見出し画像

全ての温泉むすめを訪ねる旅 その1

 2021年12月1日。
 最初に巡る温泉地として、有馬温泉(兵庫)、嵐山温泉(京都)、おごと温泉(滋賀)へ行くこととした。
 ちょうど同時期に京都旅行を計画していたので本来、京都に泊まる分の一泊を有馬温泉に組み替え、スカイマークの神戸行きを予約した。当時はまだコロナ真っ最中だったので、席を押さえたのは結構直前だったが運賃は高くなく10,080円で神戸へ行くことができた。
 寒空の神戸空港からポートライナー、市営地下鉄、さらに神戸電鉄に乗り継いで乗り換えの「有馬口駅」に着くと、神戸の中心部から山一つ越えたにしては結構な田舎の風情が漂っていた。
 乗り換えた電車は更に山の中へ分け入っていくので、こんな奥に温泉場があるとは、と驚いているとトンネルを潜り、目的地の「有馬温泉駅」に着いた。

有馬温泉駅にて。

 改札前には有馬輪花ちゃんのパネルが置いてあり、温泉を訪れるお客をお出迎えしているかのようだった。なお着いた時間が既に夕方近くだった為土産物屋はほとんど開いておらず、途中に木造三階建ての土産物屋があったり風情のある商店街に見惚れつつもそのまま宿へと直行した。

 有馬温泉で宿泊したのは小宿八多屋という素泊まり宿で、道を挟んで反対側にある温泉旅館上大坊の内湯に入れるようになっている。部屋の中は本当に最低限のものしか置いてなかったが、旅先はもちろん普段からテレビはあまり見ないので、部屋にそれがなくとも大した問題ではなかった。
 寒い中を駅から一方的な上り坂を上がってきたので、とりま風呂と決め込んで浴衣に着替えると、上大坊の暖簾をくぐって内湯へと向かった。


小宿八多屋の一室

 脱衣所から階段を降りていくと、途中から大正期にしばしば造られたローマ風呂を彷彿とさせるような内湯が現れる。湯船はふたつあるのだが一方には透明なお湯が張ってあり、もう一方はくすんだ黄土色のお湯で湯船どころか壁の方まで温泉成分が付着していた。
 整えられた旅館の館内からすると随分古風な風呂だな、と思いつつ、湯船に浸かるとかなり熱い。しかも受付で「よくかき回して入ってください」という宿の方のアドバイスを思い出して手を動かせば、たちまち沈殿したチョコレート色の温泉成分が湧き上がってくる。
 温泉むすめを知る前に、私は田沢湖近くにある乳頭温泉へ行った事があったが、そこも相当に濃厚な温泉であったもののいい勝負で、名湯を心ゆくまで堪能した。

 前述のとおり素泊まりだったので食事はどこかで済ませなければならなかったが、この時はまだコロナが激しかったという事もあり、多くのレストランが時短営業や臨時休業でやっていなかった。部屋でしばらく調べまくったが、結局部屋を出てすぐ目の前に見えるレストランで目玉焼きが乗ったハンバーグを頂いた。
 ……本当は割烹料理を食べたかったのだが、それはそれとして。

宿の裏手にある食堂、Griddle Me Localの目玉焼きハンバーグ。
すぐ横には幻想的にライトアップされた源泉が湯気を立てている。

 早めに床に就いて、翌朝は宿から少し歩いた場所にある銀泉へと向かう。
 有馬温泉は源泉がふたつあって、一つは上大坊の内湯や共同浴場「金の湯」の金泉。もう一つは共同浴場「銀の湯」や一部の旅館が引いている銀泉となっている。
 こちらは湧出温度の低い炭酸泉とラジウム泉を混合した沸かし湯だったが、朝風呂は殊の外気持ちよく出発前に気分を整えることができた。
 土産物店や観光協会に寄りパネルを愛でてから電車に乗ると、今度は発車してすぐにトンネルへと入ってしまう。有馬温泉駅が遠ざかっていくのを眺めつつ、全ての温泉むすめを巡ったら再びここを訪ねることで、旅のおわりとしよう、と考えた(もちろんいいお湯だったので今後何度かは行くと思うけど)。

