘の状況を作り出したわけだ。
「戦おうとする者、リスクを避けようとする者。現場に向かおうとする者、ここに残ろうとする者。それぞれ誰が誰であるか、おれと彼女はそれを見ていればよかったわけです」
……などと偉そうに言ってみても、結局のところ最初に描いていた絵とはずいぶん違う形になってしまった。小田桐が変装をしているだろうとは思っていたものの、まさか顔を失い。それを取り戻すためにこれほどの暴走を引き起こすという流れは、完全におれの想像の外にあった。
『浄めの渦』土直神安彦――正直おれは、彼がホンボシだとばかり思っていたのだが――がケガを負ったのは、実際のところおれの作戦ミス以外の何者でもない。
彼女から連絡を受けたおれは慌てて停戦を申し出て現場に急行。隠れて徳田と小田桐を尾行してきた役者――”印象”を消すのは彼女の得意技である――が、咄嗟に先代の幽霊の振りをして時間を稼ぎ、なんとか最悪の事態は避けられたのだった。
「結果として、皆様に大変なご迷惑をおかけすることになってしまい申し訳ありません。それでも、皆様のおかげで、師匠のやり残した仕事と、そして師匠が残そうとしたものを護ることが出来ました。本当に、ありがとうございました」
そのときようやく、おれは彼女の『役者』ではない、一人の人間としての表情を垣間見ることが出来た、ようにも思えた。
そうして、彼女は深々と礼をした。舞台挨拶とは異なる、素朴なお辞儀。
虚実と様々な思惑が入り交じったややこしい任務の、それが本当の幕引きになった。
その後、おれ達は依頼主である昂光の工場長に連絡。今日はまだ日曜日のため、留守番電話に仕事が終了した旨だけを告げるに留め、正式な報告書は後日提出することにした。おれ達の任務は、終わったのだった。
「んじゃあ、オイラ達はこれで」
ソバ屋を出るとすでに夕日は沈みかかっていた。東京では到底望めないようなデカイ駐車場に止められたワゴンに、土直神達ウルリッヒのチームは乗り込んでゆく。
「このワゴンも、本当の持ち主のところに返してやんないとだぁね」
「徳田さん、だったよな。彼はもう……」
「ああ。もうウルリッヒに依頼してあるから。たぶんすぐに遺体が見つかると思う」
「……そうか」
「結局、あの人が一番とばっちりだったんだよなァ」
そもそも彼らがこの仕事に参加した時点ですでに、小田桐がすり替わっていたのだ。どう頑張っても事態は防げたはずはないのだが、それでも無力感だけは残った。
「すまないな。後始末ばかりを押しつけてしまって」
横合いからのチーフの言葉に、土直神は気安く応じる。
「あー気にしないで下さい。もともとこっちが片付けるべき案件でさぁね」
『小田桐剛史の亡骸を見つける』という依頼は、皮肉にも完璧に果たされることになった。家族から小田桐剛史だと思われていた男の亡骸と、そして正真正銘小田桐剛史だった男の亡骸。両方が見つかってしまったのである。
この二つの亡骸はとりあえず、ウルリッヒの資本の入った病院によって回収された。そして皮肉にも……どちらの亡骸も、おそらくは小田桐剛史として公式に認定されうるだけの情報を所有していた。果たしてどちらを『小田桐さんの亡骸』と主張すべきなのだろうか。
「やっぱり奥さんと息子さんが探していたのは先代の『役者』サンの方だから、こちらで報告しようと思ってサ」
そう土直神は言った。やはり、それが道理なのだろう。だが、おれは少しだけ……あれほど己の”顔”を求めついに叶わなかった男に、ほんの少しだけ同情していた。
公式には密入国どころか、そもそも出国さえしていないはずの男だ。任務に失敗したエージェントを『第三の目』がわざわざ引取に来るはずもなし、彼は一体どうなってしまうんだろうか。
「そのことなんだけんどね」
おれの疑問に、土直神が応える。
「たった今、『役者』の姐さんから聞いたんだけど、先代の『役者』さんが、自分のとは別に、小田桐の実家近く、先祖代々のお墓に場所を確保してるんだってサ」
「ってことは」
「表向きは分骨、ってことになるだろうけど、たぶん実家の墓には本物の小田桐が、今の家族の墓には、先代の『役者』サンが収まることになるんじゃあないかな」
メンドイけどそれぐらいの手続きはこっちでなんとかするやね、と請け負う土直神。
「そうなのか……」
結局のところ、収まるべきところに収まったというべきなのだろうか。土直神がエンジンが始動させ、窓を閉めようとすると、後ろの席から風早清音が顔を出した。
「私もこれで失礼します。言っておきますが、今回は私たちウルリッヒは負けたわけではありませんからね!」
「い、いや。そもそもこれ、勝ち負けを競うような話じゃなかったでしょうに」
「気持ちの問題です、気持ちの!」
「あ、じゃあ清音さん、また増量の仕方とか教えてくださいね」
「あははははは。まったく愉快な人ですね七瀬さんは」
「ストップ!そこまで。それじゃあまた、別の仕事で会ったときにはよろしくな」
「――ええ。決着をつける機会があることを祈ってます」
運転席の窓が閉まる。そうして二人を乗せた車は、国道の北へと消えていった。
