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荻窪随想録

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自分が生まれた土地にまつわること、そして昭和のこと、変わったこと、変わらないこと。とても個人的ではあるけれど、すべての杉並区loverへ。随時更新中。
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#杉並区

荻窪随想録25・荻窪団地の花たち

あれは、昭和50年代の半ば頃だったか。 まだ、今のところに居を構える前、子どもの時に住んで…

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荻窪随想録24・飯場の友だち

元は田んぼで、その後しばらくは空き地であったところには、 昭和3~40年代の高度経済成長期に…

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荻窪随想録23・どうぶつ公園(西田第二公園)

ところで、「西田たんぼ」のそばにあった、あの動物の置物があった公園はどうなったのだろう。…

Reiko.A/東 玲子
4週間前
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荻窪随想録22・西田たんぼ

昭和33年に荻窪団地ができた頃には、そのあたりには、もう田んぼはひとつも残っていなかったと…

Reiko.A/東 玲子
1か月前
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荻窪随想録19・丸山橋から美濃山橋まで――善福寺川を遡上・続き――

後日、中途挫折した丸山橋から、善福寺川の川べりの道を、改めて川上に向かってみた。 その丸…

Reiko.A/東 玲子
3か月前
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荻窪随想録18・善福寺川の源泉とされる小さな滝を訪ねて

下流のほうまで歩いていくことはできたけど、なんだか私はもう自分の足には自信を持てなくなっ…

Reiko.A/東 玲子
4か月前
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荻窪随想録17・西田端橋から大宮橋まで――善福寺川を下っていったら――

善福寺川の川べりの道を、水源まで遡ってみようという先日の試みは中途半端に終わってしまった。 でも、その続きをする前に、ちょっと久しぶりに、川沿いの道をたどる形で、川下のほうに行ってみたらどうだろうか、と思った。 川下なら西田端橋のすぐ次の神通橋から先が、延々と続く緑地になっているので、今でも桜の季節にはもっと下流のところから緑地に入って、桜並木を眺めながら散策することもある。それに、その緑地は、子どもの頃には日常的に遊びに行っていた場所だ。 とはいえ、その正面玄関のような神

荻窪随想録16・丸山橋まで――善福寺川を遡上――

善福寺川は、川べりにある道を、川上にも川下にもどこまでも歩いていける。 自分でそう書いて…

Reiko.A/東 玲子
4か月前
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荻窪随想録15・西田端橋の下で――昭和45年のある日のできごと――

西田端橋――にしたばたばし――という、うっかりすると舌をかみそうな名の、善福寺川にかかっ…

Reiko.A/東 玲子
4か月前
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荻窪随想録14・荻と数珠玉

元公団荻窪団地である、「シャレール荻窪」には、 大谷戸(おおやと)さくら緑地のほかに、や…

Reiko.A/東 玲子
5か月前
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荻窪随想録13・荻窪団地の集会所

荻窪の駅前からは、今も住宅地である「シャレール荻窪」へ行くバスが出ているけれど、 その前…

Reiko.A/東 玲子
5か月前
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荻窪随想録12・荻窪団地のクリスマスツリー

今はすっかり建て替えられ、 「シャレール荻窪」などという、しゃれたつもりなのだろう名前の…

Reiko.A/東 玲子
6か月前
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荻窪随想録番外――よるのどうてつがぎん

「西郊ロッヂング」の右から左に読む金文字で思い出したけれど、 小学校の、たぶん高学年の頃…

荻窪随想録8・大田黒公園とオナガ

いつの間にか、すっかりあじさいの美しい季節になった。 それどころかすでに真夏のような日が照りつける日もあり、咲きそろったあじさいが色褪せて見える時すらある。 さて、執行正俊バレエスクールに入る横道を越えて、さらに駅に向かって歩いていくと、 左手に、「旅館西郊」の古風なプラスチックの箱形看板が見えてくる。 その旅館といっしょになっている「西郊ロッヂング」と金文字の銘版が上部に取りつけられた――ちなみに、読みは右から左へ――二階建ての古めかしい建物を回り込み、しばらく道を下って