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原田宗典と丸の内女史

昔、原田宗典の書き物をよく読んでいました。

彼の書く小説は、随所に茶目っ気があって、若い男性の持つエゴやピュアさが軽妙に表現されていて、しょっぱいものを食べたら口直しに甘いものを食べるみたいな感じで、純文学を読んで疲れると原田宗典を読む、そんな読書生活をしていました。
また、彼のエッセイも、小説と小説の合間のおやつ代わりに、手に取ることがよくありました。

コピーライターをしていただけあって、言葉選びに気が利いていて、くすっと笑わせてくれるセンスも私の好みに合っていた。

ですが、それ以上に彼のエッセイに惹きつけられたのは、彼の、温かくてシャイで、無鉄砲で臆病な人柄が、そこに垣間見えたから。
なおかつその人柄に好感を抱いたから。

随分前、気がついたらハマっていたブログがあります。
外資系企業に勤めるアラサー女性の婚活ブログみたいなものでした。

彼女の人となりが、文章の中にところどころ垣間見えて、最初は単なる興味本位で読んでいただけなのに、いつしか婚活に奮闘する彼女を応援している自分がそこにいました。

丸の内の外資系企業に勤めるエリート女史です。私生活も華やか。合コンをするにしても、相手はこれまたエリート金融マンとか官僚。
文章からも、インテリジェンスと、おっしゃれ〜なセンスが漂い、丸の内感満載。

ですが、婚活という壁の前で佇む「素の彼女」が垣間見える時、ぐっとくるんです。

文章の中でも、婚活がうまくいかない失望や悲しみを、ダイレクトに表現することはしません。そこが彼女の文才のなせる技と言えるのかもしれませんが、それよりは、彼女の中の「丸の内」が、彼女に「寂しい女」というイメージを与えることを拒んだのかもしれません。

とはいえ、どうやったって、文章からは「彼女」というものが伝わってきました。
純粋で、繊細で、優しい人柄。
夢見る少女のような一面と、現実的で成果主義的な一面が対立する不安定さ。
結婚への夢と希望を信じる、信じようとする健気さ。

そういった「彼女」が伝わって来た時、彼女のブログの更新を心待ちにしながら、そんな彼女を応援する私がいました。


原田宗典や丸の内女史のように、この文章を読んでくださっている方に「私」を感じてもらえたらいいなぁ。

そして、「なんか知らないけど、またこの人の文章読みたいな」と思ってもらえたら、それこそが、書いててよかったぁ!と小さくジャンプして、喜びを抱きしめる瞬間なのだろうと思います。


ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #9

他者のどんな部分に、その “人となり” を感じますか?

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