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トークフォークダンスについてのメモ書き その2


「どうやってそんなにたくさんの大人を集めているのですか?」


 
講師などで、「トークフォークダンス/大人としゃべり場」を紹介すると、必ずといっていいほどいただく質問だ。今回は、この問いについて考えてみたい。
 

(1)トークフォークダンスの「適正規模」とは


人の集まってもらい方を考える前に、まず、トークフォークダンスの「適正規模」について考えてみたい。
トークフォークダンスというアクティビティは、一対一で行う。パートナーが次々に入れ替わっていくため、ある程度の人数が必要になる。だいたい参加者総数で20人以上であれば実施できる。それ以上であれば、何人でもかまわない。500人でもできる。1000人でも音響装置さえしっかりしていれば可能。
ただし、一つ重要なポイントがある。それは、会場のサイズと参加者の人数が適切かどうかということだ。会場は、広ければいいというわけではない。広すぎるととても話しにくくなる。会場が広すぎると、自分の声(答え)が、近くの人に聞こえてしまう。あるいは、声の大きな参加者の話が耳に入ってしまい集中できない。
会場全体が、話し声で埋まり(「うわーん」という状態になる)、相手の言葉に集中する、あるいは、自分の言葉が相手にしか届かないような状況をつくる必要がある。少し耳を口につかづけるしぐさが現れるくらいがちょうどいい。
つまり「会場いっぱいに人がいる」ことが「適正規模」であり、それは参加人数と部屋の広さの関係で決まるということになる。

とはいえ、おおよその目安でいうと、普通の500人規模の中学校の体育館なら、参加者総計200人ぐらいから500人ぐらいまで。30人程度でやる場合は、通常の教室での実施を強くおすすめする。50人〜100人規模であれば、体育館でできなくもないかもしれないが、できれば図書室、ランチルームなど、中規模の椅子が動かせる会場がよい。

*階段教室でも隣同士で話すことができるが、教室型で座ると、どうしても授業のような――教室の前にいる人が正解をもっているかのような――空気感が生まれやすい。やはり輪になって囲むと、場の空気がゆるむ。皆で輪になって、わいわいと、正解のない問いについておしゃべりする、その雰囲気を大事にしたい。トークフォークダンスは、話の中身ももちろんだいじだが、それ以上に、自分の発した声を受け止めてもらうこと、相手の声を受け止めることの繰り返しの中で=応えあう関係の中で、元気が湧いてくることに、その価値があるのではないかと私は考える。(「トークフォークダンスについてのメモ書き1」 参照)

(2)「どうやってそんなにたくさんの大人を集めているのですか?」


さて、トークフォークダンスを、中学校などで大人と子どもで実施する場合、それを「大人としゃべり場」と呼んでいる。この場合も、一対一での対話となるために、子どもと同じ人数を募集する必要がある。例えば、生徒が2年生全員で100人いる場合、100人の大人が必要になる。そこで冒頭の問いに戻る。
「どうやってそんなにたくさんの大人を集めているのですか?」
実は、この質問への答えは、いたってシンプル。
「口コミです」だ。
あえて断言するが、チラシなどを配布しただけでは、参加者は集まらない。
 
「トークフォークダンス?、大人としゃべり場?……なにそれ?」
人はやったことがないことに対して、恐れを抱く。何をやらされるかわからない場所には近づかないようにする。知らない、わからないことが一番怖いことなのだ(一部の冒険大好きの「探検家」もいるが、そんな人はあまりいない)。

例えば、食品。基本、一番売れるのは定番の味。つまりすでによくよく知っている味だ。そして新製品も「◯◯味」など、従来からあるもののアレンジならば、一度は手をとってみてもよいか、と思うだろう。しかし、まったくの新製品でどんな食感や味なのかが、全てさっぱりかわからないときは、どうだろう。手にとってもらうことが至難の技ということになるのではないか。

ではどうやってその「わからない」という不安(恐怖)の壁を乗り越えてもらうのかというと、「その人にとって、信頼できる人が誘う」の一言につきる。「自分が信頼できる人からの誘い」という安心があって、はじめて「参加してみようか」となる。

(ちょっと主語が大きくなるが)人が、未知の場に自分から動くのは、安心が保障されているときだけではないだろうか。何か、未知のことをやってみようと思うときには、必ずそこに安心(の基地)がある(恐怖を感じたときも自ら動くが、それは動かされているということであって、ここでいう参加してみるという主体的な動きではない)。

というわけで、何をするかわからない場所に、来てもらうには口コミしかないという結論になる。どうだろうか。
チラシやSNSでの「告知」は、自分が誘われたり、頼まれたりしていない。ただ目の前を通過していくだけだといってもいい。

