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『青のパンドラ』第6回目――取り乱す人々(人じゃないけど)――

さて、『青のパンドラ』が<flowers>の6月号で再開されたが、話がまったく進んだ気がしなかった。

1ページ目から不気味な笑いで、エドガーがアランを脅えさせていて、
愛するアランを脅えさせてどうするのかと思ったし(それが愛するあまりだとしても)、
その後の、彼がアランの腕を取ってくるくるふり回していたのも、いったいなんだったのかよくわからなかった。

よみがえった相手の肉体をつくづく確かめるためだったら、そうしながらも表情になにがしかの喜びがあるはずなんだが、
まったくの無表情で、言っていることもなんだかアランとかみ合っていなかったし。
その不自然な一連のコマの言い訳のように、
次のコマで、バンパネラ仲間のアーサーに、
「そうやって体を動かせば気分が変わるんじゃないか?」
と、二人に向かって言わせたのはあまりにも間が抜けていた。

そして次には、エドガーがアランの記憶をよみがえらせようといろいろ尋ねた結果、
アランが火事に遭った時のことを思い出し、
「熱い! 熱い!」と頭を抱えて泣き叫ぶし(なんせこの火事で黒焦げになって今まで死んでいたも同然だったので)、
その後、舞台が変わって、ファルカとブランカの住むパリの家のシーンになると、
今度はいきなり訪ねてきたバリーに、やはり過去のつらい記憶をまざまざと思い出させられたファルカが、
これまでにないほどの汚い言葉で食ってかかる。

「ぐだぐだぐだぐだ 何を今さら こんな話をしてるのかさっぱりわかんねえ!」

「わかんない」じゃないよ、「わかんねえ!」だよ。

まるで今回は、エドガー→アラン→ファルカ、と、錯乱三連発って感じだった。

そもそも以前からだが、再開『ポーの一族』には話やせりふに矛盾が多過ぎる。

「あんた なんで ここに来た! 失せろ! 悪魔!! さっさとてめえの王国に戻れ!」

と、取り乱したファルカがバリーに向かって泣きわめいていたけれど、
悪魔とは、人の精気を吸い取るバンパネラであるこの人たち自身のことだし。

『ユニコーン』の章でも、エドガーが、

「アランを取りもどせるなら ぼくは悪魔とだって契約する」

と1回目の最後のシーンで見得を切っていて、おかしなことを言うな、と思っていたんだけど。

だいいち、同じ回の出だしのほうでは、エドガーは、自分が分類され得るとしたら「悪魔」であることをきちんと認識していた。

「神の子を悪魔(注・ここではエドガー自身のこと)とごっちゃにするな ファルカ」

というせりふを青ざめながら吐くことによって。

業界用語で言うネームの吟味が足りないのだろうか。

それから、そのように人間を糧にしている一族でありながら、
「人の命をないがしろにしてるわ!」
とブランカが説教を始めたのには、まるっきり説得力がなかった。
自分たちの命をつなぐための行為だけは許されるとでも言うのだろうか。

とまあ、突っ込んでいたら毎度のごとくきりがないので今回はこのへんで。

人は年を取ると感情が抑制できなくなるという。
登場人物たちがやたら取り乱し、すぐに泣きわめくのは、単なる作者の年齢の作品への現われなのだろうか。
しかし今回はうち二つが、
つらい過去の記憶を呼び覚まされたあげくの錯乱であることが特徴的だった。
つらい記憶は「封印」して、二度と思い出さないようにする、というのが、作者がその告白本である『一度きりの大泉の話』の中で語っていることだ。
これは、そういった作者ならではの、感情の描き方なのだろうか。

やはり、いやな記憶はただ封印してしまえばいい、というわけにはいかないのでは。
封じ込めると、ちょっとつつかれただけでも反動で噴き出して、このように収集のつかないことになる。
たとえ少しずつでも、時間をかけてでも、距離を置いて眺められるようにしていったほうがいいのでは。

最後に、ラストの一コマについて。

エドガーがいきなり現れたオリオンに、これもまたいきなり剪定バサミらしきものを持ち出して切りかかり、
ザンッ(!) という描き文字とともに、誰が流血したのかもわからない最後の一コマ。
これは、すごく初歩的なテクニック、あるいはアクションまんがによる、次回への読者の引っ張り方だと思うんだが。
つまり、よく練ったらこんな描き方をするはずはない。

ぎすぎすした感情と、乱暴な言葉遣いと、矛盾に満ちた再開『ポーの一族』。
この作品のこのありようは、この先も、もう変わることはないのだろうか。

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