自己犠牲をやめよう。
他人の顔色を伺う。
他人の機嫌をとってしまう。
他人に文句を言われるのが怖い(めんどくさい、争いたくない)からしてしまう。
他人から注意されると自分がぜんぶ否定された気がしてしまう。
私です。
自己犠牲はどうなっちゃうのか。
自己犠牲=他人の欲しいものを満たすために自分は望まないことをする。
したくないけどする。
いや自分の中で勝手に、
したくはないけど、やってあげている。やってやってる。
それが否定されるとイライラする。
なぜならしたくないのにその人のためにしてやってるのに文句を言うなんて!となる。
例えば
仕事を休みたい。
でもお客さんが待ってるから働く。
やりたくないのに商品を作る。
売れない。
↓
なんだよ!こんなに頑張って作ったのに!と言う気持ちになる。
↓
好きなこともイヤになる。
例えば
働きたくない。
でも親ががっかりしたり心配するから自分のできることでどうにか仕事らしいことをしている。
↓
その仕事以外の仕事を勧められる。
もっと稼がないとダメだと言われる。
↓
仕事ということを否定される。
自分の努力も否定される。
↓
なんだよ!みんなのために働いているのに!
↓
イヤになる。
誰かのためにしていると最後には自分が削り取られてしまって好きなことも、好きな相手も嫌いになってイヤになって無気力になる。
根源を探る。
ここには常に承認欲求がある。
=自分の評価を他人にまかせている。
=他人のために自分を犠牲にしている。
=自分のしたいことよりまわりの〜すべきに従っている。
=人の欲しがるものを埋めることが自分の役割だと思っている。
↓
それは人のためにならない。
その人にとって役に立つ、融通が効く、迷惑にならないだけの人間であって
そう思う人ほど自分に都合が悪くなると
相手が自分の思い通りになるようにコントロールするようなことを言う。
↓
そんな人ほど役立たずになるとポイっといなくなる。
↑
そんな人間関係を維持するために誰にも気付かれない努力をするの?
一方で本当に応援してくれる人もいる。
その人たちは、
私が私らしくあることを大切にしてくれるはず。
その人自身の都合や、仕事の目標や世間体よりも
私の健康を気遣ってくれるはず(仕事しすぎて倒れないでね、、)
そういう人は、無理なお願いはしないだろうし
私が私を大切にした選択(休んだり、辞めたり、その他の迷惑をかけてしまうこと)も尊重してくれるはずだ。
そんな簡単に裏切ったり、見捨てたり、嫌いになったりしないだろう。
どっち?
その人たちは
・あなたを一番大切に物を言っているのか?
⇅
・一般論やあるべき姿に対して物を言っているのか?
そういう人を嫌いになれというわけではない。
でもこういう意見から自己犠牲が始まるのかもしれない。
「白鳥によい声で鳴くことを期待するのは、期待するほうが間違っている」
アメリカの心理学者、シーベリー
それは求める方はこちらの事情や性格は無視で期待している。そういう意見は無視してもいいのではなだろうか。
決断
・自己犠牲しないで
自分のしたくないこと、望まぬこと⇄でも人は欲しいか欲しそうにしていること。
人の欲しい物を埋めてあげること。
・どんな人間関係よりも自分の心を最優先にすること
・自分の心がしたいことをする。心が望むことを出来るだけしてあげる。
それが他人にとって迷惑や嫌がったり文句を言うことでも。
・お客さん、同僚、親の言うことより心が必要としたらそちらに耳を傾けてあげる。
誰がなんと言おうと心が休みたい時はちゃんと休む。
↑
人の欲しい物。
人の理想に付き合わなくても良い。
人は文句を言っても変わってはくれない。
人は外の私は見えても心は見えていない。
人は私自身を全て理解しているわけではない。
=人に文句を言われる筋合いはないよ!!
ちょっとずつ出来るようになろう。たぶんイヤなことが少し好きになるかもしれない。
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