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『王妃マルゴ』の連載が終わっても、

つい、<ココハナ>3月号を買ってしまった私だが、
それというのは惰性ではなく、アン・ミツコの『コリドー街の女たち』の続きがちょっと読みたかったから。
意外とシリアスまんがのほかは、こういう、女ががむしゃらになるっていうか、自分を戯画化しまくったようなまんがが好き
(男二人にはさまれて揺れる女、なんていうのは興味ない)。
しかし、巻末掲載か……こういう女の描き方は、最近は受けないんだろうか。
なにもしなくても男が寄ってきて困っちゃう! っていうような主人公がいいわけ?

という話はともかくとして、
おととしFacebookに書いていた、
萩尾望都作品に関するたあいない話をここに再掲載しておこうかと思う(若干の加筆・修正あり)。

1、

『王妃マルゴ』の連載が<YOU>で再開したので読んでたら、
アンリ国王がマルゴにどなった顔が、
星(セイ・『スター・レッド』1978年)が連載第一回目でいきまいた顔とおんなじで
(向かって左の眉の釣り上がり方と、口の形)、
この当時、萩尾望都は不良の女の子を描くのに無理したなー、と思っていたけど
(なんか、ヒロインのはすっぱな口調がいかにも板につかない感じで)、
ほんとはこの雛型があらかじめ萩尾望都の中のどこかにあったのかも、
ってか、この時にこの型が萩尾望都の中に刻印されてしまったのかも、って気がした。

『王妃マルゴ』も最初は少女まんがっぽくてよかった(趣味だった)けれど、
少女まんがらしさははるかの昔に影をひそめてしまい、
むしろグロテスクな部分のほうが浮き上がってきて、まあ、それもこの作品に関しては最初っからあった要素だったんだが、
歴史的にナヴァルのアンリと別れてしまうことはもうわかっているから、なんかこの先の展開があまり期待できない。
とはいえ、今月号に関して言えば、絵のタッチに少し繊細さが戻っていてよかった。

って、ここでこんなこと書いてどうするのか。でも、言いたかった。

左:アンリ
右:星(セイ)
ねっ、似てるよね。
(※図版割愛)

(2018年8月23日 00:18)


(きのうからの続き)

『王妃マルゴ』が連載再開になったんで、
その分、<flowers>での『ポーの一族』(『ユニコーン』)がまた休載になってしまって、
続きが始まるのは、来春予定。
って、それじゃ、全然話進まないじゃん! 
あんまり『ポーの一族』は期待していないと言いながら、やっぱり続きは気になる私であった。

しかし、40年ぶりのポー復活で、
エドガーはまだ見た目なんとかなってるとしても、
アランの描き方が、昔と違ってもうほんとに子供子供してて、
これはまったくあの、美しくて、ガラス細工のように繊細だった、かつてのアランとは思えない。
こんな間の抜けた顔、アランじゃない!
とかわめいている往年のファンは、たぶん何万人(?)といることだろう。

あと、オットマー家のダンのお母さんと、ジュリエッタのお母さんが同じ顔にしか見えないし、
それを言ったら、そのジュリエッタ自身、ブランカと顔の違いがそんなにわからないんだが。
登場人物多過ぎるからしょうがないのかなあ。

左:かつてのアラン
右:今のアラン(と、エドガー)
(※図版割愛)

2018年8月23日 23:14

3、
(まだ続く)

だが、クールなエドガーも長いシリーズ連載中には一時的に記憶を失ったことにより、
今のアランのようにまぬけな顔を読者の前にさらしたことがあった。
それは、1820年(物語の中の年代じゃ)のことだが。

崖から落ちて頭を打ち、記憶喪失になってエヴァンズ伯のとこでやっかいになっていたエドガーは、
もう白痴同然と言ってもよく、いつもぽかんと口開けてんし、
「あの子、どこ…?」しか言わないし
(あの子とは妹のメリーベルのこと)、
人前で恥ずかしげもなく涙を流すし、で、
当時の私の友だちがそれを見て気も狂わんばかりになって、
今月号はひどい! こんなのエドガーじゃない! 
と言って、私に気に入らないシーンをいちいち指し示しながら、激しく訴えたのであった。
それには同意しながらも、『ポーの一族』のファンとはいえそこまでエドガーに思い入れのなかった私は、
はあ、はあ……と聞いているぐらいしかなかったのだが。

