芸人。キャット上原。

おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

猫ノカケラ キャット上原という
身長165センチ、体重45キロの
身も心もガリガリの
沖縄で活動している芸人です。

皆さんに僕という人間を知ってもらいたく
僕の人生を遡りnoteに書いていきたいと思います。

僕は、1992年生まれ
10月22日に沖縄県名護市に誕生しました。

そこまで裕福な家庭ではなく
どちらかと言うと欲しいものは
基本手に入らない家庭に誕生しました。

なので、親も誕生日は大変だったと思います。
当時流行ったポケモンのゲームが欲しいと親に言えば
コピー機能を持ってない初代のカービィのゲームを渡され

AIBOという犬のロボットのおもちゃが欲しいと親に言えば
スイッチ入れたらただただランダムに歩き回り鳴きもしない
AIBOの偽物みたいなおもちゃを渡されました。

一番ビックリしたのは、幼稚園の時に
「お年玉袋はどんなのがいい?」と
言われたので(なんでもいいとは思いましたが)
ポケモンのお年玉袋がいいと伝えたら
ポムポムプリンのお年玉袋で渡され
その時はポムポムプリンを知らないので
え?なにこいつ?ポケモンじゃない!偽物だ!
本物のポケモンのお年玉袋ってそんなに高いの?
幼稚園児ながら思ってました。

「ピカチュウ可愛いね」と笑顔で言われたので
あっ、ポケモンがそもそも知らないんだと思い
「俺このピカチュウ大好き!!」と初めて嘘をつきました。

なんだかんだで小学生になりサッカー部に
入ることになったので僕は基本友達と
外でサッカーばかりする元気な少年でした。
ですが、その時はまだサッカーのスパイクを持ってなくて
スパイク履いてないと試合に出れない事を親に伝え
一緒にスポーツショップに行き買おうとしたが
サッカーのスパイクが高い事を親が知り
「サッカー部を辞めてくれないか?」と手に何かを
渡されてみると500円玉でした。500円!?

めちゃくちゃ駄々をこねて大切に使う約束をして
買って貰うことができました。
結果、高校生までサッカーを続けたので
あの時500円を貰ってたら僕の人生にサッカーを通しての
仲間との助け合い、青春みたいなのは無かったと思います。

中学生になるとサッカー以外にも異性に興味を持つようになってきて
仲の良かった女の子ともどんどん話さなくなり
女の子と仲良くしてる男の子を裏では
あいつ変態なんだよと
ひどいことも言ったりしてましたが、
辞書でエッチな言葉をばかり探しては友達とクスクス笑ってた
僕の方がよっぽど変態でした。

高校生になって新しい友達もでき、可愛い女の子もいて
女の子にモテたい欲みたいのが
どんどん出てきて髪をチャラチャラ伸ばしはじめたりしました。
今思うと、高校の時が一番ダサかったかもしれません。
サッカーもそこまで頑張る事なく勉強も頑張らず
毎日だらだら過ごしてました。
というより、だらだらがカッコいいと思ってました。

先生に注意されても「はぁ面倒くさい」
親に注意されても「はぁ面倒くさい」
友達には「お前ニートなりそうだよな」と言われました。

本当に自分の人生に対して何一つ真剣に
考えた事が一度も無かったと思います。
面倒くさい事から全部逃げてました。

僕という人間は
高校時代不真面目過ぎて全く面白くありませんでした。
無気力人間でした。

それで進路をどうするのかとの話になり
みんなはどんどん決まっていき
そこでとうとう焦ります。

みんなに相談しますが
みんな同じ質問です。
「何かやりたい事ないの?」
「なってみたい職業は?」
「得意な事は?」

あるわけないです。
なんもしてなかったので

結果、動物が好きって理由で
動物関係の専門学校に入学しまして
象と触れあう機会があったのですが
象が恐くて夏休みに入る前に
辞めました。

そこからは勉強もせず、仕事もせずニート生活です。
高校の時に言われた友達の言葉「お前ニートなりそうだよな!」
友達と会うのも恐くなりました。

でも、心配してくれた友達の給油所で
働かせてもらう事になりましたが
そこでも大変でした。

接客出来ないほどの人見知り
声も小さいし毎日店長に怒られてました。

すぐにでも辞めようと思いましたが
友達には「あと一週間頑張ろう!」
一週間立つと「あと少し頑張ろう!」
そういう言葉でなんとなくやってまして
今ではとても感謝してます!

するとある時大事件が起きました。
朝の出勤だったのですが
その時間帯の従業員が
入って1ヶ月もならないと僕と店長の2人で
なんと店長が出勤して来ないのです。

その日は特売日でわんさかお客さんは来ます
レギュラー満タンで!点検してくれ!
洗車してくれ!タイヤの空気圧見てちょうだい!
オイル交換お願いね!パンク修理してくれ!
僕の頭がパンクしそうです!

