南日本新聞コラム南点第6回「都会へ旅立つ君へ」

 東京の高円寺という街で暮らすようになって9年が経とうとしている。引っ越した当初は友達や知り合いもなく寂しかった。ある日近所に個人経営らしき鹿児島料理の専門店を見つけた私は、郷愁に導かれるようにして、数日後、勇気を出してその店に入ってみた。

 前もってネットでその店のメニューを調べたところ、鰹の腹皮(はらがわ)があったので久しぶりに食べたいと思った。ところが店内のメニュー表にはどこにもそれが書かれていない。すると同年配くらいの店主が尋ねてきた。「何か気になるメニューとかありますか?」私は「ネットで腹皮の塩焼きがあるって見たんですけど」すると店主は「ああ、はらかわですよね?」と私の発音から濁点を抜いて言い直してきた。その時点で「おや?」と思った。「はらかわは、仕入れが難しくて、今やってないんですよ」と店主は言った。私はその発音に違和感を覚え「鹿児島出身なんですか?」と尋ねると「いや、生まれも育ちも高円寺です。オーナーは鹿児島ですけど」とどこか得意げに彼は言った。彼は鹿児島出身でもなければ店主でもなかった。「お客さんは?」と訊かれたので「鹿児島です」と答えると「おお!」と彼は感嘆の声を上げ「だったらこっちで一緒に飲みましょうよ!」と私を常連らしき客が固まっているカウンター席の中央へと誘ってきた。「そんな隅っこでカッコつけてないで」別にカッコつけてるわけではなかった。恥ずかしいからそうしていただけだったのに、彼にはどこか、人を不快にさせる妙な癖があった。

 常連客は4人いた。自己紹介がてらそれぞれ出身地を口にした。「東京です」「大阪です」「千葉です」「新潟です」ただの一人も鹿児島出身者はいなかった。

 出された料理も酒も鹿児島っぽくなかった。醤油も辛かった。それらを口にしながら、私は鹿児島出身でない人たちと東京の話をしていた。2時間も。

 都会には、そんな罠がひしめいています。

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