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【SMAP解散の真実】SMAPは復活するのか

ある小説が話題になっている。


それはSMAPの「あの日」の出来事を当事者の視点から描いた作品だ。
「あの日」とは、SMAPの解散報道がでた直後の2016年1月18日、SMAP✖️SMAPの生放送があった日だ。
番組の瞬間最高視聴率は37.2%
SMAPは解散するのかしないのか。
生放送で五人が何を言うのか。
この国民的アイドルグループが解散するかいなかを全国民が固唾を飲んで見守っていた。
そして、その日ほとんど放送事故としかいいようのない出来事がおこったのだ。
SMAPのいちばん長い日。
その日を題材にした小説「20180118」を書いたのは放送作家の鈴木おさむ。
SMAPの代表作「SMAP✖️SMAP」を初回から最終回まで担当してきたまさにSMAPのブレーンともいうべき作家だ。
誰もが、衝撃を受けたSMAP生放送の裏で何が起こったのか。
なぜ彼らは解散しなければならなかったのか。
そして、ふたたび、SMAPは復活するのか。
SMAP解散の理由、SMAPの今後について気になる方はぜひ最後までご視聴ください。

1 SMAPはなぜブレイクしたのか
誰もが知る日本のスターSMAPは、はじめから成功を約束されていたグループではなかった。
SMAPがCDデビューしたのはアイドル冬の時代といわれる1991年。
80年代に始まったアイドルブームは終わり、アイドルは馬鹿にされる対象になっていた。
そんな時期にデビューしたSMAPのファーストシングルは今では考えられないほど全く売れず、オリコンチャート1位にもならなかった。
その後も泣かず飛ばずのSMAPはジャニーズの落ちこぼれ扱いだった。
しかし、そんな時に「私にSMAPのマネージャーをやらせてください」と手を挙げた女性がいた。
それが飯島三智だ。
彼女は従来のアイドルの売り出し方と全く違う戦略でSMAPを売り出した。
それは、バラエティでも芸人と遜色ないレベルで活躍するアイドルである。
アイドルといえばカッコよく踊れればいい時代にこれは革新的だった。
特にリーダーの中居正広はバラエティの司会進行の能力に目覚める。
中居はその人気と実力が認められ25歳の時には紅白の最年少司会もつとめることになる。
また、飯島がSMAPに求めたのはバラエティの能力だけではない。
料理、アート、演技、ファッション。
それぞれのメンバーが様々な分野で活躍するマルチな才能を開花させる。
これが従来のアイドル像になかった新しいアイドルの形を生み出した。
このSMAPの成功があったからこそ、後のV6、TOKIO、嵐が同様の戦略で売り出されるようになる。
まさに、SMAP育ての親といえるのが、この飯島なのだ。

2  カリスマ
鈴木おさむの小説には、飯島のカリスマぶりが幾度も描かれている。
例えば、木村拓哉の結婚記者会見。
これは、本来予定されていた日にちがあったのだが、その前にスポーツ週刊誌にすっぱぬかれてしまう。
その日はライブ当日。
早朝、ホテルの一室に緊急招集される木村と鈴木おさむ。
飯島は「今日、ライブが終わったあと、会見するから」と言う。
しかし、本来の記者会見は来週の予定だ。
何の準備もなくいきなり記者会見をするなんて、あまりにも無茶だ。
木村も「来週、ドーム終わりで会見するんでしょ?」と言う。
飯島は一喝する。
「男らしくない!」
この一言で木村は黙り、飯島に従うことになる。
報道後すぐにおこなった記者会見が功をそうしたのか、前代未聞の人気絶頂のアイドルの結婚記者会見は好意的に世間に受け入れられた。
また、本人役で登場して殺人犯として逮捕されるドラマ古畑任三郎VSSMAP、東日本大震災直後の生放送、宮城、福島でのボランティア活動。
SMAPが決定的に他のアイドルとは違うとみなされようになった数多の活動の数々。
その最終判断をくだしてきたのが飯島なのだ。

