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〔雑記帳〕格好いい言葉

「好きなことわざ」に、老婆の日常茶飯事さまからいただいたコメントで、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」もお好きだとあった。私も好きです~と単純に返しながら、でも私は身を捨てずに往生際悪くしがみつくよなーとふと気付いた。じゃあ何で好きかというと、多分言葉の雰囲気や響きなのだろう。大人の潔さと悟りの格好良さ、かも知れない。自分には無理だけれど。

他にも意味なく好きな言葉があるが、大半は「響き」のような気がする。「カノッサの屈辱」というのをテレビで知って、「うわ、何か格好いい!」と思ってしまった。ウィキで調べると、歴史上のあまりよろしくない出来事と言えそうだが、響きは格好いい。「屈辱」だけではダメなのだ。「カノッサの」が入らないと。でも、クイズやテスト以外で使うことはないだろう。

思い返すと、小学校の頃に格好いいと思ったのが「ドッペルゲンガー」とか「ドップラー効果」だったような。中学生くらいになると、「ビードロ」「秋の日のヴィオロンのため息の…」「小泉八雲」など、節操なく「何か格好いい!」と思っていた。小泉八雲に至っては、ただの人名なのだが、自分の怪談好きも影響しているのかも知れない。

大抵の「何か格好いい」言葉は、簡単に調べて多少は理解してきた。が、調べても全然分からなかった言葉がある。それが「シュレディンガーの猫」。箱の中に猫がいて、それが生きている確率が50%…?死んでいるのを確認するまでは100%生きていて…?ワーカーラーナーイー!!こんなの絶対に使えない。けど、格好いい。仕方がないから、誰かが「それ、シュレディンガーの猫みたい」とか言ったら、「ああ、そうね」的な微笑みで「分かっています感」を出しておこう。欠片も分かっていなくても。

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