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マチネの終わりにを読めない。

マチネの終わりに
いつ刊行されたものかも知らないんだけれど、noteでそれについて書かれたものを読んで、胸が締め付けられるような、ていう表現の状態に陥った。

恋に落ちたふたりが離ればなれになってしまい、もう会えない状況。しかしお互いずっとどこかで気になっていて会いたいと思っている。その20年間。

というあらすじらしい。
らしいというのは、先の記事を読んだ時、
「あぁ、これは気になるけど読めないやつだな。」
と思ったので、ぐぐってあらすじを知ったから。

案の定、あらすじだけで途方もない離人感と寂しさに襲われて、何なら非常に不安定だった頃のわたしがフラッシュバックするぞ!くらいだった。

いい歳になれば、誰にだって心に住み着いた誰かがいるよね。
フクンにもいる。わたしに住んでる誰かをフクンは知っているのだろうか?

そんな事はともかくも、マチネの終わりにはその誰かを引っ張り出してくるには、あらすじだけでも充分だった。
これ読んだら多分、その誰かもしくは誰かに似た人に強烈に恋しちゃってただろうな。感覚を体験するだけなので、誰かが本人である必要すらないくらい恋焦がれる気持ちを、ふえるわかめちゃんを水に浸けた時みたいに瑞々しくたっぷり抱える事になってただろーな。

彼とわたしとは、自己愛と境界例の組合わせだったので、共依存に陥るのはびっくりするくらい当たり前で簡単な事だった。
それで、依存だからずっと心から離れない。
それは完璧な拒絶という形で振られてからフクンとお付き合いする直前までの数年間、その間にいた何人かの彼氏との関係に影響を及ぼしながらそこにあった。

依存て甘く蝕まれていくよね。そして抜き差しならなくなっている。
ニコチンもそうだけど、理性じゃもうどうしようもない所が持っていかれる訳だから、本当に厄介だったし今でもフッと「あの」感覚を思い起こす。
一瞬強烈に焦がれて、とてつもなく彼の今を知りたくなるんだけど、正直だからどうって訳でもなく、今はどこの誰が出てきてもフクン意外に向く筈がなく。っていうか、だから結婚したんだしできたんだし婚姻を継続してるんだし。

思い出すのは、彼に振られて数ヵ月した頃の夢。
心の何もかもを連れていかれて、みゆき嬢のひとり上手状態。どこにも拠り所がなくて毎日毎晩彼の面影を追って追いながら諦めようとあがいてた頃の夢。
満月の夜、246を何も持たずに裸足で歩いていく。多摩川にかかる橋を越えて、夜の2時なのに何故満月が目指す方向に見えているんだろう?なんて思う。街路灯の明かりもあるのに、満月は行く道を白く照らしている。わたし、どこに行くんだろう?彼の家。それは分かっているのに、道が全く分からない。無数に広がっていく道。霞みがかりながら照らす満月。わたしはどっちへ行けば彼の家に着けるんだろう?

きっと、こんな頃の気持ちをえぐられるように思い出す本なんだろうな。なんて思いながら、自作の香水の香りを感じた。
それは、10年以上も前に彼の為にウッディでオリエンタルな調香で手作りしたものだった。
今日、くだんのnoteを読むより前にたまたまドレッサーから出してきて何気なくまとった香り。最近自分比香水プチバブルで、いつもはこんな香水に見向きもしないのにね。自分で作っといて言うのも何だけど、落ち着くし心暖まるいい香りだよ。
自己愛でその他大勢の他人には興味のない彼には似合わない暖かい香りだよ。

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