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掃溜めの備忘録 #2

2024/06/23(日)

 僕は報復性夜更かしの抑制方法を調べるべきだ。

 悩みはお腹をいっぱいにはしないと声が響いたので、誰の台詞だったかな…と思考を巡らせていたら、秀美の母だった。『僕は勉強ができない』の主人公秀美の母だ。
 日常においてふと意識せず思い出す本というのは、個人的に名作だと思う。複数回の読書に耐える、何度も読みたくなる作品といえるからだ。

 矢張り、私の文章は最早誰かに読ませようという気概を失っている。ありの儘に愛してほしいと喚いているだけに見受ける。
 創作できない。創作物は私ではない。曲は私、にはなれないということだ。いや、そうなのか?この文章すらも本当は虚構だ。

 自分を不幸であると認めたい気持ちと認めてはならないという気持ちが戦っている。こうなったら、そうなる前のことは思い出せなくなってしまう。

 考えなければいい、考えるな、と言われる。できない。中学時代からの手癖であるし、一寸だけ好きだからだ。まァ大切にするほどの個性ではないようだが。

 生活の優先順位が分からない。しかし、少しくらい盛岡を巡っても罰は当たらないだろう。
 今日の盛岡は涼しく、曇天だ。

 高校時代の自分は大層に面倒な人間だった。恋人を大層試した。親にも当たった。友人にも心労をかけた。唯、勉強だけはできた。進学校において自分の唯一の救いだった。
 本質が変わったわけではなく、面倒さを内に籠める術を覚えただけだな、と思った。

 稜線が見える。椋鳥が騒いでいる。稜線はある生活は良いものだ。自然の一部だったことを喚起させる。関東平野と福岡平野で育った身にはない経験である。
 と耽っていたら、蚊柱に突っ込んだ。矢張り都会が良い。

 何匹もの虫を囚えて亡骸にしている優秀な蜘蛛の巣があった。しかし、主の姿は見当たらなかった。

 立原道造は石川啄木に憧れ、盛岡に1ヶ月滞在。

 喫茶店でピザトーストとクリームあんみつを食す。斜め向かいの男が自分は専ら自己啓発本しか読まない、と言う。
「俺、現状に満足できないからさ」

 あんみつは、まとまっているようで実のところ誰もまとまっておらず、各々が寄せ集まっているだけのような気がしてきた。食べ方の定まらなさは正解がないという点において、とても心地よいなと思う。ぐちゃぐちゃに混ぜてやる。ぐちゃぐちゃに。


2024/06/24(月)

 昨日の夕刻には少しましになったと思えた心象の雨も、夜になれば結局豪雨だった。畢竟、私は今自分が何故苦しいのか理解できていないのであった。此の様に苦しくなったのが、日常が変質したからなのか、私が変質したからなのかも判らなかった。
 こうなってしまっては終いだった。何時ものことではあるが。変質する前のことは靄がかかって思い出せない。変質前の当然は変質後の当然ではなく、変質後の現在こそが基準点になってしまうからだ。しかし、大局的見るとその基準点こそ特異点だったりするのだ。となると、比較できないので変質を判ずる事もできなければ対処もできない。

 何故生きて仕事をしているんだろう、と思うが、「文豪ストレイドッグス」の織田作之助にそんなものは「みつからないよ」と言われるだけだろう。実際、見つからないか、見つかったと信じて楽になるだけなので2択だろう。

 苦しみが伝わらないと思った瞬間、人は会話を辞め無口になるのではないか。相手が解決出来るかは問題ではない。示唆を与えてくれるかも問題ではない。そもそも、言語として伝わっても内実が伝わらないということがこの世にはある。内実が伝わっていないと悟ったら、口に出すだけ孤独が深まるばかりだから、人は無口になる。若しくは道化になる。

インドアクソサイコ人間

今日の目標:「太宰治情死考」を読むこと
今日の結果:未達

 こんなものを見たら、同期は呆れるのだろう。中二病だと。一般にこれが中二病なのは知っている。世界の被害者ぶっているのだろうか。思考を馬鹿にされても,よいが、書くことを馬鹿にされたら怒るんだろうな、私は。


2024/06/25(火)

 昨日までよりすこぶる調子が良い。

 撤回。

 理屈なく吐き気がする。

 何が欲しいのだろうか。

 つらつらと大丈夫でなさは書けても、「大丈夫か」と問われれば曖昧な笑みで返すしかできないだろう。機能不全には陥っていないので絶対的大丈夫でないではないし、相対的にこれを大丈夫でないとすればーーそうではないと言われようがーー能力値の問題ともなろう。

何故生きて仕事をしているんだろう、と思うが、「文豪ストレイドッグス」の織田作之助にそんなものは「みつからないよ」と言われるだけだろう。実際、見つからないか、見つかったと信じて楽になるだけなので2択だろう。

2024/06/24(月)

 ではそう言われた太宰はどう思っているんだろうか。まだ自殺未遂はしているけれど、本気ではあるまい。織田作の「人を救う側になれ」が太宰にとってのくびきなのだろうか。だとしたら、結構しんどいと思うけどな。

 オフィスに来たら少し調子が良くなった。あ、このまま誤魔化し誤魔化しやっていけちゃったりするのかナ。

 整骨院で前腿を使おうと言われた。前腿の筋肉を使用することで、幸福を感じる物質セロトニンが出るそうだ。物質で解決するのかと思うと、なんとも虚無い。

 結局比較的調子が良かった(頭は痛いが)。出社で前腿を使ったからなのか、物理的に一人でなかったからかは分からない。このまま何事もなく1年終わるものだろうか。読めない。とりあえずLINEの通知は溜まっている。

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