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全ての温泉むすめを訪ねる旅 その3

 2021年12月25日。私は上野駅から常磐線の特急に乗って北を目指していた。
 行き先はいわき湯本温泉、あろはちゃんに会うためだ。この時は旅行先を南房総か石和かいわきか、と考えていたところ、いわき湯本温泉にある「旅館こいと」があろはちゃんルームというファン向けの部屋を作っていて、そこが偶然空いていたので自動的に行き先が決まったのだった。

選ばれし者(抽選に当たる)が乗車を許される豪華列車、四季島号。残念ながら乗ったことは無い。

 上野駅の特急ホームに行くと、JR東日本が誇る豪華列車「四季島」が専用ホームに停車していた。コロナ中でも高い競争率は健在で現在も乗車は叶っていない。
 思えば豪華列車というと日本国内では唯一、北斗星に乗った事があるくらいだが、その時も二段式B寝台しか空いておらず「今までの寝台特急と変わらんではないか」と悔しい思いをしたのだが、今考えてみれば食堂車でフレンチを食べた事、二段式B寝台で寝た事、翌朝はのんびり走る朝の北斗星でこれまた食堂車の朝食を楽しんだ事など、列車自体が無くなってしまった今では最早味わえない経験になってしまった。
 日本の鉄道は、とりあえず抽選などの条件無くお金を払いさえすれば乗れる等級の列車でも、せいぜいグランクラスのサービス以上のものは無く、欧州の鉄道の一等車のサービスに比してどこかしょぼい印象が強い。
 ハリウッド映画「ブレットトレイン」に出てくるゆかり号位、サービスを充実させて欲しいと日々もやもや考えている。

なんとなく旅情を掻き立ててくる上野駅の特急ホーム。

 ひたち号に乗り込むと、指定席を取ったのが馬鹿らしくなる位空いていたので、こんな事なら座席未指定券を買って空いているところに座っておけば良かったのに……と考えつつ、電車は途中無停車で水戸へと向かっていく。
 流れる車窓を眺めるのも一興ではあるが、この区間は温泉むすめを知る前から、例えば大洗に行ったりする等して割合頻繁に行き来しているので、水戸周辺に何か面白いスポットがないかと思いながらGoogle  mapであれこれと探し回っていたところ、偶然湯本温泉の近くに別の温泉があることを発見することになった。
 湯の網温泉。宿の名前は鹿の湯松屋。
 駅から離れた里山の中にある一軒宿で、webを開いてみると赤茶色の湯を湛えた湯船と、品のいいレトロなタイル画を備えた浴室の画像が出てきた。
 ちょうど通り道である上にレトロ風味な浴室の画像はすっかり私の心をとらえてしまい、宿へ行く前に寄るのもいいかと思い水戸での食事と観光の予定を短縮すれば良いか、と思っている間に水戸に着いてしまった。
 当時はちょうど大河ドラマで、渋沢栄一を取り上げた青天を衝けが終わる直前で青年時代のパートで出てきた水戸藩主、烈公こと徳川斉昭が開いた藩校「弘道館」が見てみたかった為、駅前の人出に驚きつつ坂を上がっていった。

水戸城内の三の丸に所在し、重臣の屋敷を移転させてまで造られた。
内部に派手さは無く質実剛健といった印象を覚える。

 学問のための施設ということで、内部に派手さは一切無く唯一藩主が滞在するための部屋だけ作りが特別であるということくらい。
 充実した資料に見入っていると時間が無くなってきたので、名残惜しいが割合駆け足で見学を終えることとなった。

 駅前まで戻ってきて、鹿の湯に電話をしてみると立ち寄り湯をやっているとの事だったので後程向かうことを告げ、せめて水戸の名物を食べようと思い駅前のラーメン屋でスタミナラーメンを食べることにした。
 スタミナラーメンは茨城県のご当地グルメという位置付けで、ひたちなか市を中心として食べられているあんかけラーメンのことを指す。
 電車の時間が迫っていて割合余裕がなかった為ラーメンの画像を撮ることもなく食べてしまったが、野菜とレバーがゴロゴロ入ったラーメンは普通盛りでも少食な私には十分すぎる量だった。

 水戸周辺の常磐線は本数が都内に比べるとかなり少ない。しかも勝田止まりや高萩止まりの電車が多く、鹿の湯の最寄り駅である大津港駅を通る普通は概ね30分に一本位だったから、乗り遅れるとその分どんどん予定が遅れてしまう。
 駅の中にある観光協会にソードアートオンラインとのコラボ看板が置いてあったので撮影をした後、ガラガラないわき行の普通電車に乗り込んだ。

実はSAO、原作ラノベしか読んだ事がない。

 水戸から先の常磐線はほとんど乗っていない区間で、おそらくは小学生の頃に特急ひたちで仙台へ行った以来ではないかと思う。そんな状態だから車窓にあまり印象は無く、東海村付近の湾岸側に見えた日本原電・東海第二原発の建屋あたりに何本も建つタワークレーンがやけにSFチックで見惚れてしまった。
 日立港の横を通り過ぎた辺りから、車窓に海が広がったり、また遠ざかったりを繰り返すようになる。シャッターチャンスをはかってiPadを構えていたが、この日は曇りでいまいち良い写真が撮れなかったので、じきに写真を撮るのをやめてぼんやり車窓を眺めていた。