とりあえずずっと走り回ってましたが
ここで、また大事件、レジがぶっ壊れました。
お釣りが出てきません。
お客さん「何してる?早くしてくれ!」僕がパニックなってレジを
ゴンゴン殴ったりしてるとお客さんが僕の異変に気づきました
「店長呼んだほうがいいんじゃないか?」と言ってきたので
「店長いないです」と言うと「他の人は?」と
言ってきたので「僕だけです」と泣きそうになりながら
僕は自分の財布からお釣を渡しました。

それでも2時間立っても店長は来ず
ぶっ壊れたレジ、どんどん来るお客さん、
僕はレジカウンターの下に隠れる事にしました。

そして、クラクションの嵐
最悪です。

そこから店長よりも先に
昼の出勤の副店長が来てくれました。
めちゃくちゃ怒られましたが
事情を言って許して貰えました
そういう時は電話しろと初めて親以外の
大人の電話番号をケータイに登録しました。

その後店長が来て事情を言うと
爆笑して「ごめん寝てた」との事
なんか、凄い事言うなとびっくりしました。
初めてこんな大人もいるんだなと思いました。
大人はちゃんとした人、間違えがない人が
大人だと思ってたので目から鱗でした。(使い方あたってる?)

とりあえずこれ以外にも店長の最低エピソードが
あるのでそれはまた他の機会に、

そして、僕はこの給油所でどんどんなれてきて
普通に接客できるくらいなった時
芸人になりたいと思ったのです。
急に?とは思うかもしれませんが本当にこんな感じです。
元々お笑いは好きだったし興味もありましたが
事務所の入り方とかが分からなく、
普通の人がなれるものじゃないと思ってたので
考える事自体しなかったのですが

なりたいと思った時、すぐなり方調べて
沖縄にも、よしもとの養成所があると知り
入学金を一瞬で稼ぐ為にお金に困ってる大学生の友達と
春休みのシーズンを使って給油所を辞めて
東京の1ヶ月の短期の引っ越しのバイトに行きました。

そこは今までに無いぐらい辛かった短期バイトでした。
まず、一番最初に言いましたが
僕身長165センチ、体重45キロのガリガリマンです。
周りの引っ越しマンは男らしい海に行っても
恥ずかしくないムキムキボディの人たちだらけです。

こんなガリガリマンの引っ越しのバイトとなると
なんかキツさは想像できますでしょうか?

まず最初にキツイのは東京に着いた日ですね
東京を何も調べずに沖縄と同じ感覚で
パーカー等の冬物を持たずに行きました。

もう帰りたいです。
まだ始まったばかりなのに
指先は痛いしガクガク震えるし
お先真っ暗です。

周りの友達は東京に来た事でキャッキャしてて
楽しそうです。

僕は東京に初めて来ましたが
冷たい町だと思いました。

そしてもちろんみんなも想像ついてるとおり
荷物を運ぶこれが激ヤバイです!
冷蔵庫とか、洗濯機とかとかももちろん重いですが

本や書類を詰めた段ボール!
これがかなりキツくてめちゃくちゃ嫌でした。
なので引っ越しする際、本や書類を詰めて入れるのは
なるべくやらないほうが引っ越し業者に優しいですよ!

僕の話では無いですがびっくりしたお客さんもいまして、
三十歳くらいのお母さんと五歳くらいの娘がいて
引っ越し先に荷物を持って行く前に
荷物を車に運ぶのですが
この親子の梱包が間に合ってなく
僕らも梱包を手伝う事になったのです。
(梱包も僕らの仕事の一部だったのかな?忘れました。)

そしたら娘がお母さんに
「おもちゃが無いおもちゃが無い」と言っていて
お母さんが「新しいお家に着いたら探しましょ」と言い
それでも娘が「嫌だ今欲しい」と言ってきて
とうとうお母さんの何かが切れる音がし
急に僕らが梱包した段ボールをどんどん開けひっくり返して
どんどん散らかすではありませんか

そしたらお母さんが「どこにあるの?探せ早く!」と
娘にぶちギレて僕らはあ然ですよ。
娘は泣きながら「ごめんなさーい」と
お母さんは「あんたどんだけ迷惑かけるんだよ!早くさがせ!」
お母さんが迷惑でした。

かなり恐かったです。

お母さんは明らかにおもちゃが出てきそうではない
段ボールもひっくり返してましたから

そしてキツかった短期の引っ越しの仕事も終わり
とうとう沖縄に帰ったらよしもとの養成所に入学だ!と
気合いを入れて帰って来たのですが
帰って来て色々自分にご褒美とどんどんお金を使い
結局入学金が払えなくなり

翌年、銀行からお金を借り
それで養成所に入りました。
これが芸人になる前ですね!

そうです。
僕は根がだらしないんですよ。
長々と書いて来ましたが僕は

沖縄で活動する
猫ノカケラ キャット上原という
根がだらしない人間です。

誰か養ってください。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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