3 飯島の失墜
SMAPの成功により飯島はテレビ局で誰も逆らえないほどの巨大な存在になっていく。
もちろん、ジャニーズでも飯島の存在感は増していった。
その当時、ジャニーズは二分されていた。
それは、飯島が担当するSMAPを頂点としたキスマイなどのアイドルたち。
そして、もう一つは創業者ジャニー喜多川の姉であり副社長のメリー喜多川の娘、藤島ジュリー景子の担当する嵐、TOKIO、関ジャニ♾️である。
SMAPとジュリーの担当するアイドルたちはほとんど共演しなかった。
それは、同じ事務所内にあって、「飯島派」「ジュリー派」という、ほとんど派閥といっていいような状況だった。
そして、ジャニー喜多川が高齢になり、次期社長を誰にするのかという話になる。
本来であればジャニーの血縁であるジュリーが社長になるのが本道だ。
しかし、社内でもテレビ局でも世間からも「飯島さんの方が実力もあるしカリスマ性も……」という意見がでるのは当然だった。
なにせ、SMAPを日本一のアイドルグループにしたのは飯島である。
SMAPがいなければ、ジャニーズ事務所がここまで大きくなることがなかったことは、誰の目にも明らかだ。
しかし、そこに激怒したのが副社長メリーである。
メリーは文春の取材に応じて記者に言う。
「うちの娘が飯島と派閥争いするんだったら、私は飯島に「でていけ」と言うしか仕方ないでしょう」
取材中に無理矢理呼び出された飯島はメリーに叱責される。そして、我が子のように大切にしてきたSMAPを「SMAPは踊れないじゃない」とまで言われるのだ。
この時に飯島が「もう辞めよう」と決意したのは無理もない。
こうして、飯島はジャニーズを離れることになる。
しかし、そこで問題が生まれる。
SMAPはどうするのか、ということだ。

4 SMAP分裂
「飯島さんについていこう」
これがSMAP全員の最初の結論だと言われている。
事務所も見限った落ちこぼれグループSMAPを国民的スターにさせたのは、間違いなく飯島の力だった。
それは、メンバー自身が最も理解していた。
飯島と衝突の多かった中居も「オレにも義理はある」と飯島についていこうとしていた。
そして、ある事務所がSMAPを受け入れようとしていた。
飯島とSMAP全員がジャニーズから移籍する。
それは、トップアイドルの事務所移籍という前代未聞の出来事になるはずだった。
その当時、タブーとされてきたタレントの芸能事務所の移籍。
移籍後の香取、草彅、稲垣への仕打ちからわかるように、大手事務所から移籍すればテレビからはお払い箱になる。
そのリスクがあったとしても日本国民全員から愛されるSMAPがテレビから消えるはずがない。
移籍先の事務所もそう考えたのだろう。
ついに、移籍が決まる、はずだった。
その直前に1人の男が意見を変えるまでは。
木村拓哉。
移籍直前で彼はジャニーズに残る選択をしたのだ。
この時点で「SMAP全員の移籍」という条件は崩れ、移籍の話は頓挫する。
SMAPを維持するためには、5人全員がジャニーズに残らなくてはいけなくなったのだ。
世間では「解散」の報道が流れる。
心配するファンたちに一刻も早くSMAPの今後を伝えなければならないと、ある人物が思った。
こうしてSMAP✖️SMAPの「あの生放送」が放送されることになる。

5 SMAPのいちばん長い日
鈴木おさむの小説によると、その放送は、まさに、その放送当日に急遽決まったという。
もちろん、元々放送すべき収録は終わっている。
一部を急遽生放送にするのだ。
長年、放送作家をしてきた鈴木おさむは、このことを率直に一言で表現する。
「ありえない」
そんな強権が発動することができるのは、テレビ局よりはるかに強い権力を持つジャニーズ事務所。そのトップに君臨するメリー喜多川だけである。
しかし、放送する内容は決まっていない。
スタッフたちは、とりあえず集められたものの話は進まない。
「ファンを心配させたことへの謝罪とSMAPは解散しない」ことを生放送で話すことが決まる。
鈴木おさむは、SMAPメンバーのことを考え最小限の言葉でファンへ謝罪する台本をつくり、ジャニーズ側に確認をとる。
一度はジャニーズ側からOKがでるが、放送1時間を切った時にメリーから長文の激怒文が届く。
そこには、生放送で絶対に言うべき言葉が書いてあった。
「今まで25年以上一緒にやってきたメンバーの1人が社長に謝る機会を作ってくれたおかげで「今、僕らはここに立っています」」というものだ。
鈴木おさむは「これ、絶対に言わせなきゃいけないんですか?」とジャニーズの人間に確認をとるも、トップの指令は変えられない。
しかし、こんなことをメンバーに言わせれば、いくら解散しないと言ってもSMAPがバラバラであること、また、1対4の構造が明らかにしてしまう。
そして、この残酷な言葉をメンバーに言わせなければいけない。
苦渋の選択で、鈴木おさむは、メンバーで最も優しい男に、その言葉を言うようにお願いしにいく。
草彅剛は鈴木おさむからその台本を渡されると「分かった」と一言だけ言った。
鈴木おさむは、罪悪感と申し訳なさで、その場で泣き叫びたいほどだったという。
こうして、伝説の放送事故が起こる。
横並びになるスーツ姿の5人。
真ん中にはカメラを見据える木村拓哉。
他の4人は俯いている。
木村は「SMAPは解散しない」と言う。
その後、メンバーが次々と与えられた台本を読む。
他のメンバーは「言わされてる感」を隠せないというよりも、隠そうともしなかった。
飯島を実の親のように慕っていた香取は、途中から言葉がでてこなくなるほどだった。
草彅は、謝罪の言葉に付け足すかのように木村への感謝の言葉を述べる。
こうして短い生放送は終わる。
まさに公開処刑ともいえるグロテスクな映像。
もはやSMAPがこのまま続いていくと思える楽観的な人間は視聴者にすらいなかった。

