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それも愛なのか-ー『青のパンドラ』第8回目の2

やっぱり前回は、話の途中でぶつ切れになっていたようだ。
今回は、あからさまに物語の通し番号がvol.8のⅡになっているし、なんと扉絵すらない(そんなのってアリ? 普通、体裁を整えるために、2回に分けたんならそのぐらい描き足さないか?)。
そして、vol.8のタイトルどおり、最後のページでようやく、フォンティーンがリュートをかき鳴らしながら歌った。
前回は、下絵までは描いたけれど、ペン入れが間に合わなかった、とでもいうことだったのだろうか。
どうしてどこにも、こういったことに対する断り書きがないのか。編集部は読者のことを考えていないのか。

絵としては、フォンティーンの髪にバラの根がからんだままなところがおもしろかった。
なんとなく、大島弓子の『草冠の姫』の、桐子のぼさぼさ頭を思い出してしまったけれど、
草冠の姫ならぬ、草冠の王ってとこだ。

さて、肝心の話としては、バンパネラに戻してくれ、とせがむアランに向かって、
エドガーが、こんな(人間に戻れる)2度とないチャンスを放り出す気か!?
とか、なんだか妙な顔つきで逆さまに聞き返していたけれど、
前々回は、そういうつもりで、「人間は"食料"だ "食料"と暮らすなんてありえない」と、アランに言っていたのだろうか
(あ、そう言えば、このせりふは、前半は突如饒舌になったオリオンのほうが言ったのかどうか、絵からはよくわからなかった)。

私にはとてもそうは見えなかったが……はっきり言って、ただ話をおもしろくするために(おもしろくもなんともなかったが)、わざと難題を持ち上げたような感じで、しかもそれが矛盾だらけに見えた。
だって、今回アランがハッキリ口にしたように、もし人間に戻ってしまったのなら、またエドガーが生気(エナジイ)を送り込んで、バンパネラにすればいいだけの話だったし。

でも、あの時、エドガーが言ったのは、
「きみが人間のままなら… …もう…僕らとは暮らせない」
という、冷徹な言葉。

もしアランのためを思ってそう言ったのなら、
その時、人間に戻ったほうがいいと思う理由を、アランにわかるように説明すればよかったのではないだろうか。
常に一方的なエドガー、でもこれはどう見ても、途中でシナリオが変わってしまったようにしか見えない。
そしてエドガーは、まるでそれを演じるのに苦労している役者のように見える。
あるいは、前々回は先のシナリオをまだ渡されていなかったので、
え、あれはこのシーンにつながるんだったのか? じゃあ、あの時は、もっとああいう表情をしておけばよかった、とか内心で焦っているかのようだ。
だから、こんな奇怪な顔つきをしているのだろうか(って、そんなことあるワケないが)。

いずれにしても、こんなことは、これまでメリーベルの身代わりとして、アランを片時も離したがらなかった男の言うことではないだろう。
そして、アランをよみがえらせることに執着して、黒焦げの物体然と化したアランを鞄に入れ、何十年も大事に持ち歩いていた男の言うことでもないだろう。

1959年春ーードイツ、ガブリエル・スイス・ギムナジウムの図書室で、
「ぼくが散ってしまってもきみは泣きもしないんだろ」とすねてみせたアラン(なぜなら、彼は自分がメリーベルの代わりでしかないことを知っていたから)
に、険しい顔つきでサディストのように往復ビンタを食らわし(さらに、1回多い)、
その後、アランの頬を両手で包み込みながら、
「ぼくのそばからはなれるな!」
と命令した(横暴だが、この関係ではこれは殺し文句になる)エドガーはどこに行ってしまったのだろうか。
(以上、ポーの一族『小鳥の巣』より)

あの時からまだ百年も経っていないというのに、
いや、今回アランがよみがえったことを気も狂わんばかりに喜んでいた日からたった1日しか経っていないというのに、
彼の愛の形はこんなにも変わってしまったのだろうか。
状況が変わったとかいうことは理由にならない--つまり、不自然過ぎると言いたい。エドガーの言動に一貫性がなさ過ぎる--。
「エドガーは冷たい!!」
と叫んで、アランが駆け出してゆくのも無理はないだろう。

そして、そういった話の筋とは別に、
今回、バリーとフォンティーンの育った町が、ザビー「ノ」とされていたことが、とても気になった。
最初のvol.1では、「サ」ビーナとバリーが言っていて、
次に出てきたvol.3では、「ザ」ビーナとベルナドットが言って、
これまでのところ、出てきた回数は「ザ」ビーナが一番優勢だが、今度はザビー「ノ」か。

前にも書いたけれど、こういうことは担当者さんがちゃんとチェックして、
作者にほんとうはどれにしたいのかを、きちんと聞かなければいけない。

『青のパンドラ』のvol.3で、ファルカのせりふに
「ずいぶ霧が出てるが」と、「ん」抜けになっていたところがあったのも、
コミックスにする時には直してあるだろうと思っていたのに、見てみたらコミックスになっても直っていなかったし。

昔はちゃんと直しましたよ!
これも前に書いたとおりだけれど、
『メリーベルと銀のばら』の初版のコミックスでは
「ペッペの”かあちゃん”」とすべきところを、たぶん作者がうっかりして「ペッペの”かみさん”」としてしまっていたけれど、
少なくとも私の知る限り、『ポーの一族』のプレミアム版では直してあった。たぶん、プレミアム版を出すよりもはるか前の、どこかの時点で気づいて直したんだろうとは思うけれど。

作者も、担当者さんも、ほんとうに『ポーの一族』という作品を愛しているのか、と問いたいぐらいだ。

さて、物語に話を戻すと、ポーの村はクロエが予言したとおり壊滅状態となり、
今回の話の最後で、フォンティーンが世界への復讐をほのめかしているが、
なんで、いきなり世界への復讐なんだろう。
復讐する相手は、大老(キング)ポーで十分なのではないか。
「世界」を相手にすると、いきおい単純な善悪の戦いになりがちなんで、おもしろくないんだが。

それよりなにより、強大な血の神の力を秘めているアランは、この後ほんとうにどうなるのか。

いや、私が気にしているのは物語がどう展開していくのかではなく、
この物語を、作者がうまく収めることができるのか、ということなんだが。

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