理由をわかっても、許しても、忘れない

じゃー、誰も僕は誰かとわからないので、考えを書きに続く。

最近、友達と話していたところに、言いすぎた。なんか、ゆっくり飲みながらお金・経済・戦争・教育・政治のことを話しているところで、何年間以上に誰にも言わなかったことを友達に言った。で、彼が泣いているようになちゃった。最初な質問が「そんなにお金がなしときもこんなことをやった?!」だった。やったよ。やった。

で、なんか彼が「しかちゃんがいいひとのが皆が知っているけど、こんなことをやっているのを思わなかった」と言われた。あとは「ごめん。秘密ね、誰か知らなくて欲しい」と言った

やっているのは「貧乏な子供たちの教育のためにと貧乏の大人のために毎月NGOにお金を払うこと」。ここまで言ったけど、友達がすごく感情的になちゃってしまったので、話題を変化しました。

よくわからないのが、貧乏なひとに手伝ってくれるひとがいいひとだていう考えです。私にとって、貧乏に手伝っているので私はいいひとになれない。いいひとと言うのが、本当に悪さもある時にいいひととして続けるひとじゃないの。でもね、人が悪いことをやってもらったのを忘れないときもある。私にめっちゃ悪さをやった人たちにも手伝うが必要なら絶対に手を貸すが、「この人たちが私の心を傷つけていた」としてよく覚えるから、私はいいひとじゃないと思います。いい人は経験した悪さを忘れられる人だと思いますが、私はもうそんなタイプじゃなさそう。悪さがもらったときも、悪さを返せないけど、忘れない。悪さの理由をわかっても、許しうても、忘れない。

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