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愛護センターで不妊去勢手術の実施を!

日本各地の動物愛護センターは都道府県や市区町村などの地方自治体が運営しており、保健所も地方自治体と連携して問題に取り組んでいるが、場所によってセンターの存在意義・責任は大きくなっているようである。
動物行政の基幹場所として動物愛護センターをいちづけ明記している動物愛護管理推進計画を作った自治体もある。

センターの現場で働く職員と、役所内部の担当職員との間では問題解決に対する温度差があり、現場の声が政策に反映されないことが、センター業務がなかなか進まない理由ではないかと思う。

センターの機能を変更することについて、現場の職員に裁量はないであろうし、内部の機能を新しく変えることも容易ではないことは想像に難くない。目立たず、失敗をせず、組織の論理に身を任せる方が安全なことは多い。

特に、組織で定年まで働くのが一般的だとすると、時代の要請にあえて取り組むこともないし、政策に何ら反映されずに過去から抜け出せない理由となりうる。公務員の劣化と最近言われもするがそれは動物に関する政策に限らず、現場に行かない、現場を知らない立場にいる人からすると、下から上がってくる数字だけで施策を立てざるを得ない。現場との乖離がある。
彼ら公務員に考える機会を与える必要があるのではないか。そうすれば内部では何かが変わり、よい意味で政策にも反映されるはずである。
机上の公務員では政策も社会も変わるはずがない。

まずは月1,2回でも現場に行き見て正確に現況を把握してもらう。この現場主義がないと、どんな問題も現状の把握ができないので、末端では様々な問題が社会面で浮上し、それが解決されないまままた繰り返すのである。
現場の声を吸い上げ伝達するためにも、現場に足を運ぶことが生きた政策につながる。
現場の人の中には苦しんでいる人もいる一方、組織には限界がある。これは組織の問題である。未熟さを責めるのでなく、現場主義の体制を作る必要がある。
人間の福祉もしかり、動物の愛護センターもしかりで、殺す・処分のボタン、持ち込み対応、譲渡会、捕獲に立ち会う、何が問題で何が必要か身をもって知るためには、現場を知ることである。そこから改革は始まる。
結果主義に徹底するなら、現場も活性化し思考も自ずと活発になるだろうし、負のスパイラルから抜け出せるかもしれない。

愛護センターに明るい兆しは見えつつあるが、それでも数十年前、100年以上前と比べてどれほどの進歩があるか。野犬狩り・捕獲に血道をあげ条例によっては毒をまくなど根本は昔と変わっていない地域もある。
動物愛護法が十分機能してないし、動物の基本は繁殖するものという鉄則が忘れ去られ、命の尊厳、共生と各自治体は条例を作成するが具体的施策はまだ端緒についたばかりであるし道半ばの自治体も多い。
動物は繁殖するものだ、という事実を確認するべきである。

組織全体の意思が形になる、外部から変革を求めても気の遠くなるほどの時間がかかるので内部から変わって必要な施策、サービスを提供してほしい。

各県では立派な動物愛護管理推進計画を作成しているが、錦の御旗で終わり、動物愛護法の法意を十分理解しているとはいいがたいと感じることがある。検討委員会の名簿を見て気が付いたのは、学術経験者、関係団体、住民代表、行政機関など、検討委員会の構成員を見ると、十分練られた計画書かどうかは地元の構成員であるか、また東京の最先端の動物にかかわる学術経験者が入っているかで内容に雲泥の差が出ていると感じる。
地域により問題の理解度に違いがあり、理解がない人が検討をするのでは進歩がなく、人選・適材の構成員が加わらない限り絵にかいた餅で終始する。

50年以上前のこと、動物愛護協会には会報があり行政職員が海外の有名なシェルターを視察した記事が載っており、こうした記事を読んで感嘆したものだが、視察でさほど学ばなかったのか、または外圧・内圧なのか、改革もなく現状に至っている。法的部分も含めすべては変えられないが、例えばロサンゼルス市では犬猫、ウサギまで繁殖制限が厳しく、行政が細やかなサービスを提供している。
日本では飼い主のいる犬猫、飼い主のいない犬猫の不妊去勢手術がなぜ進まないか考えてほしい。行政主導には程遠いい現況と思う。
末端業務を減らすことになる野良ネコ等の不妊去勢手術が行き渡らないことで、その結果発生する苦情処理・多頭崩壊など、事後措置の解決のために終始するのではいつまでも人手不足・時間のロス・予算という理由から堂々巡りで解決の道は見えない。

ここにきて感じるのは、センターでの獣医療が必ずしも十分機能してないこと、その限界から職員獣医の離職が散見され、センター業務には限界を感じスペイクリニックなど野良猫不妊去勢手術にシフトする獣医を見るにつけ、センターはさらに獣医の離職は止められず形骸化することも予測できる。今のままでは自分たち・センターの職場は機能不全になるのではないか危惧している。
センターには毎年多数の子どもたちに啓蒙の場を提供したり、譲渡会を行ったりと、交流の場でもあるからこそ、社会のための生きた実例を示す義務があると思うが、その最たるものが無主の野良猫の不妊去勢手術ではないだろうか?単なる遠足ではなく社会活動の啓蒙ならセンターこそ最適・最善の見本を示せる場所といえるのではないか?

現場から提案があれば責任を取らせない風潮で、よい提案は考え 役所は現状・現場を見て、思考集団たれ、と切に願う。

現場以外の担当部署の職員も現場を見る、知る、判断する
思考する、政策に反映させる
出世は成果主義にしたらよいのではないか
そうでないと事なかれ主義が慢延するのみで、現状は何ら変わることもない。

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