有馬輪花・楓花姉妹。有馬温泉名物、炭酸煎餅の三ツ森本店にて。

 神戸からJRに乗って京都へ移動し、荷物を宅配サービスに任せてまずは京都タワービルの中にある観光協会へ向かい紫雨ちゃんのパネルにお目にかかった。今はどうか分からないが、この頃はジェンダークレーマー行為の影響によってか彼女のパネルは隅にしまってあり、協会の人に断ると出してもらえるという状況になっていた。

観光協会にて嵐山温泉に宿る紫雨ちゃんにお目にかかる。

 嵐山に温泉があることは以前から知っていたものの、温泉むすめを知る前はあえて行こうとも思わず神社仏閣巡りに精を出していたから新鮮な気分だった。
 途中いくつか紅葉のスポットを巡りつつ、嵐山にある温泉旅館「花筏」へ向かう。

二条城。当然ながらこの時はまだ「鎖国中」で外国人観光客はいなかった。
鹿王院。嵐山はともかくここは日本人観光客も多くなく、ゆっくりと紅葉を眺めた。

 この宿の自慢は屋上にある、渡月橋が見える弱アルカリ性のぬめり湯が特徴の露天風呂だ。……考えてみればこんなところで温泉に浸かるのも経験したことが無く、素泊まりでもいいから宿泊すればよかったとやや後悔した。
 この時は感染者数が落ち着き、京都は凄まじい数の観光客や修学旅行が方々から押し寄せていて渡月橋も人の波ができていた。
 感染が心配で三年坂の方に足を向けず、食事も空いている店を狙って行った程、この時期は旅行するにしても常に恐怖感と隣り合わせだった。

祐斎亭。嵐山の著名なスポットで、染色作家の祐斎氏のアトリエを兼ねている。

 嵐山では祐斎亭で見事な紅葉を眺めた後、東山にある定宿の民宿「古梅川」へ。こちらの宿は京都へ行くたびにいつも泊まっているところで、宿を経営しているご家族とはいつの間にか顔見知りになってしまい、いつもお世話になっている。
 いつもであればここに泊まり、三条京阪のビアバーか烏丸御池のうどん屋、あるいは祇園のフランス料理店に行き、最後は祇園にあるフィンランディアバーで〆るのが定番だが、この時はそんな気にもなれず河原町の阪急へ行ってお弁当を買ってきた。
 2021年の秋頃はレストランで食事を、という気分には全くなれなかった。

 翌日は宿に荷物を置かせてもらい、東山から地下鉄で山科へ出て湖西線でおごと温泉駅へ向かった。芋虫のような緑色の国電に乗ってほんの2駅であり、駅から温泉場へはタクシーを使う。
 現地に着いてから当初目星を付けていた宿へ電話して立ち寄り湯のことを聞いたが、この日はお休みでやっていないという。困ってすぐ近くの観光協会に駆け込むと幸い裏手の丘の上にある「びわ湖花街道」という宿を紹介して頂いた。
 品の良い大型の温泉ホテルで、当日は宿泊者と思しき車で駐車場が溢れていた。

 広い風呂に昼からつかるのは気持ちが良かったが、おごと温泉には寧々ちゃんが宿っているもののパネルが置いてある場所はどこにもない。
 この後知る事になるのだが、温泉むすめが宿る温泉場でも彼女たちを全面的に押し出しているところとそうでない場所があり、そうでない場所は空気扱いになっているところも多い。
 これを書いている2023年現在では温泉むすめ達を押し出す温泉場が徐々に増え始めてきているので、今後もどんどん盛り上がっていって欲しいと思う。
 温泉から出た後は京阪の京津線でそのまま東山まで戻り、京都から新幹線で帰宅した。その道すがら、静岡県の富士川に差し掛かった時、青空に映える美しい富士山が車窓に現れた。
 旅の始まりにふさわしい優美な富士を眺めながら、最初の旅は終わった。
 なお、この時の写真はのちに一年を振り返るまとめの表紙に使っている。

富士川を渡った直後に。あまりに綺麗だったので、しばし見惚れていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?