43歳の夏休み
あの頃の夏休みはなぜあんなにワクワクしたのだろう?
子供のいない自営業の私にとって夏休みはとうの昔に去っていった概念。
夏に旅行したりはするが、それはただの休みであり夏休みではない。
幼い頃あんなにワクワクした夏休みの正体、
それはきっと限りない自由と背徳感が生み出す特別な時間。
もう一度、あの頃の夏休みを味わいたい。
そこで私は考えた。
明日はちょうど休みだ。
今夜から明日まで徹底的に夏休みをしてみよう、と。
43歳の私にとっての自由と背徳感をもたらすものは何か。
そう、それは暴飲暴食。
そして読んでなかった14年分のワンピースの一気読み。
かくして私の夏休みが訪れる。
まずは暴飲暴食の準備から。
仕事終わり、10年くらいご無沙汰していたミスタードーナツに立ち寄り、フレンチクルーラーとカスタードクリームを買う。
ポンデリングではなく小学生の頃に大好きだった2種類にしたのも夏休みを意識してだ。
そしてスーパーで大量のお酒とスナック菓子を購入。
酒は飲むんかい、と突っ込まれそうだが、酒は飲む。
制限など加えたら元も子もない。
夜食のためのカップラーメンとおにぎりも買う。
今日はもう料理なぞしないと心に決めている。
家につきパジャマに着替え、さあ、夏休みのはじまりだ。
ワンピースの内容ではっきりした記憶がないのは59巻くらいから。
覚えている物語のピークはアラバスタで止まっているため、なんならその前の話もあまり思い出せないが今回は59巻から読み始めることにした。
冒頭いきなりエースが亡くなってしまい怒涛の展開が訪れる。
久々に読むワンピースは文字数=情報量がものすごく多くて、慣れるまで少し時間がかかった。
ものすごい数のキャラクターが出てきたり、細かなエピソードがたくさんあるので、こりゃ単行本が出るたびに読んでいたのではよくわからなくなっていくのも無理はない。
だが今日の私は違う。なんせ一気に読めるのだ。
お腹がすいたらカップラーメンを食べ、ビールと酎ハイの缶がどんどん空いていく。途中で食べたドーナツは、ドーナツってこんなに美味しかったっけ、と思うくらい美味しく幸せを感じた。
ソファで読んだり、ベッドで読んだり、お酒の缶を片手にウロウロしながら、自由気ままに時を過ごす。
いつもだったら、食べ過ぎたかな、飲み過ぎたかな、と、ついつい自らを律してしまうような気持ちになるが、「今日は夏休みだからいいんだ」と思うだけで全てが許される気がするのが不思議だ。
調子も上がり、このまま朝まで読み進めてやるぞ、と意気込んではみたが甘かった。お酒を飲みながらのワンピースはとてもじゃないが内容がよくわからなくなってくる。
なんなら徹夜か、とドキドキしていたにも関わらず、酔っ払って22時に就寝という、小学生にも及ばない腑抜けっぷりを発揮し夏休み1日目が終了した。
いよいよ夏休み本番。
昨日早く寝たせいで朝6時には気分よく起床。
起きるなり枕元に置いていたワンピース60巻を読み始める。
そう、お気づきだろうか。
あんなに張り切っていたにも関わらず、1日目に読めたのは2巻にも及ばなかったのだ。恐るべし、ワンピースの情報量。
これではとてもじゃないが100巻まで辿り着けない。
気合をいれて読み進めると、62巻がないことに気づく。
よくよく見てみると全部で5巻ほどが抜けている。
とばして読むか悩んだ末、朝ごはんを買いに行くがてら古本屋に行くことにした。
と、その前にラジオ体操をすることに。
思い返してみれば、小学生の時ラジオ体操なんてめんどくさくてほとんど行ったことがなかった。めんどくくさの原因はコミュニティにあった気がする。
我が家は団地でも住宅街でもない少し外れたところにあったので、近くにラジオ体操をする公園もなく、遠征して行ってもただ居心地が悪いだけだった。
ラジオ体操なんて自分のためにただすればいいものなのに、そこにもコミュニティを意識してしまっていたなんて、あの頃の自分は世間というものをとても意識していたのだなと思う。
