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トークフォークダンスについてのメモ書き

講師などでうかがった際にご紹介しているトークフォークダンスについて、時折、「やってみます!」といううれしいお声をいただきます。その際に同時に、「どんなことに注意したらよいかを教えてほしい」という声もいただいています。
そこで、少なくともこれだけはということをメモ書きしてみました。 20240310 ver. (未定稿です。修正・書き換えていくことがあります)

(1)トークフォークダンス 〜 「応え」から生まれる力

向かい合った人同士がお題に応えて1分ずつ話すトークフォークダンスは、そのシンプルさゆえに、だれでも比較的容易に、楽しい対話の時間をつくることができるアクティビティ(活動)です。
ほんの短い時間、誰かに自分の話を聞いてもらう、ただそれだけのことなのですが、参加者はなぜか「元気」になっていきます。次々に相手を変えて話すうちに、参加者の表情がとても豊かなものに変わっています。
そんな不思議な力を持っています。
学校で大人と子どもで実施する時は、教室では話をしない子も、この場では話してくれる、そんな場面に何度も出会いました。担任の先生が「あの子が話している」と驚かれます。
その力がどこから生まれてくるのかというと、「『応え』あう関係性」なのではないかと思います。トークフォークダンスは「問い」と「答え」のやりとり、その繰り返しで成立します。「答え」は人それぞれ。あらかじめ「正解」はありません(またはすべての回答が正解)。
そのかわりに、自分なりに考えた、あるいは、思わず発した言葉を、「うんうん」とうなずいて聞いてくれる人が目の前にいます。自分の言葉を評価したりせず、ただ受け止めてくれる。すなわち「応え」があります。
「問い」に誘発され、自分の少し深いところを、勇気をだして開示したら、相手がそのまま受け止めてくれた。そのことが、うれしい。
少しおおげさに言えば、自分の発言の中身(doing)を評価されるかわりに、自分の存在(being)を認められる。そんな時間なのではないか。
評価なしの応え、すなわち「聞く耳」があると人は話すのだ、ということを毎回実感します。
トークフォークダンスは、互いに「聞く耳」になることでで、結果として、お互いを励ます、そんな時間をつくるための一つの方法なのではないか。豊かな表情を浮かべならが一生懸命話す中学生、深くうなずいて聞き入る高齢者の方々の姿を見るたび、このアクティビティの力を感じます。
「応え」から生まれる力ではないか、と。
 

(2)誰もがそこに安心していられるように


①親密な距離だからこそ安心の場に
トークフォークダンスというワークショップの特徴は、一対一で、いきなり親密な距離で向き合うところにあります。大勢いる会場の中で、自分の言葉を待っているただ1人のひとが目の前にいる。その親密さが、参加者の気持ちを開くことを促します。
しかし、それは逃げることができない、目の前の人となんらかコミュニケーションをとらなくてはならないということでもあります。それゆえに場のつくり方によっては、心理的に大きな負荷がかかる人がいるかもしれないリスクがあります。
だからこそ、可能な限り参加者の安心(心理的安全性)を確保する必要があります。全員がそこに安心していることができているか、その視点から場をつくる必要があります。
 

*とくに、学校、子どもと大人でやるような場合(「大人としゃべり場」)は、子どもたちは「動員」で座らされていることが多く、逃げることができません。(特性や心身の状況、先生・他の子どもとの関係性などによって、無理に座らせることがその子の許容限度を超えてしまう(追い詰める)可能性があるなら、強制的に参加させるようなことはすべきでないと思います。また必要な配慮があれば参加できるのであれば、その配慮は必須のもとして整えられるべきと思います。)


②即答を要請するからこそ「話せないこと」「話さないこと」をだいじに
トークフォークダンスのもう一つの特徴は、突然「問い」をだされて、「即答」を要請されることにあります。それゆえ、思わず本音を語ってしまうというおもしろさがあります。つまり「正解さがし」をしている暇がないからこそ生まれる言葉が、思わぬ深い自己開示を引き出します。
しかし、だからこそ、話さないこと、話せないことをだいじにする必要があります。沈黙や、身悶えなども含めて、どんな状態でそこにいてもよい、を保障することが必須になります。
どうしても即答は苦手、ゆっくりしか話ができない、という人はいます。また即答できないと、自分はだめなんじゃないかと思わせてしまうリスクもあります。それゆえに、以下に記すグランドルールの一つ「無理に話す必要はない」ことを強調してなんども伝えておく必要があると考えます。
そもそも、人は話さなくても(話せなくても)考えています。よい問いがだされたら人は思わず考えてしまうものです。「言葉にはならないけれど、そんな自分をそのままに受け止めてくれている」そう感じられる場にしたいものです。
不思議なことに、本当に「無理に話をしなくてもいい」が保障される場では、人は話してしまうものです。
 
③安心な空間を生み出すためのグランドルール
安心してそこにいられるようにするためにはどうしたらいいだろうか。その視点から、私が進行を担当させていただくときに、いつも伝えているのは以下のことです。

「話し手」の方へ
無理に話さなくてよい。話してもいいと思うことだけ話す。聞かれてもこたえなくてもいい。答えることが難しかったら、「うーん」といって一分間終了することもOK。

 「聞き手」の方へ
相手を否定しない。説教はもちろん、アドバイスもしない。ただ聞いてください。相手が話しやすいようにうなずいたり、「というと?」などと問いかけはあり(ただし、詰問にならないように)。

話し手が「ここでは何を言っても否定されたり、一方的に評価されたりしない」と感じることが必要です。話すか話さないか、どこまで話すか(話の深さ)の決定権を、しっかり話し手にわたせるようにするということです。
ここで「アドバイス」も禁止しています。その理由は、アドバイスは、現状の否定、すなわち評価を含んでいるからです。「よかれ」と思ってしてしまうことが、相手の安心を奪うことがあります。大人と子どもでやる場合は、大人はすぐにアドバイスをしたがります。
 
④安心な空間を生み出すための「問い」
トークフォークダンスの肝は、「問い」にあります。その時間の良し悪しは、どんな「問い」かによって決まってくると言っても過言ではありません。「安心」の中で話す、聞くができることようにするためには、良質の「問い」が必要です。
 
現在、所属するハンズオン埼玉で「問い」の研究会としてみんなでわいわいと整理中です。(つづく)。

例えば、「あなたの夢はなんですか」という問いは、一見、誰でもこたえられそうな問いですが、中学生たちは、夢の質問には少しうんざりというところもあります。またこの問いには、あらかじめ夢をもつべき、という価値観が含まれているとも言えます。夢を持っていないのが悪いこと、と受け止められる可能性がある(評価を含んでいる)ということでもあります。正解があらかじめ決まっていない、すなわち、答える側に、どう答えるかについてのフリーハンドをわたしたい。そうでなければ、この時間は苦痛を生み出す可能性があるからです。
例えば、こんなふうに問いを変えてみてはどうでしょう。
「大人はよく、夢をもちなさいと子どもに言いますね。あなたはどう思いますか?」と。いまの夢を普通に語る子がいてもいいし、「ちょっとまってほしい」と語る子がいてもいい。「そう問う大人はどうなんだ?」という返答があってもいい。
いわゆる心理的安全性、安心を保障することだけははずさないように問いをつくりたいものです。