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『青のパンドラ』第9回目の1――神秘のかけらもなく

今回は、さらに掲載ページが減って10ページのみ……、
もはや、ペン入れが間に合わないとかいった状況以前のようだが、果たして大丈夫なのだろうか。

さて、今回は、見開きの黒マントの集団の扉絵を見た時から、
やっぱり、萩尾望都はこっちの方向に行きたいんだな、と思った。

こっちの方向とは、群集心理や非常時の集団パニックなど、より地上的で現実的な問題にスポットを当てること。
『AWAY』を読んだ時からそう思っていた。
あれは小松左京の短編の『お召し』という作品が原案ということで、
原作にどこまで沿ったものかは勉強不足で知らないが、
子供の住む世界と、大人の住む世界とに分断されてしまったSF的理由や、その謎が解き明かされていく過程よりも、
どちらかの世界に切り離されてしまった人々が起こす突飛な行動のほうがおもしろかった。
特に、元の世界に戻ってきた子供たちに詰め寄る大人たちのエゴや、集団ヒステリーや(それは、たった一人残された大人に迫る子供たちも同じだったが)。

でも、実際にそのように、にわかには受け入れがたいことが自分の身に起こったら、
たいていの人間はこんな反応をするんだろう、と思わせられるような内容だった。

それと同じく、再開『ポーの一族』では、
村を焼かれてしまったバンパネラたちが、次に取る行動からまず描く。
本来、この作品が元々の『ポーの一族』のようにファンタジーであれば、
どうやって村を出るかだの、今夜、どこに泊まるかだのといった現実的なことに頭を悩ますところを、こまごまと描く必要はないはずだ。
しかし、クロエの跡を継いで村を治めているシルバーが、
バスをチャーターして、時代遅れの仲間を街中の大きなホテルに引き連れていくところから今回は始まる。

しかもそれが、ほとんどギャグ同然。
どう見ても異様な風体のフードを目深にかぶった黒マントの一団は、
「バス」を「馬車」だと思い込み、
エレベーターのある方向を案内されてもエレベーターがわからず、
カードキーの使い方も当然知りようがなく、それぞれが自分の勝手をわめき散らして騒いでいる。
カマを握りしめたまま村を出てきてしまった仲間に対して、
誰かが「カマしまえよ」と言ったところで、
言われたほうはそのなにがおかしいのかわからず、「え?」と聞き返す始末。

バンパネラたちを時間に縛られない自由な存在として描くよりも、
むしろ時の流れに取り残されたまぬけな集団として描いていて、
もう出だしから、集団でコントをやっているとしか思えなかった。

だけどこうしてみると、
時代についていけているシルバーも(たまに、ファッションがずれているらしいが)、
きわめて品のないマリアもアイザックも、ポーの一族の中ではかなり優秀なほうなのだろう。

作者はもう、エドガーとアランを永遠の少年として描くどころか、
バンパネラ自体を、人間の目から見て忌まわしくも甘美な存在、といった神秘なものとして描くことができないのだ。
それはおそらく作者の興味が、夢物語よりも実人生のほうにとっくの昔に移ってしまっているからだろうが、
実に俗っぽい、人間的なドタバタ劇を、再開『ポーの一族』は毎回繰り広げている。

そして、ようやく戻ってきたエゴイストカップルのライナーとカミラ!
カミラはもはや完全にバンパネラにされてしまったように見えるが、
ライナーはそんなことは露ほども知らないだろうし、この後、この二人をどう動かすつもりなのだろうか。

とはいえ、またしても、ダフネーと呼ばれる新キャラを登場させるし、
その女性とアルゴスとはなんらかの因縁があるようす(だが、単なる他人の空似らしいが)。

あ、でもそのダフネーの娘である少女は「ワンダ」と呼ばれているから、
これがライナーの「お人形のようにかわいらしいひとり娘」であり、
そうすると、ダフネーはライナーの妻ということになるから、
もしアルゴスがダフネーを追い回すことになるのなら、彼とカミラとで、二人そろってライナー夫妻を引き裂く理由ができることになる。

続きが載るのは来年の「初夏」(だということで)。

できたら、こんなに話をややこしくしないでほしいんだが。
こんな連載ペースでは、いつこの物語がまとまる日が来るのかほんとにわからないのだから。


『AWAY』2013~2015年<flowers>掲載。
掲載年情報は、小学館フラワーズコミックス『Away』1、2巻による。

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