そのエドガーのまぬけ面はさすがに私も流布させる気にはならないので載せないけれど、
今でも気になるのは、その回の中でひとつ、『ひとりぼっち流花』(大和和紀)のシオンにしか見えないコマがあること。
顔がいつものエドガーと違い過ぎていて、違和感がぬぐいきれない。

くるくる巻き毛で(それはいいけど)、
青ざめてて(でも、唇は紅くて)、
涙たれ流してて……。

やっぱり、こんななよなよしたの、エドガーじゃない~!

フラワーコミックスの復刻版でいうと、第4巻の『エヴァンズの遺書』の中でのこと。
写真は復刻版じゃなくて、当初から持っている初版(1976年版)。 

2018年8月24日 23:10

vol.3ポーの4表紙

4、
(続き)

『ポーの一族』は元々、自分で見つけたんじゃなくて、
ツウの友だちに教えてもらった。その頃、<少コミ>は読んでいなかったんで
(講談社系で、<少女フレンド>派だった)。
萩尾望都自体は<なかよし>ですでに知っていて、その画力の高さには子供ながらに感心していたけど、
『ポーの一族』は画力が高いなどと言ったどころじゃなかった。確か、2話目から読み始めた。

そして、あまりにその世界にはまってしまったんで、何度も読み返し、その頃は第1巻は全部暗記していた。
もちろん暗記しようと思って暗記したわけじゃなくて、読んでるうちに覚えてしまったのだった。
よって、第3巻の『小鳥の巣』までは、ほぼ絵もせりふも全部覚えていたと言える。

しかし、つい最近になって、
第2巻のネーム(せりふ)に間違いがあることに気づき、
それは49ページの、
まだバンパネラになる前のエドガーが村の子どもたちとケンカするところだが、
「十年まえはペッペのかみさんを食った! うまかったぜ!」
と言っているけど、
これ、「ペッペの"かあちゃん"」の間違いだね。
"かみさん"って言ったら、その前はお父さんの名前の"ビル"にしなくちゃいけない。

こんなことに今頃気づくようでは、
とても作品を読み込んでいたとは言えない、と思い、深く恥じ入った私なのだった……。

(※図版割愛。
 ちなみにこの部分はどの時点で修正されたのかわからないが、
 2019年に出版されたflowersプレミアムシリーズでは修正されていた)

2018年8月25日 11:40

5、
 
(続き)

しかしネームの間違いっていったら、再開『ポーの一族』(『春の夢』2016年)にもあった。
それは、登場人物たちの間で話題となった女神ブリギッドの名。
同じ回の中で、最初に出てきた時にはブリギッ「ド」だったのが、11ページ後ではブリギッ「デ」になっている。
まあこれは打ち間違いレベルで、雑誌掲載時からの誤りだと思うけど
(掲載誌は即完売して買いもらしたから確認できない。図書館にでも行かないと)、
誰も気がつかなかったのだろうか。
こういうことは、担当編集者さんがちゃんとせなあきまへんで。

なぜ、急に関西弁になったのかというと、
『春の夢』から登場している新キャラ、ファルカも突然関西弁をしゃべったから。

「アカン! この話は止めよう」と(『春の夢』vol.3)。

よっぽど気が動転したのかね。いいのかな、ヨーロッパ人に関西弁しゃべらせて……とは思ったけれど。

なぜこのような重箱の隅を突くようなことをしているのかというと、
それはきっと、太陽が黄色かったから、じゃなくて、太陽が乙女座を運行中だから。

(※図版割愛)

2018年8月26日 15:48

6、

(まだ続く)

ところでそのフラワーコミックス版の『ポーの一族』(全5巻)は、
実は私はついこの間まで4巻までしか持っていなかった。
それは、第5巻に収録している分は、全部掲載誌自体を持っているからだが、
(お小遣い少なかったんだから、そりゃその場合は倹約してコミックスのほうは買わないよ)、今は復刻版も出ていることだし、
掲載誌なんか、どの段ボール箱に入っているかわからないから、
このたび、第5巻を新刊で買い入れてみた(駅前の本屋に一冊残ってた。ラッキ!)

