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労働讃歌〜レモンサワーとゆうちょの通帳と共に〜

「うるさい、誰のおかげで飯が食えてると思うんだ!」

壁にぶつかったグラスが割れる音、母の頬が叩かれる音。暴力的な音の洪水。目を瞑って耳を塞ぐが、父の怒声は小学3年生の人差し指など存在しないかのように私の鼓膜を震わせる。酔った父を止められる人間など、この家には誰もいなかった。「俺の稼ぎで養って貰ってるくせによ!」顔を真っ赤にして吐き捨てる父、うつむいて床に散らばったガラスの破片を片付ける母。小さな弟を抱き抱え、リビングの隅でうずくまる私。テレビから流れる巨人戦。神様、私をこの場所からどこかへ連れてってーー。

幹線道路沿いに回転寿司や焼肉屋が並ぶ、地方の工業都市で生まれ育った。工業高校を出て化学プラントで働く父と、専業主婦の母。3歳年下の弟。申し訳程度の小さな庭付きの戸建て、駐車場にはフィットとワゴンR。特に貧しくも豊かでもない、どこにでもありふれた家庭だった。父が酒を飲んで暴れることを除けば。

「パパは私たちのために働いてるからね」母はどんな酷い扱いを受けようとも、決して父の悪口を言わなかった。男尊女卑の風習が残る地域の文化のせいなのか、それとも本当にそう思っていたのか。母の笑った顔を私は思い出せない。

中学1年生の頃、父の働いているプラントの閉鎖が決まった。リーマン・ショック、円高、民主党政権。地元紙の一面に載ってる記事に並ぶ単語は難しくてよく分からなかったけれど、父が拠り所としていた仕事がなくなることだけは理解できた。2年後、学校の教室の窓から見えるプラントの煙突から煙が出なくなって、父は高校の同級生が経営している運送会社で働き始めた。「仕事があるだけ良かった」と母は話していたが、父の酒の量は増え、そのたびに暴れた。弟は家に寄り付かなくなり、夜な夜なコンビニの前で野球部の先輩達とたむろうようになっていた。

早くこの街を出なければ。高校に入ると同時にファミレスでバイトを始めた。時給680円。最低賃金すれすれだけど、ゆうちょ銀行の通帳の数字が増えるたびに、目標に近づいている気がした。高校3年間、友達が放課後に部活で汗を流したりラウンドワンで遊んだり恋愛したりしている間、ひたすらバイトしていた。父は腰を痛めて仕事を辞め、昼から4リットルボトルの焼酎を飲んでいた。母がスーパーでパートとして働いて家計を支えるようになり、母に手を上げることはなくなったが、それでもテレビで巨人戦を観ながら悪口を喚いていた。弟は先輩の命令で工事現場から銅線を盗んで捕まり、少年院に入った。

蟻地獄の中でもがきながら、爪に火をともすようにして貯めた142万円。高校卒業式の翌日、新幹線の中でボロボロになった通帳を見つめながら涙が止まらなかった。神様はいない。労働と、その対価である収入だけが私を救い出してくれた。

はじめて住んだ東京。見るもの全てがキラキラ輝いて見えた。何も分からず下北沢の不動産屋に行ったら鼻で笑われて紹介された、向ヶ丘遊園駅徒歩8分の築古木造アパート。3点ユニットバスだし壁は薄くて隣人の生活音が丸聞こえだったけど、酒を飲んで暴れる父がいないというだけで天国のようだった。バイトは新宿の居酒屋。交通費も出たし、深夜の時間帯の時給は地元の2倍くらい高かった。経堂の実家から明治大学に通う同僚と付き合い、半同棲みたいなこともした。産まれて初めて、心の底から笑えた気がする。

それでも、東京に来て4年も経つ頃には焦燥感の方が大きくなっていた。特別だった東京という街も、慣れれば嫌な部分ばかりが見えてくる。明治の元カレはみずほ銀行に就職して地方転勤で自然消滅したし、いくら働いてもフリーターだと稼ぎはしれてる。東京で楽しみながら生きていこうとしたら、いくらお金があっても足りない。100万円前後で増えたり減ったりしている通帳を眺めながら、焦りばかりが募っていた。

そんな中、転機が訪れた。「ギャラ飲みとか興味ない?」バイト先の同僚の大妻女子の子に誘われた2時間後には、六本木のマンションの間接照明がぼうっと光る一室でワイングラスを傾けていた。テラテラしたワイシャツを第2ボタンまで開けた茶髪のおじさん、アルマーニのTシャツを来た小太りの中年。彼らの言うIPOやストックオプションといった単語の意味は分からなかったけれど、ニコニコ相槌を打っているだけで2万円とタクシー代をもらえた。「金を持て余してるけど使い道が分からない人間って意外と多いんだよ」。会の幹事のようなことをやっていた、やけに日焼けした元リクルートの男が帰り際に笑いながら教えてくれた。

今年で26歳になります。新宿の居酒屋でレモンサワーの入ったジョッキを運びながら、LINEで元リクの男から連絡をもらってたまにギャラ飲みに顔を出してお金を稼いでいます。そろそろ22歳という設定が厳しくなってきたのか、誘いが減ってきました。元リクからは「大人のお付き合い」への業態転換を提案されていますが、まだ踏み切れていません。

矯正教育を経て地元で働いている弟からの電話で知りましたが、父は肝硬変にかかり、昨年あっけなく死んだそうです。通夜も葬式にも顔を出さないまま、母とも随分連絡をとっていません。あの街のシンボルだった煙突は、煙を出さなくなった今もまだあるんでしょうか。

最近、父の口癖だった、「誰のおかげで飯が食えてると思うんだ」という言葉をよく思い出します。働いていれば、偉いんでしょうか。居酒屋の店員に横柄な態度を取るスーツ姿の人たちは何の権利があって偉そうにしているんでしょうか。長距離トラックのタイヤのように感情と肉体をすり減らして得る1万円と、自分がイケてると勘違しているオジサンに促されるがままにテキーラを飲んで貰える1万円に何の違いがあるんでしょうか。労働ってなんでしょうか。お金ってなんでしょうか。私はうまく笑えているんでしょうか。

#はたらいて笑顔になれた瞬間

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