かつてはシーメンス製の音階VVVFを搭載し、“歌う電車”などと呼ばれたE501系電車。

 大津港駅は駅前に商店がほとんど見られない田舎駅だったが、幸いロータリーには数台のタクシーが停まっていたのですぐに乗り込み、鹿の湯松屋へと向かう。運転手の談ではこの辺ではメジャーな宿だそうだが、かつては数軒の宿があったものの、現在では松屋を除いて皆廃業してしまったという。
 全国の温泉にありがちな「一軒宿の温泉宿が閉まったら、そこのお湯に入れなくなる」の一つになりそうな話で、偶然とは言え機会に感謝していると、車は里山に抱かれるようにして建つ宿の軒先まで乗り付けてくれた。

 出迎えて頂いた宿のおばさんに代金を支払い温泉の浴室へ案内していただく。
 建物自体も割合歴史を経たものであったが、浴室部分だけはよりレトロなしつらえとなっている。
 「浴室」と書かれた引き戸を開くとオレンジ色の湯が張られた湯船、見事なタイル画にステンドグラスのはまった天井窓が目に飛び込んできた。

思わず「このまま泊まってしまおうか」と思ってしまった、鹿の湯の風呂場。

 湯船に入るとぬるめの肌触りが良いお湯が体を包む。
 それにしても相当な濃さで、透明度はほぼ無い。泉質は含鉄冷鉱泉。湧出時には無色透明なのだが空気に触れた瞬間鉄分が酸化してこの色になるのだという。
 長湯をしていると汗が大量に出てくる。一旦出て湯冷しをしてまた入る。そしてまた汗をかく。
 浴室内は音がほとんどせず、時折外から鳥の囀りが聞こえてくるのみで、ずっと浸かっていたい気分になってくる。そんな温泉だった。 

 後ろ髪を引かれつつ風呂を出、タクシーで再び大津港駅へ戻る。
 夕闇迫る中電車に乗って湯本温泉駅に着くと、改札前には「フラ女将」と描かれた賑やかな看板が置いてあった。

なにかとフラダンスに縁のある湯本温泉。

 あとで調べてみると、温泉宿の女将さんが実際にフラダンスを踊るというもので、湯本温泉の名物になっているとのことだった。当時はコロナ禍真っ最中だったので公演は中断状態になっていたのだが……。
 駅からしばらく歩いて市街地が途切れるくらいのところに、この日お世話になる「旅館こいと」が見えてきた。
 フロントとラウンジは南国風に作られたモダンなイメージで温泉は地下道を潜っていくのだが、ちょうど入り口のところにあろはちゃんがいて、奉納品に囲まれていた。

厚(熱)い信仰を集める湯本温泉のいわきあろはちゃん。

 チェックインを済ませ、早速「あろはちゃんるーむ」へ行ってみると……。

和室も南国の雰囲気。
グッズが所狭しと置いてある。

 部屋の雰囲気はまさに「キャラクターの私室」。まるで一泊だけあろはちゃんの部屋に来てしまったような錯覚にも似た感覚を覚えた。
 しばらくの間、様々なグッズを見て楽しんでいたが、温泉へ行く時間がもったいないので浴衣へと着替えて地下道を経由し、風呂場へ。浴室のドアを開くともうもうとした湯気と共に硫黄臭が鼻をついた。
 湯船はぬる風呂と熱風呂に分かれており、熱風呂の方は体が痺れる位の温度にしてある。露天風呂も備えてあり、無色透明ながら硫黄の香りのするお湯をじっくり楽しむことができた。
 宿泊プランに付いているオリジナルカクテルを頂こうと思い、風呂から出た後は一度部屋へ戻り、部屋に置いてあるあろはちゃんのちびキャラを一緒に連れて行き、ラウンジで風呂上がりの一杯をいただいた。

真冬だが気分は常夏の趣。

 一緒におつまみを頼んでお酒を楽しんでいると、偶然宿の若旦那が現れて雑談に付き合って頂いたのだが、話の中で「温泉むすめの中では全国的に見ても飯坂温泉が一番すごい。ぜひ真尋ちゃんに会いに行ってみて欲しい」と教えて頂いた。
 そんなにすごいなら是非見てみたい、と思ったが、真尋ちゃんのところに行ったのは翌年の九月の事だ(後述)。
 これであとは翌日に宿の名物である朝ご飯を食べて……と思ったのだが。
 急用のため急遽帰宅することになり、翌朝は7時前に宿を立つことになった。宿を出ると朝の冷気が身にしみて、寒さに震えながら駅へ歩いていった。道路の排水溝からは湯気が立ち上り風呂で嗅いだ硫黄臭が漂う。
 またいずれ来よう、と決めて7時台の特急に乗り込み、コンビニで買ったおにぎりを太平洋から昇る太陽を眺めながら食べることにした。

人気の無い温泉街を抜けて寒い朝の湯本駅へ。

 忙しない旅になってしまったと思いつつ車窓を眺め、ちょうど列車が北千住を通過した頃、駅でもない場所で速度が急に落ち始めた。大方都心に近付いて列車が詰まっているんだろう……とぼんやり考えていると、車内放送で友部付近で踏切事故が発生し常磐線が長時間の運転見合わせになってしまった、という事を知る。
 急用が無くあのまま宿で朝ご飯を食べていたら確実に事故に巻き込まれ、タクシーに加え磐越東線か水戸線での大幅な迂回で大変な帰宅を強いられるところ、危うく難を逃れたのだ。
 時刻表を見ながら青くなっていると、特急は終点の品川まで運転するという事で上野を発車し、程なく東京駅に到着した。
 常磐線の運転見合わせで朝の東京駅は混乱しており、ひたち号に乗る予定のお客が途方に暮れているのを横目に見つつ、私は家路を急いだ。

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