そうして久々に読んでみたところ、
第5巻に載っている話というのは、
どれもこれもきわめて70年代中期の少女まんがのセンスで描かれていて、
あの気取った口調や、花やリボンやフリルで象徴されるロマンチシズムや、メルヘンチックなモチーフは、
70年代に少女であったことがない人にほんとに浸れんのかってほどだった。

そして、ここでも新たに2か所、ネームの間違いに気がつく。
でも、どこかははっきり書かないほうがいのいかな。
写真は、そのうちのひとつ(『ピカデリー7時』)です。
ただ、ここまでの話を読んできていないと見つけられるはずがない。

(※図版割愛。これは、flowersプレミアムシリーズでもいまだに修正されていなかった)

2018年8月27日 19:21

7、

(続き)

で、『ポーの一族』は、第5巻は持っていなかったのに、第3巻だけは二冊持っていた。
それというのは、昔(中学生時代)、"メル"と呼ばれていた友だちがいて
(だから、やたらメルメルした時代だったから)、
メルに第3巻を貸したら、
読んでいる間に本が傷んでしまったからと言って(やっぱ、何度も読み返したわけ?)
返してもらいに行った時、代わりに新しく買った第3巻の新刊で返してこようとしたから。

断ったけど、受け取ってくれ、と言って聞かなかったので、
それじゃあ、と、私は二冊ともうちに持って帰ってきてしまったのだった。
だって、やっぱり自分の買った版のほうが愛着があったから~。

悪いことをした、新刊のほうはもらうのをきっぱり断って、一冊彼女のとこに残してきてやりゃよかった。

このメルは、その時どこか閉ざした表情で、
「これからは聖書の勉強をしたいから」
と言って私をとまどわせ、
それがエホヴァの証人に入信する者の口ぐせであることに、
それから8年も9年も経って、別の友だちがエホヴァに入信した時にやっと気がついた。

メルとはその後一度も会っていない。

2018年8月28日 18:16

vol.7元

8、

(まだ続いてた)

萩尾望都にからんだ話など延々しているうちに、
その間("かん"と読んでね)また何度か手にした『ポーの一族』の第1巻の背表紙(カバー)が、
ぺりぺりとはがれ落ちてしまった。
セロテープでつないでも、やがてはそのセロテープも糊が取れてはがれ落ちるだろうし、
いずれは、本棚に立てておいても、
クイを胸に打ち込まれたバンパネラのように、塵みたいに崩れ去ってしまうのだろうか。

『ポーの一族』のコミックスの末期としてはふさわしいかも、と思った。

(トップ画像参照)

2018年8月30日 22:31

9、

(なぜか、まだ続く)

しかし、年月を経て傷んでしまった『ポーの一族』は、
復刻版で全部買い直すよりも、
flowersプレミアムシリーズってので買い直すつもり。
来年(※注・2019年)の1月になったら、
萩尾望都の画業50周年記念ということで
(あれ? そう言えば今年<ジャンプ>も50周年ということでイヴェントしてたね。
 入れるチケット手にしても入らなかったけど→少年まんがには熱意が湧かないので)、
なんとB5版、すなわち掲載時の雑誌と同じ大きさで『ポーの一族』が上・下巻で発売されることになっているから。

これはもう、ぜーったい買う! 
そもそも、コミックスというのは縮小版で絵のディテールがつぶれてしまっているし、
さらに小さな文庫版で読むなんてことになったら、これはもう邪道に等しいんだから(それで読むのはやむを得ない時だけ)。

でも、その版型で上・下巻ってことは、
たぶん、第1巻の分だけってことだと思うんだが……。

あと、加筆修正がされるっていうのがちょっと気になる。
『聖ロザリンド』(わたなべまさこ)も45年ぶりの加筆分はタッチが違い過ぎてしっくり来なかったし、
そもそも話の内容からしてまったくそんな部分足す必要もなかった。

そんなことして付加価値つけなくても、
ここまでのところを見ると『ポーの一族』なら話題性で十分売れると思うから、
むやみにいじらないほうがいいと思うんだけど……。

(※注・ちゃーんと、70年代における最終話『エディス』まで収録されていた!)

2018年8月31日 22:13

vol.9 50周年

※図版写真はすべて筆者撮影。

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