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書評:嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか(鈴木 忠平)

まず最初に断っておきたいが、本書は野球好きのための本ではない。むしろビジネス書として取り扱うべきだ。筆者は不世出の天才打者にして名監督である落合博満という一人の男の生き様を通じ、「プロフェッショナルとはなにか」という問いを投げかけてくる。勝負の世界に生きる落合の妥協を嫌う姿勢は、現状維持に安住する人々の弱い部分を責めたてる。

落合が監督を務めた8年間のドラゴンズについて、数々の「事件」を切り口に振り返る体裁だが、野球というのはあくまで舞台装置でしかない。故障でほとんど投げていない川崎の開幕投手への抜擢、生え抜きの大スターである立浪からのスタメン剥奪、国民的イベントとなったWBCへのドラゴンズの選手の出場拒否、日本シリーズでの山井の完全試合間際での投手交代、黄金期を作りながらの監督解任…いずれも球界を揺るがすニュースとして大きく議論を呼んだものだが、スポーツのノンフィクションにありがちな、野球のプレーを伝える内容は最低限に留まっている。筆者が伝えたいのは、勝敗を超えた所にあるものだ。

筆者の鈴木忠平氏は日刊スポーツの記者として落合と落合の率いる中日ドラゴンズを追い続けた。自らの意思を持たない、伝書鳩のような存在ーー。鈴木氏は取材を始めたばかりの自分を卑下してこう描写する。年次が絶対の世界で、社内の先輩の話に相槌を打ち、先輩の命令を忠実にこなすだけのサラリーマン。日本企業で働く身からすると、自分のことのように感じる人間は多いのではないだろうか。

日本のスポーツ界における、記者と取材対象者の関係は複雑だ。スポーツ紙、テレビ局、一般紙、フリー。それぞれ縄張り争いをしながら、記者は選手たちに寄り添い、そして時に同化していく。

求められるのは深い知識や洞察力に基づく分析やプレーを鮮やかに伝える筆力ではなく、他社よりも一分一秒でも早く情報を抜き、それを書くことだ。そうした情報は「スクープ」とされ、社内で高く評価される。時には取材対象者と食事を一緒にとり、相談相手となり、肉薄して情報のおこぼれにあずかる。選手の新たな背番号を自分が監督に提案して決めたと豪語するような記者すらいるくらいだ。賛否両論はあろうが、今もなお、昭和の古き良き時代の名残を残している世界だといえよう。

落合はこうした馴れ合いとも言える関係を嫌った。本書で描かれる落合と筆者の関係も、ウエットな描写はほとんどない。落合は記者に情報をリークするコーチを容赦なく粛清し、試合が終わる前に話を聞いて書き上げる予定調和の手記は拒否した。

プロ野球がメディアと二人三脚で成長していった興行であり、ドラゴンズが親会社である中日新聞社の広告宣伝のための存在であることを考えると落合の行為は反逆とすら言える。契約書に盾に、勝つことが監督して自らに課せられた使命だとして親会社の圧力も球界の慣例もファンの描くプロ野球像も無視し、すべての批判を一身に受け止めて貪欲に勝利を追い求める。その姿は華やかな興行の世界では異質なもので、孤立し、憔悴しながらも歩みを止めない落合の姿勢は読者を揺さぶる。

10年後を見据えたチーム作りを主張するスカウトの意見を無視して目の前の勝利にこだわる一方、人情に頼った浪花節を否定し主力のメジャーへの流出を容認するのもすべて落合のプロフェッショナリズムに則ったものだが、これが万人に理解されたとは言い難い。事実、Aクラス常連になったにも関わらず、ドラゴンズの観客動員数は伸び悩む。一方で、落合の指揮により、ドラゴンズが常勝チームに生まれ変わったこともまた事実だ。

仕事とは何か、組織とは何か。成功とは何か。プロ野球という華やかな興行の世界の流儀に染まらず異物でありつづけながら、常にスポットライトの中心にいた異形のヒーロー、落合博満から学ぶことは多い。

本書を通じて、落合と対象的なものとして描かれる存在が2つある。一つ目はかつて落合と師弟関係にあった星野仙一だ。自らタニマチと呼ばれる有力企業の後援者を周り、選手獲得資金の調達まで関わる星野は、プロ野球が興行であることを誰よりも知り尽くしていた。

激情家で、馴染みの番記者をはべらせ、メディアを通じたファンサービスを欠かさない星野と、常に冷静で、勝つことが最大のファンサービスだとして球界の慣習を拒否する落合。どちらも己が信じるプロフェッショナルを突き詰めた人間であり、筆者も優劣をつけようとはしていないように読める。

一方、もう一つの対立軸である「会社員」は徹底的に醜悪に描かれる。勝ち続けたことで赤字が増えたと落合を毛嫌いする中日新聞社の幹部や、その尖兵となって社内の権力争いに加担する同社の記者。スポーツジャーナリストとしての矜持を忘れ、徒党を組んで居酒屋でクダをまく自社の先輩たち。そして能動的に動くことなく、年次が上の先輩の言うことにただ相槌を打つだけの筆者自身も例外ではない。

華やかな世界の住人でありながら、結果が悪ければすぐにクビとなるプロと、地味だが終身雇用が保証され年功序列のサラリーマンとして安穏と生きる人々。決して交わることのないその断絶を、落合を軸に、筆者は自らをも俎上にあげることすら厭わず描く。

筆者が「伝書鳩」としての役目に留まることを良しとせずに記者として成長していく姿も、本書の見所の一つである。綿密な取材に基づく選手視点での回顧や無駄を削ぎ落とした文章からも、鈴木氏が記者として非凡な存在であることは窺い知れる。しかし、それを鼻にかけた様子が一切感じられない。それが、落合を間近で見続けた筆者なりのプロフェッショナリズムなんだろう。

本書では省略されているが、鈴木氏は安定した会社員としての立場を捨て、物書きとして出版不況の中でベストセラーを連発している。自分の頭で考えて動いてるのかーー。落合の発する問いに対する一つの答えなのかもしれない。

さて、読み手である我々はどうだろうか。本書を読み終わり、保身に走る中日新聞幹部に憤りを感じながら落合の姿に喝采を送りたくなる一方で、自分はプロフェッショナルとして行動していると胸を張れるだろうか。日々の営みの中、会社や社会の不条理を受け入れずに戦っていると言えるだろうか。

妥協を許さない落合の姿は、漫然と生きている我々をも揺さぶる。少し苦みの残る読後感こそ、落合を側で見てきた筆者が本書に込めたメッセージなのでは。そんな風に穿った見方をするのも、この文章を書く自分がプロとして日々の仕事に取り組めていないという負い目があるからだろうか。繰り返しになるが、本書は野球に興味がない人にこそ是非手に取ってほしい。決して損はさせないと自信を持ってお薦めできる。


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