6 解散
そして、この生放送からほどなくしてSMAPは解散した。
香取、草彅、稲垣は飯島の新しい事務所へ移籍。
新しい地図として活動を始める。当然のように、全てのレギュラー番組は一瞬で消えた。
それはジャニーズから裏切り者へのわかりやすい制裁である。
中居はジャニーズに残ったが、その後、独立。
会社名はのんびりなかい
意味深な名前だ。
まるで、あの時に3人とともに独立を選ばなかったことを「のんびり」と表現しているかのように。
木村は旧ジャニーズに現在も残り続けている。
日本一のアイドルグループSMAPの5人はバラバラになってしまった。
ファンが気になるのは今後の再結成の可能性だ。
ここからは、私の考察だが、SMAPは復活する可能性が高いと思う。

7 ベストフレンド
「いやいや、ここまで仲悪くなって復活はないでしょ!」というツッコミがあるのはよくわかる。
特に同じグループでありながらライバルでもあった中居と木村は仲が悪いと言われてきた。
その2人が解散騒動で決定的に決裂したのであれば、再び復活するのは難しいはずだ。
また、新しい地図のメンバーたちも直前で裏切った木村を許せないだろうし、木村からすれば、自分から離れた4人に対して思うところがあるだろう。
しかし、彼らの絆は、外野には決して見えないほど強いものであると私は考える。
SMAPの結成は1988年。
当時、最年少の香取は11歳。
最年長の中居、木村でさえ15歳だった。
少年時代から寝食をともにし、途中、仲間との悲しい別れを経て、それでも彼らはずっとSMAPであり続け、最前線を走り続けた。
もちろん衝突することもあったが、それでも彼らは一緒のグループであり続けた。
SMAPには、大切な曲がある。
BEST FRIEND(ベストフレンド)」
カップリング曲だが、その曲はSMAPファンには有名だ。
SMAPは当初、5人ではなく6人だった。
もう1人のメンバー森がいたからだ。
オートレーサーの夢を叶えるため、森はSMAP結成から8年目に脱退した。
それは、あのSMAP✖️SMAPが始まり、これからついにSMAPが人気街道を走り始める、その最初のタイミングだった。
SMAP✖️SMAPでは、脱退する森の卒業スペシャルとして森が選曲した歌をメンバーたちで歌うシーンがある。
その最後の歌がベストフレンドだ。
その歌の間、中居は涙が止まらず歌えなくなり、その後の進行もできなくなる。
その後、この曲は稲垣が逮捕後にSMAPをぬけ、復活するタイミングで全員が稲垣のために歌われた。
また、SMAPがはじめて5人だけで旅行するSMAP5人旅でも、この曲は流れた。
旅館のカラオケで中居はSMAPの曲を選択し続け、メンバーは歌い続ける。
そして中居が最後に選択したのが「ベストフレンド」だ。
中居はこの曲を聴きながら涙する。
鈴木おさむの小説で明らかになったのは、実はこのSMAP5人旅を中居が考案したことだった。
この企画が放映されたのは2013年。
解散の3年前だ。
本当に嫌いな相手がいるのなら、そんな企画を考案しないはずだ。
この旅で中居は「10人が突っかかってきても、おれ絶対SMAPを守れるよ」と言う。
誰よりもSMAPを愛し、SMAPを守ろうとしたのは中居だったのだ。
もちろん、木村のことも中居は愛していたはずだ。
木村と中居は同じ高校出身で、誰よりも長く一緒にいて、お互いのことを知っている。
高校時代には、中居、中居の彼女、木村、木村のことが好きな女子でダブルデートをしたこともあったという。
外野からは見えない2人にしかわからない世界がある。
たしかに、SMAPは解散したが、5人のつながりは消えていない。
解散後、ある番組で稲垣は「中居や木村に会いたい」と言い、草彅は、たまたまロケ地が同じだった木村に挨拶に行き、香取は病気の中居に毎日のように連絡していたという。
また、木村はスポーツ紙に「SMAPの曲は遺産」と書かれたことに憤り「勝手に遺産にしてんじゃねえよ!うちらの中でSMAPの曲は“財産”なんだよ!」とSMAPの曲がSMAP全員のものであり、今でも大切な財産であることを主張した。SMAP愛がなければ、このような発言はないだろう。
おそらく残るのは、事務所の問題だけだ。
旧ジャニーズがテレビ局での失っていくなか、彼らの復活を待ち望むファンと、SMAPを愛するメンバーの気持ちが高まれば、彼らの復活はあるのではないかと私は考える。
中居はSMAP復活の可能性を聞かれ「1パーセントから99パーセント」と答えた。
可能性はゼロではない。
なぜなら彼らは最高のベストフレンドだからだ。