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荻窪随想録9・田端神社【表(おもて)】

長い長い、夏だった。
暑くて長い、夏だった。
まだ、終わり切ってはいないようだけれどーー。

夏の終わりの風物詩というのか、秋の始まりを告げる年中行事というのか、
あちこちの神社でお祭りをする季節で、出かけると通りでふいに神輿をかついでいる一団に出くわしたりして、
思いがけぬにぎわいに巻き込まれることもある時期だが、
私は自分の産土神さまだと思っている、田端神社の年に一度のお祭りに久しぶりに足を運んでみた。

この神社のお祭りのお知らせは、私の住んでいるあたりまでは貼り出されない。
なので、記憶にある例大祭の日にちに従って行ってみたのだが、
今、自分の住んでいるところからはかなりの距離があり、
自転車で行ったほうがすぐ着くものの、それではなんだか味がないので、すっかり日の暮れた夜道をてくてくと歩いていった。

しかし、かなり近くまで行っても、お祭りの気配というものが感じられなかった。
なんのざわめきも聞こえてこないし、そちらに向かって歩いていく人の姿も見かけられない。
ほんとうに今日でよかったのだろうか、とかすかな疑いが頭をもたげたが、
人通りの少ない住宅街をひたすら歩き続けて、神社の正面にたどり着いてみたら、
鳥居のそばには、夜目に目立つ、スティック形のライトを持った交通整理の人が一人立ってくれていたし、
子どもたちが乗ってきたのだろう自転車も、今までのお祭りの時どおりに境内にたくさん停めてあったので、やっぱり間違いなかったことがわかった。

参道の片側に並んだ、明かりを灯した露店は横目で見ておいて、
まずはまっすぐ進んでいって、左側にある手水の蛇口をひねって手を洗ってから――ひしゃくはなくなっていた。たぶん、コロナがはやっていた頃に取り払ってしまって、そのままなのだろう――本殿に向かい、賽銭箱に銀色の小銭を2枚投げ入れてから、お辞儀をして手を合わせた。

子どもの頃、お祭りに来てそんなことをしたかと言えば、もちろんしなかっただろう。
お祭りとは神さまに挨拶をするところでもお礼を言うところでもなく、
ただその時にしか売っていなかった、あんず飴とか、綿菓子とかを、なけなしのおこづかいで買うためのところ。
それから、金魚すくいをしたり、ヨーヨー釣りをしたり。

昭和30年代と言えればより収まりがいいのだが、
実は私が小学生だった頃は昭和40年代に当たり、
でもその頃も、やはり今と比べたらはるかに日常的には、盛り上がれることは少なかったのか、
お祭りがある日となると、子どもたちは浮き足立ち、
神社から聞こえてくるおはやしの音に、教室の中にいてもそわそわしっぱなしで、
担任の女の先生に、「もうー、授業にならないじゃない!」とあきれられたりもしたものだった。

そのおはやしの音が歩いてくる間まったくしなかったので、お祭りの気配を感じることができなかったのだが、見ると、神楽殿にはこうこうと明かりがついているのに、太鼓をたたいたり笛を吹いたりしている人たちがいなかった。
まさかこれは昨今の、騒音に対する近隣の苦情のせいではないかと思ったけれど、誰かに確かめたわけでもないからそれはわからない。
それでも境内は、次々と集まってくる近所の子どもたちや大人たちで十分にあふれ返っていた。

お参りをすませてから、ようやく露店をぶらぶらと見て回ったら、
昔ながらのあんず飴や、ソースせんべいの店もあったけれど、
そういったものは見たところかつてほど人気ではないようで、列をなして人が並んでいるのは、フライドポテトの店だったりした。

現代人はすっかりマックに舌を慣らされてしまったんだなあ、
とかよけいなことを考えたものの、そのあんず飴も、昔と違って具――とでも言ったらいいのだろうか――が増えて妙にごてごてになっていたし、300円もするので、子どもの頃には高くてもせいぜい30円で買っていた記憶に妨げられて、手を出す気にはなれなかった。

金魚すくいは出ていなかったし、ヨーヨー釣りもなかった。
そう言えば、今思い出してみると、かつては好きでよく買っていたハッカパイプのお店も見かけなかった。
一時は、残酷だと言われながらも、赤や緑や青色など、いろんな色に着色したカラーひよこを売っていたこともあって、
そういったカラフルなものの代わりとしては、
今は電球形のボトルにソーダを入れた、ぴかぴか光る電球ソーダなるものや、
LEDライトのついた光るうちわなどがあるようだったけれど、
そのどちらにも私は手を出そうとせず、ただ子どもたちがそれらを持って行き交うのを眺めているだけだった。
色のついた光るものがとても好きだった自分としては不思議な気がするけれど、
そういったものも現在は、望めば通販で日常的にいくらでも手に入るようになってしまったからだろうか。

カラフルなものと言えば、昔は色とりどりの砂で絵を描く砂絵なども売っていたし、
ぺかぺかした安物の、おもちゃの指輪も必ず売っていた。

とはいえ、全体的にここの神社の素朴さは、昔とあまり変わらないような気がした。

私は、どこかで見かけて一度食べてみたいと思っていた、自分が子どもの頃には売っていなかった、シャーピンという中国風のお好み焼きのようなものを買って食べ、
その頃には、あちこち店を見て回って、値段にも抵抗がなくなっていたので、300円のラムネでのどをうるおした。

耳にピアスをしたお兄さんにラムネの瓶を手渡してもらったら、
ガラスではなくて、押すとふんにゃりしそうなプラスチックだったのには少々がっかりしたけれど、
中に入っているビー玉は、昔ながらのガラスのようだった。これは、取り出すことができないものだったろうか?

そうしてしばらく境内の雑踏を眺め、自分も雑踏の中の一人となって過ごしてから、まだにぎわっている神社を後にして家路についた。
長い道のりを家に向かって戻りはじめたら、行きにはそれほど苦にもならなかったのに、なんだか湿気でむしむししてきた。
あまりにたまらなかったので、家に着いたとたんにすかさずエアコンをつけた。

やはり、夏がほんとうに終わるのはまだ少し先なのらしい。
お祭りとは、夏とも秋とも言えない季節のはざまにあるものだったろうか。

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