(3)「人間関係貯金」を降ろす


2018年の夏、娘が通っていた中学校ではじめて「大人としゃべり場」を開催したときのことはよく覚えている。生徒は1,2年生の全員で、240人。つまり大人を240人集めなければならない。チラシを配布したり、学校などを通じて広報したが、まったく人数が集まらない。まずい。そこで、首謀者4人ほどで近所のファミレスに集合(そのファミレスはそこがなければ、地域活動が成り立たないのではないか、というお店(笑)でいつもなにかあるとそこに集まっていた)。仕事帰りで、すでに夜21時。そこで、それぞれの知り合いに、ラインやメールを打つ。電話する。一人ひとりにお願いする。で、「Aさん来てくれるって!」「やったー」という会話をひたすら繰り返す。「あっ、Aさんのお連れ合いはどうかな?誘ってみてよ」「OK〜」「やったー来てくれるって〜」「よっしゃー、あ、たしか、Aさんは、近所におじいちゃんおばあちゃんが住んでなかったっけ?お願いしてもらえないかな」「わかった聞いてみる」……「やったー、合計4人〜」「よっしゃー!!あと◯人〜」……「他にいなかったかなあ、あ、そうそう、Bさんは?」という具合に、積み上げていく。
私達はこうした知り合いの知り合い作戦を、「人間関係の貯金を降ろす」と表現していた。保育園・幼稚園時代から20年近く、様々な地域活動で出会った人と蓄積してきた関係性を、すべて棚卸し〜、というような感覚でスマホを見つめていた。
 
ちなみに、娘の中学校で最初に開催したときは、大人の参加者は、保護者1/4 学区内の住民1/4 市内の住民1/4 市外の方1/4だった。この四者に共通しているのは、「誰かの知り合い」ということだ。

市外の参加者は、私のFBなどでの広報で、かなりの人が手をあげてくださっていた。私のFBの「友達」は、ワークショップなどにそもそも関心が高い人のコミュニティでもあるからだろう。
また市内外のPTA役員の横のつながりは、とてもありがたい存在だった。基本、PTA役員をやってくださるような方は、誘われたら協力してあげよう、という人も多かった。とはいえ、普段から声をかけたり、かけられたりという関係があって、その上に、地域と学校の協働の取り組みという関心事が重なるから、お誘いさいたときの反応がよい、ということになる。

一度でも経験してもらえれば、翌年は、何をするかがもうわかっているので、日程さえ合えば来てもらうことができる。ただし、まめに誘うことは必要。声かけられないと自分からは申し込んではくれない。でも声さえかけられれば、「ああ、あれね。また今年もやるんだ」と気軽に応じてもらえるようになる。

トークフォークダンスは、一対一で話すアクティビティだが、開催にいたる呼びかけから、一対一のコミュニケーションによってはじめて成立するものともいえるのだろう。
 

◉生徒・子どもたちは 

ちなみに、生徒・子どもは、元々動員以外では集まらない。子どもの公募での開催はまずないと思ったほうがいい。「大人としゃべりたい子ども」なんていない(と、また断言してしまおう)。
言葉は悪いが、子どもたちは「動員する」しかない。「教育の一貫」として、特別授業として実施することになる。動員については、私自身は、このワークには、子どもも大人も動員で集まってもよいのではないかと考えている。ただし、可能なかぎり安心の場とするように努力する必要がある((「トークフォークダンスについてのメモ書き1」 参照))

学校で行うことなので、教育の一貫となってしまうが、ほんとうはトークフォークダンスは、教育の枠組みであってはいけないと思う。が、このことについては、またあらためて書きたい。遊びなのだ。

やってみると、子どもたちの反応はよい。アンケートには、ほとんどの子が、「またやってもいい」と答えてくれる。
(ここでは詳しく触れないが、その意味で、動員するなら、絶対にやってよかったという経験をしてほしい。そもそも子どもは自分の意志とは関係なく、学校に通っている=通いたい子もいればそうでない子もいる。大人が子どもを学校に動員するなら、安心してそこにいられる、通ってよかったと子どもたちが思える場所にする義務が、大人にあるのではないだろうか。)
 
 
◉おわりに
「大人としゃベリ場」に限らず、一般に、(動員ではなく)ボランティア活動などに参加する、あるいは活動をはじめるきっかけとして、一番多いのは「信頼している人に誘われたから」は、共通しているのではないだろうか。友達にさそわれたから、と(ネットワークビジネスはそれを悪用しているわけですね)。

一人ひとりに声をかけること、そして、集まってもらったその時間を、とにかく来てくれた人にとって、よかったなと思える時間にすること、そうすれば、参加した人が、また自分のだいじな友達を誘ってくれる。
「活動が広がる」とはそういうことなのではないでしょうか。