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先天性心疾患
はじめに、「みんなのフォトギャラリー」に提供していただいているお写真、毎回使わせていただいてます。感謝です。
さて、前回の子供の頃の鼻血の最後に薬と書いたこと。
私は生まれつき心臓が悪く、母が私を帝王切開で産んだ後、私はそのまま半年の入院をし幼稚園時代にその頃はまだメジャーではなかったカテーテル手術をしている。
母が言いたかった浄化とは、生まれて間もなく薬漬けになり4歳で手術をしてまた薬を体に入れた、そんな事からのもういらなくなった薬や悪かった心臓のことなのかなと思った。
生まれてすぐ半年も両親と離れて、その間に父の転勤があり土地さえ違くなり、両親はどんな気持ちだったのだろうか。生後間もない私は何も思ってなかっただろうけど。
母は未だに新生児のお世話を知らないと言う。私は一人っ子なので。
そりゃそうだろうね。半年経った子供はもうすっかり新生児ではないもの。
父は今はすでに他界しているけど、生前に私に古いアルバムを見せてくれたことがある。そこには保育器に入った顔までは写っていない遠くから撮影した私、看護師さんに抱かれているガラス越しの私、それから転勤先から出した私の主治医へのたくさんの質問とその返答をやり取りした手紙。
手紙の中身は詳しくは覚えていないけど、父がとても私を心配して自分でも先天性心疾患を勉強して書いたものとすぐにわかった。やっと出来た女の子だもの、可愛いと思ってくれていたのだろうな。厳しい父親だったけど、私が大人になっても一番理解と心配をしてくれていた。
母は自分が生んだ子供でありながら、心の奥はわからないけど、結構さっぱりしていてお父さんが全部やってくれたからなんて思っちゃう性格。今も健在で同居の母だけど、そういえば私は母から「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」などを言われたことがない気がする。余談だけど。
先天性心疾患。本当の病名はうろ覚え。今はそんな事が言えるほど健康なのだ。確か、動脈管開存症だったかな。
幼稚園の時に手術したのは弁を塞ぐ手術で、開胸せずに鼠径部からのカテーテル手術で済んだ。ちょうどアメリカから心臓外科医が来ていて、たまたま私の手術日と重なり執刀してくれたと聞いた。先生の名前も覚えているのだけど、調べても出てこない。
胸に大きな手術痕がある私と同じような病気の同級生が小学生の時に二人いたのだけど、プールの授業が嫌だと言っていたから、私は本当に幸せだったのだと思う。
あ、でも心臓には未だに穴が空いているそうだ。だけど走っても何もないし、小学中学では運動会のリレーの選手に選ばれたくらいなので生きることには影響はない程度なのだろう。
手術前の幼稚園時は階段、上り坂では息が上がり前に進まなかった記憶があるから、弁は塞がったのだなと大人になって思い出す程度。
何もしなければ30歳まで生きられるかどうかと言われたと教えられたから、その時の病院関係の皆様には感謝でいっぱいだ。