「じゃあボクらも帰ろうか」
「ああ。それじゃあお前、先にチーフのところに行っておいてくれ」
「陽司は?」
「おれはソバ屋で土産買って帰るわ。所長から買ってこいってメールが来てたのすっかり忘れてた」
了解、と告げてチーフの車へと走ってゆく真凛。おれはソバ屋の店内に戻り、併設されている土産物屋で適当なものを物色した。
「えーと。『保己一もなか』に、なんだこれ。『つみっこ』……?微妙にマイナーだなあ」
この手のお土産はメジャーすぎても芸がないし、マイナーすぎると敬遠されるので、さじ加減が結構難しかったりするのである。
「まーしかたがない。この『かぼちゃシュークリーム』にしとくか。なんのかんの言ってもあの人達なら甘いものは一日でカタがつくだろう」
そうやって手早くレジを済ませる。帰りがけに、入り口近くの物陰に声をほうり込んだ。
「――お前は車に乗って行かなくていいのか?」
「構わん。現地解散で、このまま徒歩で次の職場に向かう」
柱の陰に背を預けていた大男、シドウ・クロードがあさっての方向を向いたまま答える。おれも出口の方を向いたまま、奴を視界に入れずに言葉を続けた。
「徒歩かよ。相変わらず仕事熱心だな。で、次はどこなんだ?」
「福島の山間だ」
「そりゃ、伊勢冨田流は修験者の流れも汲んでるし、歩いた方が早いかも知れないけどな。たまには文明の利器も使ったらどうだい」
「必要なときは使う」
「そうかよ」
わずかに、空白の時間が流れた。
「なぜおれを助けた?」
数秒の沈黙の後、返ってきたのはなぜか質問だった。
「あの娘がお前と組むようになったのはいつ頃からだ?」
「なんだそりゃ、答えになってねぇぞ」
「いいから答えろ」
「……もう半年くらいだよ」
ふん、とシドウが鼻を鳴らした。
「いい太刀筋だ。冨田の小太刀でも捌ききれぬほど、迷いのない伸びのある剣だった」
「いや、だから……」
それじゃぜんぜん答えになってねぇって。
「ワタリ、聞きたいことがある」
「なんだよ?てかなんでおればっかり質問されているんだよ!?」
「お前が相手にしてきたのは、ああいうモノか?」
「――ああ」
「奴らが、お前をああさせたのか?」
「……それは、」
その質問に、気楽に肯定の返事を出すことは出来なかった。乗っ取られたわけでも洗脳されたわけでもない。莫大な体験と情報量による価値観の変化。それは決して、外的な要因ではないのだから。
「そうか、わかった」
おれが答えを出す前に、シドウはそう呟いた。
「なんだよテメェ、勝手に一人で結論出してんじゃねぇよ」
「そこでお前が安易に肯定していたら、今度こそ息の根を止めていた」
「おい……」
どんどん独り合点されると、やりにくくって仕方がない。
「最後の質問だ」
「なんだよ?ってかお前ずいぶん饒舌だな」
「今後も、ああいうモノを相手にし続けるのか?」
「ああ。それが、おれがこの世に生まれてきた意義、って奴だからな」
それだけは即答だった。貴方は男性ですか?と聞かれたら「はい」と答えざるをえない。それぐらい、今の質問は亘理陽司の本質をついていたので、おれには迷う余地もなかった。
「――ならば、時が来れば俺はお前達の力となろう」
論理が飛躍しているというよりワープしている。なぜそういう結論になるのやら。
「おれの力になる?そりゃ一体、どういう風の吹き回しだよ」
「お前ではない。お前達、だ」
視界の端で、奴の視線がどこを向いているかがわかった。ってちょっと待て。
「お前、何か勘違いしていないか?おれは個人的な問題にメンバーやアシスタントを巻き込むつもりはないぜ」
「お前はそうかも知れん。だが、周囲はそうではない。それを忘れるな」
「おい、さっきからなんなんだ。思わせぶりなことばっかり言いやがって――」
おれが根負けしてついに視線をそちらに向けたとき。
果たしてシドウ・クロードの姿はもうそこにはなかった。
力となろう、か。
奴の言葉は奇妙に耳に残った。人は社会の中でコミュニケーションを築き、たがいに補い合いながら生きていく。それは当然だ。だが、どうしても自分が戦わなければいけないもの、乗り越えなければいけないものがるのならば。誰かの支援を仰ぐ……いいや助けてもらうという行為は、果たして可能なのか。
人は究極的には、どこまで行っても孤独なのではなかろうか?
おれの思考を遮るように、向こう側からミニクーパーのレトロなクラクションが響いた。
「遅いよ陽司、日が暮れちゃうよ!」
ふり返って駐車場を見れば、窓から真凛が顔を出して、なかなか戻ってこないおれにぶうぶうと文句を飛ばしている。
「はいはい、今戻りますよ」
頭の中身をバイト学生のそれに整理しなおす。
苦笑してかぼちゃシュークリームの袋を持って立ち上がり、北の方角に目をやった。夕日に染まりつつある板東山。すでに幕が下りた『役者』の舞台跡をもう一度だけ視界に焼き付けると、おれは今度こそ東京へ帰るべく、ミニクーパーに戻っていった。
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