久々にするラジオ体操は思ったより長くて、けっこうきつくて、体にはすこぶる良さそうだ。今ならきっとどこに行っても何も思わず、ただ体操をして帰ってくることができるんだろう。
9時50分、古本屋の前で男の子2人が開くのを待っている。
そこに加わる43歳の私。
どこかでセミが鳴いている。
運良く抜けていた全ての巻を手に入れ、朝ご飯にカレーうどんを買い、家に戻る。
ここからはラストスパートとばかりひたすら読み続けた。
せっかくの夏休み、昼からビールでもと思ったが、それでは昨日の二の舞だ。
お腹がすいてはカップラーメンを食べ、ずっと同じ体勢だと腰が痛くなるので、昨日と同じように座ったり、寝転んだりしながら、ひたすら読み進める。
ここでお伝えしたいのが、皆さんわかりきっていると思うが、ワンピースはものすごく面白いということ。
こんなにずっと漫画を読んでいても全く飽きず、早く次の巻を読みたいとずっと同じテンションで思うことができる。
普通ならどこかで一瞬つまらなくなったりしそうなものなのにずっと面白い。
やっぱり化け物なのだ、この漫画。
こうしていると小学生の夏休みひたすらドラクエをやったことを思い出す。
思えば小さい頃から男の子が好きなものが好きだった。
女子がドラクエをするのは変だ。
女子がミニ四駆をするのは変だ。
女子が少年漫画を読むのは変だ。
これは自分の声だったのか周りの声だったのかはわからない。
けれどあの頃私は1人でドラクエをしていた。
1人で和室にサーキット場を作りミニ四駆を走らせていた。
単に一緒にやってくれる女子を見つけることができなかったからかもしれないが、
たぶんそこには表立ってそれらを好きと言えない何かの不安があったのだ。
多様性が叫ばれている現代。
今私が子供だとして、堂々と自分の好きなことを好きと言えるんだろうか?
読み疲れて見上げた窓の外にはポッカリ雲が浮かんでいる。
ぼんやりまどろんだ脳の背景にはうっすらルフィの冒険が現れる。
いつもならここには仕事のこととか、やらなきゃいけないこととかが出てくるんだろう。
いい休日だ。
じんわりと夏休みの喜びが体全体に広がってくる感じがした。
日も暮れてきたので最後の暴飲暴食を楽しもうとまたお酒を飲み始める。
手にしているのはワンピース79巻。
もはや最後まで辿り着けないのは目に見えている。
24時間テレビで言えばあと1時間しかないのにまだ50km残っているようなものだ。
でもそもそも別に読み終わることが目的ではなかったことにも気づく。
ちょうどドレスローザ編が終わったところで私の夏休みも終わりを迎えた。
おつかれ、ルフィ。
私もあなたのようにまっすぐひたすら前に進むよ。
最後は花火でもやろうかと目論んでいたが、そんな気力は残っておらず諦めた。
やったところで、きっと1人でする花火はそんなに楽しいものではない。
これはみんなでキャッキャやるから楽しいのだ。
なんならそこに大好きな誰かがいたから楽しかったのだ。
でもそれは嘆くことでもなんでもなく、今現在の自分にとって何が楽しくて何がすでにつまらないものなのか、理解し受け入れることは人生において大事なことだ。
次の日に残ったのは重たくだるい体と、ワンピースから得たやる気。
そして気づいたあの頃と変わったこと、変わらないこと。
とにかく純粋にいろんなものを楽しんで怖がっていたこどもの自分も、世の中を俯瞰してみることができとても気楽になった今の自分も、両方悪くない。
たまには心の中にいつもとは違うものをうんと詰め込んで、いつもの自分からひと休みするのもいいかもしれない。
そんな風に感じたたった1日半のいつもと違う夏休み。
その次の週の休みもほぼ同じことをし、今出ている巻まではすべて読み切ったことをお伝えしておきます。
14年分を一気に駆け抜ける体験はとてつもなく贅沢で、「鬼滅」も「呪術廻戦」も読んだことない自分にはまだこの贅沢が残されていると思うと次回冬休みが楽しみだ。
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